Tsuyoshi Miyakawa氏 五輪エンブレム関連ツイート

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Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

ここ最近もまたずっと研究費申請の準備に精を出しているんですが(苦笑)、Google scholarのトップ画面下方にある「巨人の肩の上に立つ」という言葉を見て、今回のエンブレムと一連の騒動の件、ちょっと感想を言わせてもらいたくなってしまいました。

2015-09-06 09:37:12
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

Google scholarをよく使うんですが、「巨人の肩の上に立つ」の言葉が目に入り、そこで自分の小ささと研究者としての誇らしさのような気持ちが同時に生まれることがよくあります。なんというか定期的にその気持ちを味わっていて、わりとその感じが好きなんですね。

2015-09-06 09:38:25
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

というのはどういうことかというと、わりと自分などというものはそれほど賢くもないし、めちゃくちゃ働くわけでもないし、研究者としての自分が小さく感じることがたまにある。一方で、自分も捨てたものではない、という誇らしさのようなものを感じることももちろんある。

2015-09-06 09:40:53
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

例えば、すごい先達たちや天才たちが発明してきた道具とアイデア、描いてきた地図のようなものを、(こんな自分でも)なんとか理解し使うことができるようになったとき。すごい人たちの産んだすごいものをコピーしてワークさせることができればそれだけでもわりとうれしいんですね。

2015-09-06 09:41:58
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

さらにそれらでいろいろと遊んでみる、と。それらを使いこなして、うまく組み合わせて、さらに何かちょっとした工夫や努力を加えてみる。そういうことをしているうちに、何コレ?!みたいなものが出てくると。なにやら意外な発見ができてしまったと。

2015-09-06 09:44:22
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

そのすごい先達や天才たちですらきたことのない場所、いままで世界の誰も行ったことのない場所に、突然たどりついてしまうことができてしまったと。誰も見たことのないような景色やものを、自分が最初に見て手にすることができてしまった。そういうラッキーな瞬間がぼちぼちあるわけなんですね。

2015-09-06 09:46:04
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

つまり、自分による改変や組み合わせ追加は、これまでの蓄積と比べると、文字通り「微小」なんですが、そのちょっとした変化、組み合わせの妙がうまい方向に進んだ場合とか、力技でぐいぐい押してちょっとでも進めることができた場合など飛躍的な新しさや驚きが突然、生まれることがあるんですね。

2015-09-06 09:47:34
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

そのような過去の膨大な蓄積プラス自分がほんのちょっとだけ加えたものが「オリジナリティ」の実体なのではないかと思われるわけです。「ほんのちょっと」は文字通りしょぼい時もあれば、飛躍を生むような時もあるが、それはあくまで膨大な蓄積あってこそのもので「巨人」がいてくれるからこそのもの。

2015-09-06 09:50:29
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

素人なので全くの推測ですが、デザインとか音楽などのアートも似たようなところがあるのではないかと思うわけです。現代において、どんなデザインも音楽も、全く新しいものが、進化の歴史のようなものとは全く独立して、突然、ぽっとそこに生じるわけがないのではないかと。

2015-09-06 09:51:09
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

アートで革新的と言われるものであっても、どんな新しいと考えられているものであっても、多くの場合は、何か大きなものの上に、ちょっと何かを加え、それによって突然、別の次元に到達できるというそういうものではないかと。

2015-09-06 09:52:46
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

佐野さんもおそらくそのあたり「オリジナリティ」の実体、正体を感覚的にご存じであったのではないかと。つまり99%コピープラス(組み合わせとか追加・改変などの)微小な貢献が全体として「オリジナリティ」なのである、と。

2015-09-06 09:53:59
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

そういうことなのであれば、コピーすることがオリジナリティの否定になるわけがないし、コピーをしたからといって「パクリ」と呼ばれる筋合いはない、と。佐野さんは、おそらく、コピーはもちろんしているが、コピーに加えてなんらかの新しい組み合わせ、付け加えをしなかったことはないのではないか。

2015-09-06 09:55:21
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

だから、それが「これまで一度たりともパクったことはない」「模倣や盗作は断じてない」というような発言につながったのではないか。しかしながら、そういう発言をそれだけ見てしまうと、(僕も含めて)多くの人は、そこに違和感を感じてしまわざるを得ないわけです。

2015-09-06 09:56:22
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

「模倣や盗作は断じてない」という発言は、文字通りに読めば「コピーを全くしていない」とか「素材を活用することもしていない」と普通は捉える。しかし、いろいろな事実から考えても、そんなわけはないわけです。さらにそもそも論として、広い意味での模倣ですらゼロのようなものはほとんどない。

2015-09-06 10:01:19
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

そうなると、オリジナル素材の製作者へのリスペクトはもちろん、デザインの基本を産み育ててきた歴史や蓄積、デザインの「巨人」へのリスペクトが薄そうに感じられてしまう。自分だけで全てを生んだんだ、と認識されているのではないか、それはいかがなものか、と感じられてしまう、と。

2015-09-06 10:04:04
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

もちろん、ネットからの素材取得そのものも否定されてしまっているようで、そうだとすればそれは極めてまずいことであって、なぜそういう否定をされてしまったのか、その理由には興味があるところです。

2015-09-06 10:04:26
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

素人の感想を述べてしまいましたが、外からの意見を言わせてもらいますと、巨人というか先達へのリスペクトは具体的形にするような文化がアートにおいてもできると良いのでは。素材を使う許諾が必要な場合はもちろんすべきだし、そうでない場合であっても取得元、ソースは明示すべきだと思います。

2015-09-06 10:07:51
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

デザインや音楽などのアートで、抽象的・アイデア的にインスパイアされた素材があったら、具体的には全然違うものになっていた場合であっても、それも明示したってわるくはないのでは、とすら思います。

2015-09-06 10:10:00
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

著名なアーティストやデザイナーの作品が、ネットに転がっている名もない人による名もない素材にインスパイアされた、と明示するようなことがあるとすれば、それはなんかとてもクールでカッコ良いことだし、誰も損はしないし、Win Winにしかならないのではないか、と。

2015-09-06 10:10:39
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

研究の世界では、そういうことがわりと普通にありますね。明らかにすごい発見・発明がなされた論文において、無名のジャーナルに掲載されている無名の研究者の古い論文が、カギとなる先行研究として活用されていたりすることがたまにあって、そういうのはとてもクール。

2015-09-06 10:13:58
Tsuyoshi Miyakawa @tsuyomiyakawa

先駆者へのリスペクトを示すという精神論的な意味ももちろんありますが、よい素材は有名・無名にかかわらず(必要な対価が支払われた上で)世の中でどんどん使われるべきなんですね。ソースが明示してあればそれが使いやすくなりますし、その素材を生みだした人が活躍するきっかけにもなりうる。

2015-09-06 10:16:51