乙巳の変と蘇我倉山田石川麻呂

大化の改新、特に乙巳の変について語ってもらいました。蘇我倉山田石川麻呂をさらに掘り下げて頂けるとのことで、要するにこれまとめ途中です。
歴史 蘇我倉山田石川麻呂 乙巳の変 蘇我氏 飛鳥時代 大化の改新
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だんだん恒例となりつつある、私こと偽と、マティウス陛下とのなんか真面目なやり取りです。今回は私のリクエストで、彼の専門だったというあたりの、大化の改新について語っていただきました。ところどころに私が分からない単語などを調べて合いの手を入れております。

@niseusa
マティウス陛下の機嫌がよろしいな
@niseusa
機嫌のよいうちにちょっとあの大化の改新の刃物で切りかかるあの場面を語ってほしいのだが、私の好きな蘇我倉山田石川麻呂が登場人物なのですよ。何が好きかって蘇我氏なのに大化の改新する方っていうね!あとわりと悲劇の人っていうね! 出来たらそこらへんもお願いしたいのだけど!
@niseusa
石川麻呂が建てようとしたお寺が山田寺でしてね、このお寺今現存してなくて、回廊だけ再現されたのが飛鳥資料館にあるはずなのですが、なんで現存してないかって、大土石流で埋まっちゃったんだそうです。で、この寺にあった仏像はなんと興福寺に強奪されてて、今欠けた頭しかないのです。
@niseusa
その欠けた頭もなんでまた頭だけ、って感じなんですが、実は強奪された仏像、興福寺にちゃんと安置されていたのですが、落雷にあいまして、胴体が失われてしまったのです。その後須弥座の下に安置されていたとかで、1937年に見つかるまで、ずっと誰にも気づかれずにいたのですな。
@niseusa
と、山田寺の仏頭だけでも結構悲劇の仏頭なのに、建てようとした蘇我倉山田石川麻呂なんてもっと悲劇の人なんですよ!作っていた山田寺の完成していた金堂の前で自害しちゃうんですよ!結構な地位の人なのに!娘さんは持統天皇の母なのに!そっちも死んでるけど!
@niseusa
ところで仏頭が安置されてた須弥座の下ってなんだろうって思ってたんだけど、もしかして他の仏像の下に頭だけ置かれてたってことかな…。
@niseusa
ちなみにこの蘇我倉山田石川麻呂さん、何やってたかというと、大化の改新のはじまり(で、あってる?)、蘇我入鹿暗殺場面で巻物持ってぶるぶる震えてた人です。
@niseusa
いや別にその場面で蘇我倉山田石川麻呂に惚れたとかそういうのはないんだけど、というかその場面だと普通に中大兄皇子かっけー!ってなるんだけど、山田寺の仏頭の調べてたらなにこの悲劇の人!ってなってなんとなく好きなんですよ。で、大化の改新でぶるぶるしてた人ってこの人か!と。
@niseusa
いや私そこまで歴史詳しいとか無いと思うんだよ!思うんだよ!!!
@niseusa
そして昔読み込んだ漫画日本の歴史の記憶を呼び覚まそうと中学の歴史の教科書見たんですが、大化の改新について、蘇我氏を倒して改革を始めました程度のさらっとした記述で、おお、まぁ教科書だしな、と思いつつ。そうそう、この漫画の読んでる時は蝦夷と入鹿は悪い人ーみたいなイメージだったんですが
@niseusa
日出処の天子読んじゃうと、毛人、あ、ええっと、ってなっちゃうんですよね、とかいいつつ途中までしか巻数持っていないという中途半端っぷりなんですが!
@niseusa
そこら辺の歴史の面白さって何かって、どうしてもぶつ切りで聖徳太子、中大兄皇子、みたいな覚えかたしちゃうんだけど、中大兄皇子が大化の改新したときに、聖徳太子と政治してた蘇我馬子の子が蝦夷なわけでしょ、すごく短期間に十七条の憲法から大化の改新までいったんだな、と思うと、
@niseusa
本当に短期間に政治情勢やお隣の情勢が目まぐるしく変わって行って、そのたびにそれに対応するためにガンガン動いて行ったんだな、と、激動の時代っぷりが感じられるわけですよ。私このあとの壬申の乱なんかも好きだったんだけど、それだって大化の改新から60年もたってないわけで。
@niseusa
よしマティウス陛下の召喚に成功したか!?
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
適度に酒が入っているから迷走間違いなしだけど、私の研究のメインテーマだったから、語る。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
乙巳の年(645年)に起きた蘇我氏本宗家滅亡事件(乙巳の変)とその後の国制改革を「大化改新」と呼んでいる。大化改新の諸政策については稿を改めるとして、今回は乙巳の変について所見を述べたい。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
乙巳の変の直接的な要因について、現在の有力な見方は、大王位継承をめぐる諸勢力の対立と、緊迫した朝鮮半島情勢を巡る外交方針の対立を想定するというものである。私もそれに従う。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
具体的にいうと、蘇我系・非蘇我系を軸とした大王位継承争い、群臣層の中の蘇我系氏族と非蘇我系氏族との対立、蘇我氏内部における本宗家争い、さらには中央・地方の豪族層の私的経営の行き詰まりが内的要因になって乙巳の変と大化改新を引き起こしたものと考えられる。
@niseusa
要するに、蘇我氏の血が濃く入った王位継承権を持つ皇子と、そうでない皇子との争いと、蘇我氏と蘇我氏じゃない有力者同士の争い、でもって蘇我氏内部でもいっぱい息子とか親戚がいたってことかな。皇子様いっぱいいるイメージがあるわ、確かに。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
外的要因は、朝鮮半島を含む東アジアの国際情勢である。618年に成立した唐が周辺諸国を圧迫し、朝鮮半島の高句麗をも窺う。朝鮮三国の一つ新羅は唐への接近を図る。そうしたなか、蘇我蝦夷・入鹿父子の蘇我本宗家は旧来からの新百済・高句麗路線をとっていた。
@niseusa
いまいちちゃんとこの3国を覚えてない人なので教科書見ると、高句麗が一番上、唐と地続き、新羅がその下、割と日本側、百済が一番下で唐側に近く、一番小さい、っぽい。新羅は朝鮮半島内で一部唐側の海に領土を伸ばしてたので、それで唐に接近をはかれた、のかな…?高句麗を唐と新羅ではさむのか。
Kaiser Matthius @Ryu_Yas0417
緊迫した国際情勢の下、勢力を拡大する唐・新羅との関係を重視すべきする主張も、朝廷内部で強まってきたと推測される。
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コメント

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