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続・鼎談「ライトノベルは文学か」にまつわる議論

各所に議論が広がっていますが、とりあえず藤田氏と海法氏の議論を中心に、ラノベ天狗の横槍も交えつつまとめました。 前編はこちら。 http://togetter.com/li/796272
書籍 文学 ライトノベル
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藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
まあ、「ラノベの認識が、雑だ」とか、「ラノベを侮辱された!」とか言うなら、二度とその口で文学や批評について雑な認識を示したり、軽蔑や偏見を口にするんじゃねぇ、ってな。
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita 雑なものは雑ですよ。雑な認識がお互い様というなら、お互いに指摘を受けて対応するのが学問というものかと思います。また専門家が専門分野で言及する場合の責任というものも無視されてますね。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 あー、そこの認識の違いかもですね。石坂秀之、大槻慎二、福江泰太氏の三名は、狭義の研究者や専門家ではなく「編集者」だと思います。紹介からも自認も研究者データベースからもそう判断します。この文章は、編集者が実務をどういう文学観でやってきたかを知る資料として見てます。
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita 狭義の研究者で有ろうと無かろうと、客員教授および講師をやっている人には専門性が求められると私は考えます。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 それはそうなんですが、では彼らは、何の専門家で、責任を持つべき専門分野はどこなんでしょうか?
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 あそこは、大阪芸大の文芸学科という、書き手、もしくは文章に関わる産業に従事する人たちへの教育を行うことをミッションにしている特殊な学科なので、編集者としての彼らが、自分たちのしてきた実務やそれへの考えを披露するのは、教育的に間違ったこととは思わないです。
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita 例えば彼らが自転車の専門家で、たまたま同人誌でラノベ語りしたというなら、無論、専門家責任を求めるのはお門違いと思いますが、そういうお話でしょうか?
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 専門性をどこまで細かい解像度で認識するのかの問題ですが、ぼくの認識の解像度からすれば、彼らをライトノベルの専門家とは見做しえません。ライトノベルの編集者をしていたわけでもないですし。自転車ほど専門が遠くはないですが、専門が違うことも間違いないわけで。
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
「文学」寄りの編集者が「ライトノベルは文学か」というテーマで話すよう依頼された時に、自分には「文学」はともかく「ライトノベル」の知識が圧倒的に不足しているので無理です、と辞退する選択肢は全く無かったんでしょうか。本当に不思議に思います。
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
そうですよね。なんで「ライトノベルは文学か」なんていうテーマの鼎談引き受けてしまったんでしょうね。 twitter.com/naoya_fujita/s… ぼくの認識の解像度からすれば、彼らをライトノベルの専門家とは見做しえません。ライトノベルの編集者をしていたわけでもないですし
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
その能力がないのに「専門家」としての立場が求められる仕事を引き受けてしまったことが問題なのでは。依頼の時点でちょっとどうかしてますが。「文学」系の専門家と「ラノベ」系の専門家が半々といった構成なら問題なかったのに。
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
「ラノベ」側の専門家が同席していてきっちり訂正入れられるような場なら、あのぐらい雑な印象論でもまあ一つの意見として見られたんでしょうけど、「文学」一色で言いっぱなしですからね。問題視はされるでしょう>ラノベについて、よく知らないなら、ちゃんと調べた上で慎重に書くことが求められます
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujitaあ、よかった!自転車とか、文学やラノベにまるで関係ないことが専門なのかという話かと思ったらそうじゃないんですね。だったら専門家としての責任は当然存在しますね。 自分たちのしてきた実務や考えを披露する上で誠実な研究を見せる責任がありますね。
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita 文学の専門家がラノベと文学について語るならそこには専門家の責任が発生します。ラノベについて、よく知らないなら、ちゃんと調べた上で慎重に書くことが求められます。普通の話かと思いますが、いかがでしょうか?
