「スラムダンク」と「バガボンド」に見る人間論
吉川英治の武蔵が発表されて以来、伝説の剣豪、最強の剣の使い手として数多の武蔵作品が作られて武蔵が語られてきたが、実はバガボンドが表れるまで、彼の剣と「人間の在り方」を結びつけた作品は殆ど無かった。要するに剣豪としての側面は描かれても「一人の人間」としては全く描かれてこなかった。
2011-01-06 23:13:14伝説に生きる人間としてのみ描かれた武蔵を井上先生は「剣の道を追求する一人の人間描くこと」で井上先生が目指す「人間を描く」事を実現しようとした、それをよくあらわす劇中の台詞こそ「天下無双は言葉だ」という台詞に他ならない。
2011-01-06 23:19:59武蔵は天下無双を目指す過程で様々な戦いを繰り返し人を斬り続ける。その過程であらゆる剣豪を斬り続け彼は名声を手にするが、同事に多くの敵をも産み出す。繰り返される殺し合い。斬れば斬るほど、敵を招き死をも覚悟する程の傷を負う。コレが彼の目指す天下無双の道なのか?そもそも天下無双って?
2011-01-06 23:23:05あと何人に殺せばいいか?吉岡一門70人を斬り殺して彼の中で何かが揺らぐ、そもそも何故の天下無双なのか?天下無双は石舟齊が言ったとおりただの言葉なのか?彼の葛藤がそこから始まる。何故剣を極めようとするのか?
2011-01-06 23:27:48実はこの作品に於いて、武蔵が自分が何者であるかを理解する、つまりスラムダンクが最終的にたどり着いた「人間を描く」こととしての「自分がこの世界で何者であるかを理解する」事は宝蔵院戦で実は果たされてしまっている。だから、武蔵が自身を理解することはもはや描くことは出来ない。
2011-01-06 23:30:44そこで作者は更にもう一歩踏み込むに決めたようだ。つまりは「人間と人間の在り方」である。要するに、今度は自分がこの世界でどういう人間かを理解しただけではなく、それを踏まえて更に他者とどう関わるべきかを考えるというのがテーマになっている、と言う事だ。
2011-01-06 23:33:58@chisatonton 以前、スポーツライターの生島淳さんがラジオのコラムで、最近のリアリズム路線のスポーツ漫画のターニングポイントとして『スラムダンク』をあげてました。スラダンは未読だったので役割の話を読んでようやく話がつながりました。http://bit.ly/grfvlu
2011-01-06 23:21:04@gugugu001 多分、それまでのスポーツ漫画はそのスポーツを描くことか、或いはそこで活躍する人間を描いただけに過ぎなかったのが、おそらくなんだけれどもそのスポーツの本質と「人間を描く」と言う事を初めて結びつけて描いたのがスラムダンクだったんじゃないかと思うんです。
2011-01-06 23:37:24個人的な意見で申し訳ないが、人間と人間、或いは個人と社会、或いは国家と国家、と様々な関係において重要な物は何か?と聞かれたら俺は今、「距離」と答えている。互いの関係は遠ければ互いを理解出来なくなるが、近すぎると逆に互いに干渉し合い結局は不和をもたらすことになる。
2011-01-06 23:41:47人類皆兄弟、とはよく言ったもんで兄弟の関係のように近くても遠すぎてもダメになると言う事である。 人類にとって戦争とはこの距離が離れすぎて、或いは近くなりすぎたときにその距離を測るために起きると言ってもいい、と俺は今思ってるくらいだ。
2011-01-06 23:44:29バガボンドに於いて、武蔵がある時点から敵を引き寄せそして殺し合いを繰り返す「殺しの螺旋」に嫌気をさして、傷ついた身体を引きずってようやく考え出したものに、自分の周りに円を描いて「ここまで俺の領域でここより先に立ち入らせない」というシーンがある(台詞はちょっと違うと思うが)。
2011-01-06 23:48:12武蔵はその自分の円から先には決して出ない、当然そこにも立ち入らせない、入ってきたときのみ剣を抜く。逆に言えば、入らない限りは抜く必要がない。だから如何にその円に入らせないかが重要になる。この考えの元になったのは彼が憧れた剣豪、一刀齊の思想から来ているのだろう。「抜かせない」である
