ふくしま・原・板垣の身体描写/高速道路と移動/コッラディーニとベルニーニの彫刻
- ttt_ceinture
- 1998
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@ttt_ceinture 飛行機の側面窓から見る地上の風景は格別だよね。これはジャングル?しかし、窓に対して翼が上にあるのって面白いかも。通常の飛行機の翼って、窓に映る風景を遮る位置にある様な。つーかこれもしかして格納庫から撮ったのか…
2010-03-04 13:37:00@lingo_coffee ストローブ&ユイレの何か画像ないかなー、と画像検索してて見つけた画像なんで、出処よくわかんない。いまツイッタの壁紙にしてるのもそこのblogで拾ったものです。たしか英語で書いてる、東南アジアかどこかで働いてる人のblogだったかなあ。
2010-03-04 13:40:34@lingo_coffee カメラ位置からして、格納庫とかそのへんの変な位置から撮ったっぽいですねえ。旅客機から普通に窓覗くと、視界遮るはずですから。「ただの俯瞰航空写真に見えて、画面端を見ればわかるように飛行機視点ですよとマーキングされているような感じ」を気に入って使ってた。
2010-03-04 13:42:33.@lingo_coffee あと「雲の上」の高さなので、雲が足元を浮遊する埃やゴミみたいに見えるのが楽しいw ジャングルを俯瞰気味に撮りながら、同時に雲の水平的なレイヤーが重なり、上には翼があり、とちょっとした宙吊り感がある。http://twitpic.com/16h6tb
2010-03-04 13:49:05@ttt_ceinture なるほどなあ。単に風景のみを写したものよりも、特定の場所から何かを見つめていることが分かる様な部類の視覚作品(例えばビルからの風景にビル窓が移り込んでいたり)は自分も好き。自由でありながらも視覚が保持されているというか何というか。
2010-03-04 13:50:37.@lingo_coffee 典型的にはアジェのショーウインドウ写真とかもそうですね。ショーウインドウがカメラ位置の社会的・階層的なポジションを言及したり。<特定の場所から何かを見つめていることが分かる様な部類の視覚作品(例えばビルからの風景にビル窓が移り込んでいたり)
2010-03-04 13:51:44飛行機に乗っている時は旅の過程で一番幸せ。大抵両隣が居ないので、漫画喫茶のブースと似てる為に、居て全く飽きない。そして窓の外は、人類数万年の歴史の中で、100年前まで誰もが憧れつつも決して観ることが適わなかった、偉大な景色。
2010-03-04 14:03:40.@lingo_coffee 飛行機に限らず、電車、バス、に中距離で移動してるときは、私は妄想全開時間になる。ほとんどベッヒャー的な地理空間の交換可能性についてよく考えるなあ。高速道路を絶賛したのはマリネッティだったか。
2010-03-04 14:12:59@ttt_ceinture マリネッティが高速道路を始めとする、近代技術の発展と人類の進歩に咽び泣き陶酔する感情は、おそらく自分が飛行機から景色を眺める時に抱く感情と非常に似たものなんじゃないかと、勝手に妄想しております。技術、映像、速度、そして移動は切っても切り離せないよなあ。
2010-03-04 14:23:05"4. われわれは、世界の壮麗さが速さの美という新しい美で豊かにされたと主張する。爆発する息を吐く蛇に似た、ふといパイプで飾られたそのボンネットとともに走る自動車----。機関銃弾の上を走るように思われる吠える自動車は、サモトラキの勝利よりも美しい。"
2010-03-04 14:27:28@lingo_coffee 近代化と鉄道などをはじめとする交通技術は切っても切り離せないですしね(って前にもこの話題をしたな)。都市化と人口移動とか、故郷喪失とか、移民とか。マリネッティの高速道路賞賛は「幾何学的な直線と曲線!」みたいなのだったかな。
2010-03-04 14:26:23.@lingo_coffee 私は引越しや引越し先に馴染むたびに、「ここはかつて引っ越し下見で見た光景だった…今は馴染んできたので、視界の焦点が変化してきた」「ここ以外にも下見をした。あそこにおいても同じような距離感で接したのだろう」
2010-03-04 14:42:35.@lingo_coffee 「訪れた土地のここでも同じ作用がおきたらどうなるか」「いくつもの引越し先とそのなじみ方のグラデーションの複合状態をこの場所で再現してみよう」「いま昔住んだ場所に行ったらどう眺めるか」とか、延々考えるね。高速バスや電車乗ってるときはそれが高速展開開始。
2010-03-04 14:44:24私はおそらく、速度や交通上の形態よりも、景観と景観への距離感の変化の交換可能性およびその交換可能性を考える自分の位置に操作に関心が傾きがちなんだろうな。
2010-03-04 14:50:21。@lingo_coffee 『意味の論理学』第6セリーで「空虚な位置(case vide)」ってのが出てきて、数字並べ替えパズルやピクチャーパズルみたいなパズル(正式にはなんて呼ぶのだろう?)の話を使って、
2010-03-04 15:05:05.@lingo_coffee シニフィエの移動と、余白としてパズルの運動を可能にする「浮遊するシニフィアン」の区別をし、後者が「空虚な位置」とされる。余白による数字並べ替え http://bit.ly/a7K6fw が語られるんだけど、エトランジェと交換が密接に結びついてるかも。
2010-03-04 15:08:09@ttt_ceinture おお面白そうな喩え!常に余白は交換の過程に於いて埋められるが、その交換運動は同時に新たな余白を作り出す運動でもあり。そして余白が無ければ運動は起き得ず。このゲームって、明示できる中心は無いよな。しいて云えば余白が中心だが、位置としての中心ではない。
2010-03-04 15:22:41.@lingo_coffee ゼロ記号や超越論的シニフィアン(東浩紀)と呼ばれるのはこの空白、浮遊するシニフィアンのことだね。ゲームにおいて可視化されない第三項。かつて岡崎乾二郎はこれをじゃんけんでたとえていた。勝ち・負けのそれらの二項と、ゲームを可能にする不在の第三項。
2010-03-04 15:39:48「雲が足元を浮遊する埃やゴミみたいに見えるのが楽しい」で思い出した(1/17)。RT ttt_ceinture わー、これは楽しい。RT @yishioka: 楽しいw RT @daioujyou おおw 西部劇でよく見るアレだww http://bit.ly/8m2EJz
2010-03-04 14:52:55.@lingo_coffee タンブル・ウィード動画いいよね。そのとき@reger44さんが「もはやこれもキャラに見えてならぬ」とぶっとんだ感想を出しててびっくりしたw 今思えば、ポニョ前夜みたいなやりとり。ポニョの妹の群れとか。
2010-03-04 15:15:12