いわゆる「邪馬台国」について(その5)
起きた。さて、現在進捗11.2%。録画しておいた「漫勉」BGM代わりに残りを書く。とりあえず、図示して現状を整理すると、こんな感じになるんだよね。 pic.twitter.com/pXB4QQqGKZ
2015-09-06 05:21:08【WEB最速】『「日本」昔ばなし異伝―現れた女王Ⅳ』 自然先紀 ( yellow.ap.teacup.com/jinen/html/ide… )をアップしました。2015年9月9日、ついに「邪馬台国」問題に終止符。連載はあと1、2回続きますが今回で核心は展開できました。これが決定版になります(確信)。
2015-09-09 19:29:18「魏晋朝短里」について思考が進む。安本美典説の殷周の古制が周辺遺残した説は倭人が里数を知らない時点で不成立までは考えたが、ここ最近思いついたのは、その制度が極めて短命に終わったケースではないかという説。その期間は明帝即ち景初暦が採用され遼東~倭を勢力圏に取り込んだ時期だろう。(続
2015-11-03 21:37:32承)つまり周辺地域に遺残したのではなく、縦の時間軸上に遺残したと考えれば色々説明がつく。公式記録もその期間は短里で記録されたはずで、同じ記録を元にしたと思われる『魏略』も短里なのも当然となる。司馬懿におもねて陳寿が筆を盛った説も存在するが、それでは『魏略』の説明にはならないのだ。
2015-11-03 21:44:22「混一疆理歴代国都之図」も「景初三年鏡」みたいに、根拠と結論が逆立ちしてると思うんよね。卑弥呼が「景初三年」に遣使したから、それを顕彰してるように、陳寿を誤読した范曄の地理観に合わせて行基図を配置(会稽東冶)したのが「混一疆理歴代国都之図」じゃないのかねえ。考える順番が逆だよ…。
2015-11-23 19:41:52陳寿が『三國志』編纂してた当時、東冶県は会稽郡じゃなく建安郡で、後代の范曄の頃は会稽郡に組み入れられてたのは古田さんの指摘通りなわけでな…。今日の福建省辺りまで倭を配置しようと無理した「混一疆理歴代国都之図」は、范曄の誤読をヴィジュアル化した流れなのは透けて見えてるのに。
2015-11-23 19:50:05これで「混一疆理歴代国都之図」を根拠に南を東に読み替えて邪馬台国を近畿に持ってきたら、結論が根拠になって、見事な循環ループになってしまう。頭でっかちな自家中毒だ。
2015-11-23 19:55:02清張は『水行十日陸行一月』で伊都国の方角に疑問を呈したり、彬光は上陸地が神湊ではダメなのか疑問を呈してたりと、大先輩が挑戦してきたテーマだが何とか自分の代で引導渡したいものだ。自らが書き込んだクロスワードパズルの文字をとにかく疑い続けねば。謎解きを妨げる犯人は大概自分自身なのだ。
2015-11-23 20:11:23人様の説を批判だけしてても筆が湿りがちなので本日の閃きほっかほかな話題として「甕棺」についてもさわりを紹介。棺から絹の切れ端が発見されるニュースは時々流れてくるけど、これはもっと葬送儀礼と関連してるんじゃないかと思ってます。画像検索すれば納得頂けると思うけど「甕棺=蛹」だと思う。
2015-11-23 20:59:20弥生後期即ち卑弥呼の時代の直前あたりに大型の「甕棺」の分布が吉野ヶ里遺跡周辺地域に集約され、絹の出土も集約される。養蚕の中心地=蚕に擬した葬送儀礼も移動しているのだ。それは博多湾岸からの首都機能の移動でもある。沖ノ島、神湊などから末盧へルートが変わったことと関連しているのだ。
2015-11-23 21:13:59そして、つい先刻またまた閃いた。「甕棺=蚕の蛹」だとしたら、完全変態の次の段階は蛾あるいは蝶だ。来世は羽が生えて天に召される――これ即ち「羽衣」だわ…。自分で自分にびっくりしてる。だから絹の衣装を着せて棺に納めるのだろう。関連性がつながった…。
2015-11-23 22:34:31