いわゆる「邪馬台国」について(その5)

今回は主に文章構造や叙述から見た行旅記事の内容解析。 ※9/6概念図を追加。 ※※9/9「邪馬台国」問題を解決(この日は後に記憶されることとなるであろう)。同人誌に載せる原稿(歴史ミステリ)をWEB最速でUP! ※※※11/3「魏晋朝短里」説への考察を追加。 ※※※※11/23「混一彊理歴代国都之図」と「甕棺=蛹」説の考察を追加。 続きを読む
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じねん @jinensai

昨日は洗濯しながら日なが一日邪馬台国関連のサイトと岩波と首っ引きで検討し直しながら、箸休めにアニメ見て過ごしたので、強化睡眠記憶で整理したものをアウトプットしていかねば。

2015-08-30 09:34:51
じねん @jinensai

(アニメしか脳内で整理されてない可能性もあるが…。)

2015-08-30 09:36:07
じねん @jinensai

さて、昨日の某サイトはなかなかの分析力で唸らされた。特に邪馬台国への行程で問題とされる里数表示と日数表示を別人による報告としたのは、我が意を得たりだった。前者を伊都国まで銅鐃他を運んできた魏使、後者を狗奴国との戦いを支援しにきた張政と具体化しているのも鋭い。(続

2015-08-30 10:05:58
じねん @jinensai

承)つまり前者は下賜品を届けるだけののんびりした旅で観察も行き届いているが、後者は危急の事態で余裕もなく倭人の案内人についていっただけだというのが趣旨である。なるほど筋は通っている。古田説には批判的だが一字一句へ拘り原文改訂反対の立場(邪馬壹国、景初二年)なのも好感が持てる(続

2015-08-30 10:18:03
じねん @jinensai

続)ここからは反論だが、景初二年の遣使を公孫氏の後漢からの自立に対する祝賀のためとし、魏の帯方郡上陸作戦で公孫氏が潰えたため現地で咄嗟に魏への遣使に切り替えたとしているが、それならば献上する生口が一桁という貧相な内容は公孫氏への侮辱にあたりかねないのではないか。(続

2015-08-30 10:27:09
じねん @jinensai

青森駅到着。続きは帰りの列車だな。

2015-08-30 10:29:12
じねん @jinensai

承)そして一見画期的な日数表示の「急いでいたから」説だが、往路には当てはまっても復路にはどうか? 張政は魏が禅譲した晋へ壹与の遣使に随伴する形で帰国したと推定されるが、晋への貢物を搬送しながらの行程はのんびりしたものではなかったのか。復路で急ぐ理由は差し当たって見当たらない。(続

2015-08-30 14:47:45
じねん @jinensai

あ、後漢じゃなくて魏からの自立(燕王)だった。 >公孫氏

2015-08-30 17:15:09
じねん @jinensai

承)つまり日数表示は狗奴国との戦いに支援のため赴いた張政が「急いでいたから」ではなく倭人からの聞き書きである可能性が高いのではないか。「隋書」編纂の際にも、この表示の混在は当然ながら謎であったろうし、その解釈として「夷人不知里数但計以日」が採られていると考えるのが妥当だろう。(続

2015-08-30 17:26:03
じねん @jinensai

承)後続史書は当然ながらそれまでに著された史書を踏まえて解釈を加えていく宿命をもつ。「隋書」はほぼ同時代、しかも実際使者の遣り取りを行った上での新知見に基づいている。その「隋書」に出てくるのは「水陸三千里」。これは「魏志」だと狗邪韓国~対海国~一大国~末盧国までしか届かない。(続

2015-08-30 18:55:40
じねん @jinensai

承)里の長さが当然ながら変わっている。隋代は1里=531.18mなので3000里だと約1600km、これは平壌~対馬~福岡~静岡くらいに相当する。「旧唐書」の日本伝の「東界北界有大山為限山外即毛人之國」の「大山=富士山」とすれば倭国と日本国を併わせた領域とほぼ一致する。(続

