「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」における物語可能性の取り扱い

@tukinoha氏の「最果てのイマ」論に応答しての「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」両作品についてのテキスト論。選択肢型エロゲが保有する物語可能性空間の多様性を、ベンヤミンの「メシア的時間」概念と無理やり絡めて、田中ロミオがどのようにその多様性について向き合ったかについての私的メモ。
11
@crow_henmi

これはメシア的時間性から均質で空虚な時間のもと、ひとつの連続した一回性のナラティブへと人間が立ち返るプロセスを描いているという意味で「C†C」と同一視できる。

2010-03-09 12:18:49
@crow_henmi

しかしながらそこにおいてナラティブの完全な再構成は存在しない。これもまた、「C†C」同様のひっかかりである。

2010-03-09 12:24:37
@crow_henmi

ここをどう解釈すべきかで、かなり「イマ」の解釈は異なってくるような気がする。

2010-03-09 12:26:12
@crow_henmi

まあこの辺りで一度置いといて、意見を待ちたいような、あるいは考え直す時間を取りたいような。

2010-03-09 12:27:55
@crow_henmi

ところで「C†C」と「イマ」双方において、イマジナリーかつ親密な存在(七実とイマ)との出会いと別離が語られること、このイマジナリーかつ親密な存在がある種のナビゲータとして機能している/表象されていることについての意味は、 @tukinoha さんに振っておきたい。

2010-03-09 12:30:21