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 それをひとつの専門と見做すのは、ぼくにとっては「雑」です。
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita いえ、別に「一つの専門」とは見なしてません。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 彼等は「文学の専門家」なんですかねぇ? というか、そんな大きな専門家がありうるのか…… ぼくは、学問的には、「筒井康隆の超虚構理論」の専門家ぐらいしか名乗れません。専門って、そのぐらい狭いものでは。彼等は、彼らが担当した編集の実務の専門家、です。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
そもそも、あれが専門性をそんなに重視する内容なんだろうか。「挑発による生産性」があるからいいじゃん、と最初にぼくが結論を出しているのがパワハラだとか言われているんだけど、文芸学科というのは、そういう生産性がありゃ充分でしょ。就職実績とかも確認したよ。
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
そんなもんネットで広く公開するべきではないでしょう。> twitter.com/naoya_fujita/s… 「挑発による生産性」があるからいいじゃん、と最初にぼくが結論を出している(略)文芸学科というのは、そういう生産性がありゃ充分でしょ。就職実績とかも確認したよ
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita いや「文学の専門家」などという専門家がないことはわかっていますよ? 科学者という科学者がいないのと同じです。 一方で、理論物理学者が化学に言及するときであっても「科学的にこう言える」という話を理学部学生に講義するなら、専門家責任は発生しますよ。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
.@nk12 だから、そこが、創作を教えるという、特殊な学科の厄介なところなんですよね。「科学的にこう言える」を教える(教えられる)場ではないんですから。単に情報を伝達するだけで済むような教育とは違う手法が必要になってくるというか。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
というか、創作系の学科は、どれだけの作家を生み出したのかで評価されるのが基本じゃないんだろうか。そこでは、色々な技法が用いられるに決まっているし、どの手法が正しかったかの証明は、教え子たちがどれだけ実作者として成功するかの未来でしか測れないよ。WEB公開にツッコミ入れるのは自由。
佐藤葵@みんなをディフレクト @srpglove
そもそもあれを教育の観点から批判してた意見ってどのぐらいあるんでしょうか> twitter.com/naoya_fujita/s… 創作系の学科は、どれだけの作家を生み出したのかで評価される(略)どの手法が正しかったかの証明は、教え子たちがどれだけ実作者として成功するかの未来でしか測れない
海法 紀光 @nk12
@naoya_fujita 科学的に証明しづらい経験論やフィーリングについて語るのは当然かと思います。一方で単に間違ったことを書いてる部分は批判されて当然でしょう。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
@nk12 それは、自由だし、するべき。だけど、学生の気持ちを代弁したり、学問がどうあるべきかとか、関係ない話を持ち出すのは、おかしい。
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コメント

山下238 特撮とアッシマーはいいぞ @Yamashita238 2015年3月19日
「○○はSFじゃない」とまず言われるあの界隈よりは健全かもな
小川淳次郎 @sazanka_mimiga 2015年3月19日
読むに耐えない屁理屈でごまかし続けて最後は議論してないしと逃げるのってなかなかの傑物。
暇奈椿@幼い女神はかく語りき2巻 発売中 @tubaki85 2015年3月19日
何となく話のまとめ追ってたらつい夜更かし。個人的にはラノベは文学じゃないと言われても「アッハイ」としか思わないけど……まあそういう議論でもなかったか。電子化されたラノベがいずれ動いたり光ったり音が出るように、ってのは「……それってギャルゲでは」と思ったり。
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
"議題がコロコロ変わって一貫性がない" "しなくてもいい話をし始める" 藤田さんはこういうのを議論に勝つための主張を単純化しない技だと言ってる。 https://twitter.com/naoya_fujita/status/576097729799004160
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
だから、「これが研究ならば、次の手順は守られるべきだ」という話がはじまったら「専門家をどのように定義するんだ?」とか無意味な話が始まるのは藤田さんの中では正攻法なんだろう。最後に「お前のおかげで俺は得した」とかその場での議題と関係ないわけわからん話をするのも、もちろん主張を単純化せずに議論に勝つための技なんだろうなあ
liatris @liatris_blog 2015年3月19日
議論に勝つためにやってるちぇいうのがどうも...。まぁ人間なんで議論してて優位にたちたくなる気持ちはわからんんでもないですがさすがに最後の方はちょっとひどい。詭弁が多すぎて会話にならん。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
さすがにそれは誤読でしょう。「これが研究ならば、⚪︎⚪︎である」という(類の)主張に対し、論拠(トークイベントである、ゼミ生が作った雑誌である、登壇者はいわゆる研究者ではない)から、間違った前提であるのを根拠持って示して、結論を否定しているだけでしょう。それは「一般的な議論」の手続きよ。
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
naoya_fujita まず、研究とは教授やいわゆる研究所の職員だけがするものではありません。研究に属人性は問われないので、藤田さんのその主張が成立するには、「これは研究ではない」を採用するしかないのですが、それでいいんですか?
