- JunNakagawaWork
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世阿弥は、「ときどきの初心を忘れるべからず」という文を「花鏡」で綴っていますが、うらがえして言えば、つねに工夫せよということであって、年齢を重ねるにつれて、そのときどきに「花」を咲かせなさいということでしょうね。
2015-08-14 20:06:41「正調」を堅持しながら、つねに、「珍しくて・興味をそそる」ように語らなければならない。この点がセミナー講師を継続して務めるときの難しい点です。
2015-08-14 20:09:35コンピュータ技術の或る分野を専門としたセミナー講師は、同じテーマを くり返して しゃべっていて、しかも、歳をとるにつれて、細かな技術を語るのを抑制して基本的な概念体系を語るほうに比重を移しますが、聞き手はシステム・エンジニアなので、概念の説明などには興味を示さない。
2015-08-14 20:14:58それぞれの概念そのもの-の性質をしゃべるのではなくて、それぞれの概念のあいだに存在する [ あるいは、構成できる ] 関係を語る、という事が概念体系でしょう。つまり、「それぞれの概念のあいだの『からくり(仕組み)』を明らかにする、という事です。
2015-08-14 20:20:18「概念のあいだの『からくり』」をしゃべるとなれば、テーマを熟知していなければならないでしょうね。言い換えれば、そのテーマに関して2年や3年くらいの学習では語る事ができないという事です。この点こそ、そのテーマを追究してきた、年取った講師の面目たる点でしょう。
2015-08-14 20:26:52典拠が確かで(数学基礎論・言語哲学の確固たる説に準拠して)いままで、だれも気づかなかった視点を与えたとしても、証明法(具体的な技術体系)は いくつも考えられるので、できるかぎり単純な構成を作るというのは非常に難しい。
2015-08-14 20:31:29私の年齢(62歳)になれば、「麒麟も老ゆれば駑馬に劣る」との諺を痛感します。私は「麒麟」であったなどという自惚れを些(いささ)かも持っていないのですが、自分の若い頃 [ たとえば、30歳代の頃 ] に比べて、明らかに ちから [ 体力・思考力 ] が落ちている事を痛感しています。
2015-08-14 20:37:09これから伸びようとしている若いひとが既存の専門知識を習得していないけれど思考を目一杯駆使して対象に立ち向かっているという新鮮さ・清々(すがすが)しさ・一直線の熱意は、62歳の初老にはない。30歳代のほうが熱意に溢れていました。62歳には、そういう「花」は、もう、ない。
2015-08-14 20:41:23若い世代のシステム・エンジニアたちに対して、これから述べる助言は、たいがい、思い違いされて理解されない助言なのですが、(私が自らの過去を振り返って反省した点として)「学問を重視してください(学術書を多数読んでください)」ということです。
2015-08-14 20:45:5230歳代・40歳代に仕事のなかで――ただし、システムを構成する仕事のことですが――犯したミスは、たいがい、学問の ちゃんとした知識があれば避けられることが多い。30歳代のエンジニアが「私の経験から言えば」と謂うのを聞くと私は苦笑してしまいます。
2015-08-14 20:49:48学問を地道に修めて、その知識を実地の技術のなかで工夫して具体化すれば、少なくとも、30歳代に我流で がむしゃらにやってきて、40歳代で ちから(思考力・技術力)が枯渇するような事態を避けられるでしょう。
2015-08-14 20:55:33会社で指導されたことを そのまま真として、他の やりかた があることを疑わない人たちが多くなっていると感じるのは私の思い過ごしかしら。そして、自分の やりかた と違う事を聴いたら「自分は正しい。相手は勝手な『自慢話』をしている」と思う人たちが多くなっている様に思います。
2015-08-14 20:58:57自分と違う意見を認めないというのは、システム・エンジニアの態度として――様々な可能態を網羅的に検討しなければならない職責にあるシステム・エンジニアとして――危険です(落第です)。
2015-08-14 21:00:54「歳をとれば、思考力は益々盛んになる」という言いかたには、「経験のなかで体得した洞察力が物を視る際に思考を促す」という意味をふくんでいるのかもしれない。でも、そういうふうな洞察力など「効率(考える際の省力化)」の範疇で論じられるのであって、「概念操作」の力とは関係がない。
2015-08-14 21:04:38「八十の手習い」という諺がありますが、「学習をするのに おそすぎるということはない」という意味なのでしょう。でも、私には、この諺の意味は、自分が老いてゆくにつれて、せいぜい、Better late than never くらいの意味にしか納得できない。
2015-08-14 21:09:29余技として嗜む程度の道楽であれば、「八十の手習い」でもいいでしょうが、プロフェッショナルな仕事の文脈ではジョークにしかならないでしょう。年齢を重ねるにつれて「しかるべき時に、しかるべきことをおこなう」というのがプロフェッショナルとしての「年来稽古」でしょう。
2015-08-14 21:13:37試行中の やりかた など公にしないで、それが完成するまで書かなければ良いと非難されるかもしれないけれど、やりかた が完成したとき、それはエンジニアにとっての終焉でしょうね。不確実だから書くのです。いまだ混沌とした・無形の思考にフォルムを与えるために書くしかないのです。
2015-08-14 21:16:39私は いったん興に乗ると寝食を忘れて熱中するほうで、そういう やりかた をした後では、寝不足に陥って思考力が落ちたり、生活のリズムを崩したりして、全体的に観れば、仕事の質が低下しているのではないかと疑問を抱く事が多い――質のなかに部分的なムラが起こっているのは確かでしょうね。
2015-08-14 21:21:03