関東大震災と台湾南部の地震【メモ】

2015年8月4日に東京大学総合図書館で調べた内容をメモとしてまとめてみました。関東大震災の報告書と朝鮮半島の水害、台湾南部の地震などです。
支援 震災
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関東大震災直後の支援事業について
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
関東大震災の時に組織された臨時震災救護事務局による報告パンフレット(大正13年)を見たら、過剰になってしまった支援物資の処分顛末が書かれていた。配給に不便な物、分量の足りない物、腐りやすい物、奢侈品、余剰品、これらの品々は競争入札または随意契約で換金したとのこと。その総額、→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
大正13年1月末で77万7499円になったとのこと。相当な金額である。この頃は支援物資を換金しないことにはニッチモサッチモいかなかった事が容易に想像できる。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
東日本大震災の時には、この余剰物資の公的払い下げができなかったことで、現場に無用な労力と保管スペースを求めることとなった。こういう前例があったことは、今後も参考にしたいところ。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
東京の駅という駅、荷揚げできる港に物資が殺到して、現実問題としてさばききれなかったようです。換金化する措置は勅令が出されて実現したとのことでした。 twitter.com/cnozomi/status…
大正14年の朝鮮半島の風水害
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
大正12年に関東大震災。その僅か2年後の大正14年には、朝鮮半島を何度か大暴風雨が襲い、各地で洪水が頻発。仁川の気象台が出した報告書と写真を見ると、相当の被害が出たことが分かる。内地の関東大震災だけを見ていると見逃してしまいがちな、自然災害の歴史の一面である。
台湾南部嘉義地方の震災
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
さらに忘れられた震災被害が、明治39年3月、台湾南部の嘉義地方で起きた地震被害。この地震では死者1249名、負傷者2378名に及んだ。これは明治の三陸津波の後の大規模災害となった。台湾領有後、約10年経過した後の災害。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
台湾総督府民政部総務局が嘉義震災の報告書を出している。そこで目に留まった記述を一つ。被災地域の死傷者の男女比率を見ると、女性が多い点を報告書は強調する。粗っぽいデータだが、当時の嘉義地方の男女別人口比率は、男53%、女47%だった。ところが、死傷者比率は男44%、女56%と逆転。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この男女比率の違いが生じた理由を、報告書は当時の台湾女性の間にあった「纏足」(てんそく)に求めている。女の子の幼い頃から足先に布をぐるぐる巻いて成長を阻害させるあの習慣だが、これのせいで女性は建物倒壊から逃げ遅れたのだと。だからこの悪習は何としてでも改善を!というのが総督府の主張
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今検索してみたら、台湾の地震については、こちらの記事でも紹介されていました。依拠された文献もやはり総督府の報告書でした。ご参考までに d.hatena.ne.jp/a_aoi/20110323…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この台湾南部は、昭和10年(1935年)に再び強震に襲われる。これまた東北の三陸津波の直後。この地震については、次の論文が最近出ていたのでご紹介。植村善博「台湾、1935年新竹―台中地震による建物被害と地形条件」(pdf.) archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/RO…
関東大震災直後の施策(続)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
順序が前後してしまいましたが、もう一度関東大震災直後の話題。臨時震災救護事務局が各地から送られた義援金を元にして新設した社会施設は次の通り。被災者向け小住宅建設5000戸、託児所36カ所、簡易食堂、労務者向け簡易宿泊所、婦人宿泊所、簡易療養所、簡易市場、銭湯(以上軒数不明)。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
これらの施設は大正13年3月の段階で完成していたか着工しているもので、非常に対応が素早い。特に託児所、女性向けの宿泊所を重視していることに、東日本大震災直後の事情を見た者としては比較の目を持たざるを得ない。2011年の三陸沿岸部では、保育園の復旧がかなり遅れた地域もあっただけに。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
それから、図書館で見つけてこれは重要な関東大震災の報告書だなあ、と思ったのは当時の土木学会が現場の写真入りでまとめた分厚い3巻本。どこかでデジタル化してるだろうなあ、と探してみたら、土木学会さんがデジタル化されていた。これは必見。library.jsce.or.jp/Image_DB/shins…
以上です。とりあえずのメモでした。

コメント

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2016年4月20日
近代日本の災害史の一端としてまとめました。どうしても今の視点では、「内地」だけの災害に焦点を絞られますが、戦前までは「外地」でも災害は頻繁に起きていました。そのあたりをまとめてみました。
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