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
lotusredcat もしそうだとすると、ライトノベルや純文学の有り様や価値、手法etc...を探求し紐解き、明らかにするものではないというところまで成立してしまうんですが、いいんですか?
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
「学問的」を「持ち出すならば」、語の定義や前提の正しさからガチガチに固めるのが当然の作法。
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
naoya_fujita そうだとすると、問うべきなのは「彼らが専門家かどうか」ではありません。
positive seed @sticknumber31 2015年3月19日
ラノベも一応文章なんだから文学範疇でカテゴライズされるって事で良いんじゃないの? メディアミックスはまた別の話なんだろうし。 むしろ文学で括れないなら何なんだよ?
liatris @liatris_blog 2015年3月19日
なんかtogetterのコメント欄で議論が始まりそうな勢いですね・・・。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
そうするとまた「研究」の定義の話になってしまう。「研究」にどんなイメージを持って言葉を用いているのかが、みんなアバウトなんだもの。広義の「研究」、というか知の営みではあるけど、狭義の「研究」ではないような。「広義」の方は、それこそ広くしてしまえば、Twitterでの雑談すらも「研究」と呼びうるけど。
海法 紀光 @nk12 2015年3月19日
藤田さんのツイートには、藤田さんが認めない第三者の主張も、それとわからないように混ざっているわけで、そういう状況で「誤読でしょう」と言われても、無理がありますよ。誤読しかできません。 あ、「誤読でしょう」というのも、藤田さんご自身の意見ではない可能性がありますね。失礼しました。
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
naoya_fujita つまりこれは学問的厳密な研究ではないが、探求には違いないというわけですね。では逆にお聞きしますが、事実誤認や誤りを含む探求をどのように正当化できるのですか?
liatris @liatris_blog 2015年3月19日
鼎談のテーマが「ライトノベルは文学か?」なんだけど大きくそれて何の関係もない話になってしまったのがちょい残念。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
「あなたが学問的誠実さを持ち出すならば、じゃあ、定義や前提の確認をする作業を、しますよ」ってこと。ジャンルが「放談」「雑談」だと思っていたらそんな野暮はしないよ
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
@lotusredcat その意味では、間違いを含んでいる可能性がある発表を行って、反論や訂正を受けることで「真理(んなもんがこのテーマに成立するのか?)」に近づくプロセスとして正当化しうるのでは。
紅蓮の猫 @lotusredcat 2015年3月19日
naoya_fujita つまり、事実誤認や誤りは認めないが、それを正すなら(発表時点でのそれらは)正当化されるということですね。 であれば、つまるところその研究において、このまとめで言われたような研究者の責任は存在するということになるでしょう。
いかれるまぐろうさぎ @miruna 2015年3月19日
文学が何かなんてどうでもいいんであの老人の語る「文学」のみが現実を写し取った正真正銘の現実であるという証明とライトノベル読者は成熟できないのに対し幼稚な薄汚いラベリングを行うばかりのこの老人どもが成熟した人間であるという証明まだー???
