"the"と論理

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Onegai @ckpr6nh

"the"について 英語は論理的な言語だってよく言われています。そうやって言う理由のようなもののひとつに、「the」というこのなぞの文字列があると私は考えています。いまからちょっとその話をしてみようと思います。

2015-09-24 00:23:31
Onegai @ckpr6nh

唐突に"This is the pen."と言うとき、そこには違和感があります。状況が限定されている感があるのです。他のペンではなく「このペン」でなければならないような特殊な事情が垣間見えます。そのようなときには不自然さはなく、むしろ"a"ではなく"the"を使わないとだめです。

2015-09-24 01:13:43
Onegai @ckpr6nh

"the"は現実に起こっていることに対して使われるのであり、また、現実に起こっていないものに使わないのです。ポイントは現実に起こっているかどうか、これだけです。そこから結果的に、それがただひとつのものに対してだったり、話者のあいだで共有されたものを示すことになります。

2015-09-24 00:52:24
Onegai @ckpr6nh

ある時刻をきっかり指定し、その空間を占めるモノを何か考えます。例えば、私の紺色のメガネです。これは赤や黒であることは決してなかった。そこにおいて現実に起こっているのは紺色であり、一方、赤や黒は現実に起こっていないのです。

2015-09-24 00:59:55
Onegai @ckpr6nh

メガネについて、現実は紺色というのみであり、赤や黒ではありません。このことから結果的に、ただひとつに決まるものに対して"the"がつけられます。こういうところが論理的です。英語は現実に起こっているか起こっていないかという区別を敏感に、繊細に、嗅ぎ分けているのです。

2015-09-24 01:23:43
Onegai @ckpr6nh

話のなかで"the pen"と言えば、そのペンが現実に起こっているのであり、他のペンがその空間を占めていてはいけなかったのです。そのペンでなければならなかった。私のメガネが紺色でなければならなかったように、それはそのペンでなければならなかったのです。

2015-09-24 01:06:01
Onegai @ckpr6nh

そしてまた、りんごではなく「リンゴ」でなければならなかったように、そのペンでなければならなかったのです。もちろん同時刻同空間において「リンゴ」は他のりんごではなく「リンゴ」でなければならなかったのですが、ここでは「記述の余地」という側面を考えます。

2015-09-24 01:07:52
Onegai @ckpr6nh

連休なので家族で遠くのおばあちゃん家にいきました。その帰りに「リンゴ」をひとつ手渡されました。この「リンゴ」は近くのスーパーにたくさん売っている「りんごたち」のひとつではなくて、久しぶりに会ったおばあちゃんにもらった、その子供にとってかけがえのない「リンゴ」です。

2015-09-24 00:37:13
Onegai @ckpr6nh

以前私は「固有名」とかいうやつを「記述の余地」という言葉を使っての説明を試みました。すなわち、一般の「りんご」に対して、固有名を与えられた「リンゴ」には記述の余地がある。その「リンゴ」にはいまのようなエピソードが付加されるかもしれないのです。

2015-09-24 00:42:08
Onegai @ckpr6nh

"the"のついたペンには、つまり、記述の余地があるのです。そして、それは複数の話者のあいだで共有されることもあるでしょう。「リンゴ」のやりとりをしたおばあちゃんとこどものように。しかし何度も強調しますが、これはあくまで結果的にです。

2015-09-24 01:18:28
Onegai @ckpr6nh

はたして私には「意志」なるものがあるのかしら、と自分の腕を上げてみます。ある時刻でそれをした場合、その時刻にそうしなかったというのはありえません。私の腕がかくかくの位置にあり、かつ、私の腕はしかじかの異なる位置にあった、という現実が同時に起こることはまったく想像できません。

2015-09-24 00:59:13
Onegai @ckpr6nh

ある事実と、異なる事実が同時に起こる。それを「矛盾」と呼ぶならば、英語は矛盾か否かについていつも厳しい判断をします。矛盾はこの世界においてありえず、この世界は徹底的に論理が貫徹しているのです。英語の"the"にはそのあたりが如実に表れているな、なんてことを思うのです。

2015-09-24 01:30:10