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さて、『文學界』の「新人小説月評」。今月最も高く評価した作品は、三輪太郎「憂国者たち」。三島由紀夫を研究する二人がが、方や内戦を取材し、方やヘイトスピーチの現場に出くわして変わっていく。クライマックスには「ゼロ年代日本SF界の最高傑作」である『虐殺器官』という名前まで出てくる。
2015-09-09 03:39:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
SFと純文学の間にある垣根などというのは、以前ほど高くないのではないだろうか。週刊読書人に掲載されていた小谷野敦さんと栗原裕一郎さんの対談でも、『新潮』に掲載される作品が「SF」だと評されていたし。(ぼくもそう思う)。芥川賞候補になった内村薫風の「Mと∑」なんて、特に。
2015-09-09 03:41:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@kawamoto_nao その見解が成立するためには、「純文学」という日本語の指している、独自の歴史や蓄積を持っている領域が、日本の外にもあるのかどうかということを、精密に検討する必要があると思います。
2015-09-10 23:00:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@kawamoto_nao 無論、「純文学」は日本固有か否かの論争については、第二次純文学論争における有名な争点だったので、改めてぼくが再論する必要もなかろうと思いますが。
2015-09-10 23:02:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kawamoto_nao 芥川賞の授賞式にぼく、呼ばれていってますし、忘れるわけないですよw
2015-09-10 23:03:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@kawamoto_nao 「気がする」のは自由ですが、純文学が海外にもあるかないかの問題は、その「気」とは無関係な問題です。これについては、見解を出された方がよろしいかと。
2015-09-10 23:09:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@naoya_fujita 大衆文学と純文学の差は海外文学にも「かつては」ありますよ。藤田さんの発言はその垣根をSF側から超えたニューウェーブSFを忘れて日本の文壇内のことばかり話してらっしゃる。
2015-09-10 23:10:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@kawamoto_nao なるほど。いわゆるPopular fictionと対比されるSerious fictionを、「大衆文学」と「純文学」に対応させることができるお考えなのですね。英語でPure literatureと言えば、日本固有のジャンルを指す言葉なのですが。
2015-09-10 23:17:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
英米圏の人間が、「純文学」とSerious literatureをイコールだと思っていたら、Pure literatureという言葉を使ってわざわざ別のものと示す必要はないと思うのだけれど、いかがだろうか。
2015-09-10 23:19:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@naoya_fujita レトリックはどうでもいいです。もう一度問います。何故「今」「SFと純文学の垣根が崩れてきた」とお考えに? 円城塔さんの芥川賞受賞の場に立ち会った藤田さんが? 筒井康隆さんすらSF内の枠に押し込めることは最早出来ないのに?文壇内ポジショントークですよね?
2015-09-10 23:19:45![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
.@kawamoto_nao レトリックではないです。あなたが無知であると指摘しているのです。
2015-09-10 23:20:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kawamoto_nao では問いますが、「何故「今」「SFと純文学の垣根が崩れてきた」とお考えに?」との質問の前に、ぼくがそのように考えたと解釈をなさった根拠となる文章を引用していただけますか?
2015-09-10 23:22:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kawamoto_nao この発言部分をそう受け取ったのでしたら、読みが甘いのではないでしょうか。「SFと純文学の間にある垣根などというのは、以前ほど高くないのではないだろうか。」 まず第一に、「今考えた」ことの根拠にはならない。第二に、「以前」で指している時期を誤認してないか
2015-09-10 23:25:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
この発言は今日ですよ。「以前」で指している時期を誤認というのは言い逃れです。最近の週刊読書人や『新潮』の掲載作品を参照になさっているのでは。 twitter.com/naoya_fujita/s…
2015-09-10 23:27:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kawamoto_nao 「何故今その発言をするのか、その行為遂行的な目的は何か」という問いであれば、先ほどの文壇ポジションの問題を解釈の解として推測し、ぼくの内面を誤認したのも、理解はできます。
2015-09-10 23:27:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
回答になっていません。オウム返しです。何故垣根がなくなってきたと今日発言したかご教示下さい。遥か前から垣根は崩れているのに。 twitter.com/naoya_fujita/s…
2015-09-10 23:28:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@kawamoto_nao いくつか。1、同じことは、当たり前のように自分で思っていても、世の中に何回繰り返しても、重要ならば、別に損はない。2、「以前」という言葉でぼくの念頭にあるのは、1930~60年代。なぜなら、最近その時期の日本文学を読んでいるから。
2015-09-10 23:29:07