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月19日
ぼくはこの鼎談を、「ライトノベルは文学か?」という真理を本気で探究する類のものではなくて、エディトリアルコースの中で教育を の一環として行われたトークショーであると、複数の証拠から主張しているのだけれど。
positive seed @sticknumber31 2015年3月19日
釣られたわ。ラノベ読むのやめます。
いかれるまぐろうさぎ @miruna 2015年3月19日
ラベリングとマウンティングによる差別構造の維持は教育的であるという思想
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
ライトノベル・文学という語の定義が失敗するのは、本来「定義」が対象する語とは違う性質を持っているからだろう。例えば「素数」なら「1 と自分自身以外に正の約数を持たない自然数で、1 でない数」で良く、その数字以外には何も見ず誰にも相談せずとも、素数かどうかを判別できる。一方、ライトノベル・文学は異なる。文章表現の観察だけでは決定できず、「その文章表現の社会における地位・取り扱い・認知」、いわば「私たちとその文章表現との関わり方」というような、機械的に決定できない要素を取り込まざるを得ない。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
ライトノベル・文学は(イーグルトンの『文学とは何か』から借用した例えをつかうと)「雑草」という語と同じで、雑草と呼ばれる性質を備えた草が存在するのではなく、「私たちが庭に生えてほしくないと思う種類の植物」という、関係性に基づいて定義されているものと言える。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
もちろん「雑草」にしてもなんとなくは機械的な定義も作れる。だいたい茶色か緑色で、やたらと繁殖して、綺麗ではないものとか。とはいえ、「素数」ほど明確ではないし、「綺麗ではない」も結局「いまの私たちが綺麗だと思うかどうか、社会的に綺麗だという扱い・承認を受けているかどうか」である。草だけを観察してそれが雑草かどうかを原理的に決めることはできない。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
連投申し訳ない。最後。――で、「ライトノベルは文学か?」という問題に対して、訊かれてもないのに私が答えるなら、「文学ではない」とする。これは「ライトノベルは文学に比べて質が悪いから」とかそういう価値判断は含んでいない。単に、ライトノベルは文学の扱いを受けていないから文学ではないというだけで、ニュアンスとしては「チューリップは雑草ではない」と同じ(もちろん今後の社会の変化でチューリップが雑草になる可能性もある)。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
雑草っていうのは、一言で言うと「名を知らぬ草花」ですよ。雑草とは「名前がない草花」でもなければ、「望ましくない草花」でもない。名づけも定義もしない限りは、全て「雑」の一言で片付けられてしまうのですよ。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
他人の意見について「雑」だというのなら、少なくともそう批判する者は「雑」ではない何かを提示する義務があり、そうしない者の発言は第三者からみて単なる印象論や水掛け論どまりにしか映らないことを理解すべき。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
@C_Kozakura たとえ話の内容が理解できてないです。オオバコのような「名前を知っている草花」でも「あれは雑草だ」と言うことも普通かつ自然な会話として成立しますし、また名前を知らなくても、見た目あざやかな花をつけているパンジーやチューリップを見て「雑草だ」などとは言いません。無理にそう言えば相当不自然に思われます。ただ、そもそも「雑草の定義はこれだ!」というのがメインの主張ではないのです。その意味で論難の方向が外れています。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
語の定義は、常に論理的な完全性をもって確定できる形で出来るわけではなく、私たちとそれとの「関わり方」や「社会的認知」から間接的に特定するしかない場合もあるということです。「文学」や「ライトノベル」はそのような語であり、対象の観察のみでも理論的・原理的には確定可能な「素数」や「気体」といった語とは違うのです。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita 2015年3月20日
「定義」の話については、数日前に話題に出したこのエントリがわかりやすいよ。http://anond.hatelabo.jp/20130722013200
ogtk5tdh @ogtk5tdh 2015年3月20日
文学の意味は言語表現による芸術なのでライトノベルが文学ではないという人は頭か心が悪い人なので、大事なのはそういう人をどうやって排除するかじゃないでしょうか?