2015-08-30 19:10:27
じねん @jinensai

承)裏を返せば「魏志倭人伝」の里数表示は魏代の単位に忠実であって使者の往来の便を考慮すれば、それはより正確な値を要求されているはずなのだ。行旅に必要な物品・糧食、その費用の支弁にも必要な値だったはずである。張政も「親魏倭王印」をもたらした梯儁の記録を十分参考にできたであろう。(続

2015-08-30 19:35:14
じねん @jinensai

承)その意味からも方角と日数だけという行旅記録は塞曹掾史・張政の仕事ぶりとしてあまりにいい加減で無責任であろう。つまり日数表示部分には実際に出向いていないと考えなければならない。ではなぜ投馬国と邪馬壹国までの日数が示されているのかというと「使訳所通三十国」の内だからであろう。(続

2015-08-30 19:49:46
じねん @jinensai

承)ここで話はいきなり幕末へ飛ぶ。いわゆる開国を迫られた幕閣は困窮した挙げ句、条約の締結には勅許が必要なのだと朝廷に話を振る。驚いたのは列強諸国だ。この国の代表はあなた方ではないのかと。つまりこれが隋が倭に対して抱いた「大いに義理なし」ではないか。兄弟王間の盥回しである。(続

2015-08-30 20:27:58
じねん @jinensai

承)これは以前つぶやいたが伊都国が行政首都・ハーグの役割を担っている。そこに盟主としての「大倭王」が出身国から赴任するという政体であろう。投馬国や邪馬壹国は九州の倭国本土ではなく九州以外の「飛び地」倭国なのだ。張政が記録したのは卑弥呼の出身国の「女王之都所」の情報ではないか。(続

2015-08-30 20:42:22
じねん @jinensai

ラーメン屋経由で銭湯なう。思索続く。

2015-08-30 20:59:20
じねん @jinensai

承)つまり伊都国王が「弟」の副王格で吉野ヶ里遺跡に、赴任した「大倭王」が「兄」として宮殿にいる政体だ(投馬国出身の「大倭王」もいたかも)。そして「兄」は出身国へ時々帰らなければならなかっただろう。張政は卑弥呼不在時に男弟や伊都国王を詰問して情報を聞き出したのかも知れない。(続

2015-08-30 21:11:48
じねん @jinensai

承)少しまとめると「魏志倭人伝」は、「使訳を通じる30国の連合王国」+「連合に参加していない狗奴国など」の情報の集積なのだ。「倭人」>「倭国」>「女王国(邪馬壹国)」という概念のくくりになっている。従来「>」を全て「=」として考えてきたことが混乱に拍車をかけた原因である。(続

2015-08-30 21:21:16
じねん @jinensai

風呂あがり、いつものコンビニ憩いコーナーで延長戦。

2015-08-30 22:30:15
じねん @jinensai

承)少々というか大分前置きが長くなったが、ここからが今回のキモである。これまでで張政が倭国連合の行政首都の伊都国までしか行ってないことになるのだが、鍵となるのは郡使が「常駐」していることだ。従来は「駐車場」のように邪馬台国という最終目的地へ赴く前に必ず駐まる所と解されてきた。(続

2015-08-30 22:55:37
じねん @jinensai

承)しかし伊都国がハーグだとしたらそこに「常駐」するとは、そこが最終目的地だという意味になる。駐在所が交番と違って実際に警官がそこに住んでいるように、あるいは駐日大使、駐米大使のような用例の方が「駐」の意味に相応しいだろう。そして張政が正に「常駐」していた郡使である。(続

2015-08-30 23:03:06
じねん @jinensai

承)つまり、いわゆる「邪馬台国」問題は陳寿の選択できた情報量の少なさによって、倭人社会の権力構造の解析が不十分なまま30国の内の1国である女王の出身国の説明を倭国連合全体の首都への行旅記事と混在させてしまった誤りを読み解く読者側が主語を脳内補完することで更に悪化させたものだ。(続

2015-08-31 00:40:44
じねん @jinensai

承)かつて例に挙げたドーデの「最後の授業」同様「邪馬台国」問題は偶然の思い込みが引き起こした一種の天然のミステリである。叙述トリックに読者は自らまんまと引っ掛かってしまった。書き手を自分より劣った者と見下した姿勢によって自己暗示に陥った者は立ち直りが難しい。驕ってはならないのだ。

2015-08-31 00:50:45