2011-01-06 23:52:03一刀齊は剣を「遊び」と考えている。だからつまらない遊びはしたくない。弱い奴とはやりたくない。だから如何に抜かせないか、である。ある瞬間から、武蔵がそれを実践しようとした。要するに「相手との距離を如何に取るか」だ。
2011-01-06 23:54:58相手との距離を保ち続ける事、それが殺しの螺旋から抜け出す唯一の手段でもある。無駄に殺さない殺されない。そこから武蔵の剣の道は、ようやく「人間はどうあるべきか」と言う事と結びついてくる。つまり武術者としての剣から、求道者としての剣として語られることになる。
2011-01-07 00:00:35バガボンドはここから「人間を描く」という事に於いて他の武蔵漫画よりも一歩出ることになる。おそらく、この部分を立ち入らなければ、バガボンドも叉、「最強の剣豪」としての武蔵を描いた他の漫画と代わり映えはなかったに違いない。だが、井上先生はそれを選ばなかった。
2011-01-07 00:03:19井上 雄彦という漫画の素晴らしいところは、例えばバスケの漫画を描いたならばバスケのみを描いたりそこで活躍するキャラのみを描いたりしないことだ。かならずバスケならバスケの本質を描いてそこに「人間を描く」事を結びつける。バガボンドの場合は「剣の道」だった。
2011-01-07 00:06:16おそらく、井上先生が原作はもちろんのこと五輪書などを通して、或いは同時代に生きた剣豪達の考え方を通して彼なりに考えた結論こそがバガボンドで描かれた武蔵の描いた円に他ならないと思っている。
2011-01-07 00:12:05そして、それは人間が他者とどう向き合うべきかも示している。つまりは距離だ。 実は、この中に出てくるキャラクター達は不思議なことに、それぞれがある一定の距離を保っている。 近すぎず遠すぎず、である。意識して読んでみればわかる。そしてこの距離の関係が崩れたときにドラマは生じる。
2011-01-07 00:15:08戦国が終わって直後の生きるには厳しい世界、その中で生きる人間達は互いの距離を保って生きている。だから遠すぎては理解し合えないが近すぎると今度は互いを傷つけるしか無くなる。その事を象徴する関係が武蔵とおつうの関係だ。二人は作品中絶対に結ばれない。精神的な結びつきのみでしか繋がらない
2011-01-07 00:18:34バガボンドは今年中に終わるらしいとのことなのだが、井上先生の描く武蔵の剣の道の答えがいかなるモノかは終わりを迎えていない以上まだわからない。しかし、あの武蔵の「円」こそバガボンドにおけるテーマの一端ではないかという確信はある。
2011-01-07 00:22:14話が長くなったが、人間を描くことというのは本当に難しい。 最近のライトノベルをみればわかるが、逆に真っ当な人間であるところを放棄するところから始めてる作品の方が多い。つまり普通じゃない奴を描くことから始まっている。 だから本来は、普通の人並みのドラマを描くことの方が無理あるんだ
2011-01-07 00:27:53通常、物語というのはいくつものドラマで構成されてるんだが例えば「世界の危機」という大きなドラマがあるとすれば「二人の恋愛劇」というのは最も最小単位のドラマだ。
2011-01-07 00:33:24最近、と言うかかなり前から「最小単位」と「最大単位」のドラマがごっちゃになってるとよく語られている。要は個人の悩みと世界の問題が一緒くたに語られちゃうと言うことが平気でまかり通ってる。だからキャラクタはみな普通だと成立しなくなってる。普通の高校生と言うのがそもそも普通じゃないとか
2011-01-07 00:34:47正直、これラノベだけじゃなく普通の漫画や小説でも映画でも最近平気でやってるからね。日本の最近の映画はみんなそうなってる。一番手っ取り早いんだよね、それが。
2011-01-07 00:36:18何でかというと、要するにキャラを通して「人間を描く」事が皆できなくなってるんだ。やらないとかでなく出来ない、興味ないていうね。まぁ、そう言う事が目的でない作品、ライトノベルなんかはギリギリいいよ。最近はそろそろ限界来てるけどw別にそんな物は見たいなんて誰も思わないから。
2011-01-07 00:38:52