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
zairic0 雑草にも定義はあります。人を批判する前に辞書の一つぐらいはごらんになるべきです。貴方の言う雑草はそもそも誰もが認める定義ではないのです。貴方の思い込みに過ぎない個人的認知以前に、既に定義されているものを「定義されていない」と強弁して話をそらすのは建設的ではないといっているのです。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
自分にしか通じない概念を「定義」と呼び、他人の意見を無視する態度が昨今のライトノベル批判が他者に理解されない根本的な理由なんですけど、ここが理解されてないのがなあ。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
@C_Kozakura わたしはこれまでのコメントにおいて、文学・ライトノベルを「定義されていない」とか「定義できない」とは言っていなくて、「(素数や気体のような極めて確定的な定義とは)定義の性質が違う」といっているのですが、よく読んでもらえませんか。辞書を持ち出してくるであろうことも予想の範囲内ですが、だったら辞書でもいいんですが、「素数」と「雑草」を定義する文章が、両者まるで性質が異なることがわかりませんか。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
いえね、貴方が定義できるできないを行っているのではなくて、誰かと話がしたいならお互いに通じる概念を持ち出すところ、もしくは共通の理解ができることを固めていく作業はいるでしょ。いきなり、「貴方が理解していないもの」を持ち出されても、相手は理解のしようがないわけで。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
ライトノベルが他者との関係でしか語れないのは、あくまでボルボラ氏個人の見解であって、他者もそうとは限らないのですよ。定義の質が異なるからという理由で、他者そのものとの意見の違いを指摘することなく、放置するその態度がダメなんですよ。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
まあでもさすがに「ライトノベルは文学でない」というのは「オオバコと定義されている草を雑草だと言い張る」ぐらいに主観的な結論だと思いますけどね。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
@C_Kozakura 内包的定義と外延的定義の違いを調べて下さい。ライトノベル・文学・雑草に関しては、内包的定義を実態に合う形で作成するのは極めて困難(実質的に不可能)だというのが私のコメントの主旨です。確かに、私たちの社会において文学と非文学を区別し異なる扱いをしている実態を無視して『文学の意味は言語表現による芸術』(@ogtk5tdh)などと言ってみてもいいですが、そうした定義は机上の空論か、せいぜい分類上の都合を前面に出したにすぎず無意味です。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
内包的定義が実態に合う形で出来る出来ないかという話ではなくて、他者と一つの見解を得るべく話し合うのならば、事前に何らかの立ち位置を定める必要があって、その立ち位置がない、という結論を出すのならば、そもそもそれは他者と語る意味がないのです。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
私が行っているのは、定義論そのものの話ではなくて、相互理解を図るための技術論のお話です。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
@C_Kozakura そう仰られても、私のコメントの文章を完全に無視されると、相互理解もなにもないのですが。一個目からして、『雑草にも定義はあります』(私は「ない」なんて言っていない)、『定義されていないと強弁』(同上。してない)という始末ですし、『他人の意見を無視する態度』をとっているのは貴方だと思うのですが。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
いやね、貴方がライトノベルを定義する気がないのなら、コメント欄伸ばすのが無駄だから黙ってろ。としかいえない。誰もあなたの「定義」という言葉の解釈を聞いているわけではないのだから。
ボルボラ @zairic0 2015年3月20日
@C_Kozakura それはあなたの独自のルールでしょう。私には関係ないですね。「ライトノベルの内包的定義を以下に記述してください」などとコメント欄に書かれているのならまだしも。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月20日
個人的主観と共通認識の区別がつかない人につける薬はない。
ogtk5tdh @ogtk5tdh 2015年3月20日
出版指標年報だとライトノベルも文学扱いされてますが分類の都合ってやつですかね。あまり文学は詳しくないので「区別し異なる扱い」というのを見たことありませんが文学の話でライトノベルに言及されないことが多いとかですかね?
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
@ogtk5tdh そもそも問いとして「文学はライトノベルか?」が立てられる以上、賛成派にせよ反対派にせよ、お互いに一定以上「入るかもしれないし、入らないかもしれない」という可能性の前提があります。そうでなければ最初から問われることすらないでしょう。言い換えれば、辞書や指標の定義に疑念が呈されているというのが全員の前提であり、この状況下で「辞書や指標を使えば良い」というのは答えとして原理的に不適当なのです。「なぜ辞書・指標そのままで良いか」が必要です。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
追加でもう少し言っておくと――とりあえず「文学側」と「ライトノベル側」を仮定するとして――ある小説作品群を「ライトノベル」と呼称し、純文学や一般文芸その他と区別しはじめたのは、歴史的経緯からいって明らかにライトノベル側です。ライトノベルは発端として完全な『自称』です。文学側から「低劣だからあのあたりの小説作品は仲間はずれにしよう」などと言い出して、それら小説作品を「ライトノベル」と否定的に名付けて弾いたという話は存在しません。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
つまり、前のツイートでは文学側から「ライトノベルは文学ではない」という話をしましたが、ライトノベル側からでも可能です。ライトノベルと言い始めたのは、あかほりさとる氏です。氏がなぜライトノベルを自称しはじめたのかといえば、『クラスに40人いたら、本を読む人間は5人しかいなくて、残りの35人でも読めるものを作ろう』(著書『オタク成金』より)という意識のためです。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
すなわち、ライトノベルを意識的に製作している側も、これからライトノベルとして出版する小説作品を文学のようなもの(ごく一部の人間しか読めないもの)にはしないというある種の対立的な姿勢があったと言えます。であれば、せっかくそのような問題意識から新しく打ち出された「ライトノベル」を「文学」とするのは、歴史的な出自に背くことになるでしょう。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
もちろん、当初のライトノベルと現在のライトノベルは目的も内容もかなり異なるものです。あかほりさとる氏の問題意識も、今いる全ライトノベル作家に共有されているとは決して言えません。よって、「今のライトノベルは、文学にも入るのではないか?」(あるいは文学になったのではないか?)という考え方はあるとは思います。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月21日
自分が理解できないもの定義できないもの、それでも事象としては存在するもの。そういうものを受容できない人は一定数いるというサンプル。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年3月21日
他人の意見にノーと答えるのは態度の表明であって、意見ではない。少なくとも意見というのは、定義できるかどうか以前に私見の一つの提示ぐらいはするべきなんじゃないのかなあ?
いかれるまぐろうさぎ @miruna 2015年3月21日
それ多分偽史。ニフティかどっかでヤングアダルトのアダルトって言葉卑猥っぽく受け取られね?ってことで言い換えはじめた連中がいたのがはじめたのがライトノベルという呼称。単なる差別発言問題でしかないこの件で全く関係がないライトノベルの定義論をするとしてもその理屈はおかしい。ライトノベルは文学か、ではなくライトノベルが純文学どころか一般大衆文学と較べてすら劣る成熟できないいつまでたってもガキな奴向けのリアリティの欠片もない小説である、という論旨なのでそういう話をしたら?
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
@miruna 私のライトノベルの誕生経緯についての認識は、無知の類でしたか。出版されているので事実として受け入れていましたが、可能であれば情報源をいただけると助かります。
いかれるまぐろうさぎ @miruna 2015年3月21日
ライトという軽薄さがまとわりつく呼称に作家側からも読者からもおおいに反発があったし今でも嫌う人間だっている。そもそも最大手である電撃文庫がライトノベルをレーベル側が積極的に名乗ったことはいまのところあまりない。一部の人間がよかれとはじめた言葉が蔑称としても定着したのがライトノベル。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
@miruna 私は「ライトノベル」という呼称を、もちろん蔑称として使用されることもあると認識した上でですが、基本的には「出来る限り万人に読めるもの・前提知識なしに読者が“楽しめる”もの」をつくろうという良い目標を持ち、実際に中高生を中心に広く受け入れられたと肯定的に評価しています。しかしながら、蔑称性が強いというのであれば「ライトノベル」という語についての認識を改めます。
いかれるまぐろうさぎ @miruna 2015年3月21日
限定された状況下における脳味噌が硬直した老人の逆張りでこれは文学の伝統だから許せよ、と言われましても別に文学者でもない以上許す理由が存在しないよね、何より元アフタヌーン編集長レベルがライトノベルどころか漫画に対してすらこれだけ差別的な意識を未だに出版社の人間が抱いているというとんでもない事実を無視してどうなるのかまるでわからないよね。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
ライトノベルと文学は異なるものなので、比較自体が妥当ではなく、上下の序列構造も当然存在しないという認識です。しかるに、ご指摘の出版社の人間が抱いているという差別意識には反対です。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
ただ強調しておくなら、文学とライトノベルのそれぞれの外延的定義に従うならば、やはり両者は違います。文学の目的は「楽しい」エンターテイメントではなく、その思想も、社会・国家・民衆等に批判的か、あるいは厭世的です。ライトノベルや一般文芸でよく使用される(悲劇もあるので絶対ではないですが)成功や勝利などに基づいた爽快感のあるプロットもあまり組まれません。それが高級だといいたいのではなく、違うのだから違うままに取り扱うのが正しいと考えています。
海法 紀光 @nk12 2015年3月21日
「文学」かどうかというのが、チューリップかどうかという「科」に関する定義で、「ライトノベル」というのが「雑草」かどうかという関係性に関する定義で、定義の種類あるいはレベルが異なる、というのなら両者の定義は排他的ではない、というのが妥当でしょう。 つまり「個々のライトノベル作品」は「文学」である場合も、そうでない場合もありうる。 ある植物がチューリップ科であっても、畑に蔓延ったら、引っこ抜くべき雑草になるよ、と。
海法 紀光 @nk12 2015年3月21日
であるなら「ライトノベルと文学は異なる」と言ってしまうと誤解を招くような。 「ライトノベルの定義と、文学の定義は異なる」なら、もちろんその通りですが、それはほとんどトートロジーですよね。
海法 紀光 @nk12 2015年3月21日
で、鼎談においては、ライトノベルは、いわゆる純文学でないどころか、大衆小説を含む小説ですらない、ということなので、さすがにそれは無理があるのでは、というのが出発点ですね。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
@nk12 ご指摘の通りで「ライトノベルは文学ではない」は排他的(ある小説がライトノベルであることが確定した時点で、同時に文学ではないことも確定する)な主張になってしまいますね。ライトノベルかつ文学であることは有り得て、しかし通常は目的意識や手法、受容のされ方等が大きく異なるため、実際的には両者はおおむね別である、くらいの意図でした。私の文章が間違っております。
海法 紀光 @nk12 2015年3月21日
zairic0 整理にご協力いただきありがとうございます。私の感覚だとチューリップに相当するのは「文学」ではなく、「純文学」になるでしょうか。 その上で、現代において「純文学」という概念もかなり広がってきてるので、事実上ラノベと排他的、とも思わない立場です。
ボルボラ @zairic0 2015年3月21日
@nk12 ああ、たしかにそうですね。現代文学のことは完全に失念していて、想定にありませんでした。文学の拡張とそれに伴うある種のライトノベル側への接近という観点は極めて重要ですね。ご教示いただきありがとうございます。
Tsuyoshi CHO @tsuyoshi_cho 2015年3月23日
暴力性があるといいつつ、その責はとらん、ということかいな?
荻上3 @otakuhatena 2015年5月17日
面白いと思った。というのは、いわゆる「文学」側から専門でない領域での「事実誤認」を瑣末なものとして捉えていいというお達しが来たわけで。これを使えば例えば禁書の「熱膨張」への批判も瑣末なことに拘る生産性の無い言説として無意味化できる。
荻上3 @otakuhatena 2015年5月17日
逆に言えば、禁書の熱膨張を批判する限り、この鼎談の事実誤認の正当化はできない。ばかりか、「ラノベを正確に捉えないラノベ批判」自体も不可能になる。この成果(?)は大きい。つまり禁書という「ラノベ個別」を批判するものは自動的に「ラノベ全体」を批判できないし、逆に「ラノベ全体」を批判するものは自動的に「ラノベ個別」を批判し得なくなる。面白い。
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