高橋源一郎作 「アキューメン(acumen)」と「アンラーン(unlearn)」・「他人に届く思想」

作家 高橋源一郎氏 @takagengen によるツイッターでしか読めない即興小説「午前0時の小説ラジオ」。 思想家 鶴見俊輔氏の言葉を通して、学び、理解し、そして人に伝えるという事とは何か、どうすれば良いかを高橋源一郎氏が語られます。 ソーシャルメディアにおける様々な議論に参加される方にも参考になるのではないでしょうか。
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高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」17・「…相手の言うことをゆっくり聞かずに『あなたはまちがっている』と決めつけるのは、自分のただひとつの解釈によって相手をたたきのめす習慣で、それが欧米から日本に移ってきて、学校秀才のあいだに広く行われる。マルクス主義の時代、軍国主義時代と、イデオロギーが…」

2011-01-11 00:40:06
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」18・「…かわっても、相手をたたきふせる方法として、今も使われる。若者が自分を託す試験制度とは、そういう仕組みの原型だ」。耳が痛い。ぼくも「相手をたたきふせる」語法につかまっていることによく気づく。思えば、「答が一つしかない」学校教育の行き着く先はそこなのだ。

2011-01-11 00:42:12
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」19・だから、鶴見俊輔は、相手を叩きふせない。どんな相手でも、その相手のことばに「意味の幅」があると考え、応答する。「答は一つではない」と考えて、「では、別の答は」と問い続ける。鶴見がとりあげる対象も、そんな人ばかりだ。たとえば、こんな風に。

2011-01-11 00:45:05
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」20・「一九一一年八月二十九日朝早く、北アメリカの先住民ヤヒ族の男がひとり、カリフォルニア州オロヴィルの町にむかって歩いていた。彼の部族が死に絶えたので、彼は意を決して、白人の町にあらわれたのだ。彼が、クローバーという学者に出会ったのは幸運だった…」

2011-01-11 00:47:37
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」21・「…アルフレッド・クローバーは、言語学者のエドワード・サピアの助けを借りて、男のいうことを理解した。やがてこの男の暮らしていた現場まで案内してもらって、彼がどのように食料を得て調理し、どのように衣類をつくっていたかを実際に見る…」

2011-01-11 00:49:53
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」22・「…人は現場の活動を見なければ、その智恵の深さはわからない。これほど立派な人間を、自分たち白人は、これまでどのように低く見、殺してきたか。それを考えるとクローバーはうつ状態におちいり、それは死ぬまで彼を去ることはなかった…」

2011-01-11 00:51:44
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」23・「…夫の死後、クローバー夫人シオドラは、夫の遺したノートに基づいて、生前会うことのなかった男イシについて伝記を書く。その娘ル=グウィンは、イシの活躍する別世界をつくりだして、ファンタジー『ゲド戦記』を書いた」

2011-01-11 00:53:48
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」24・この話に、いくつものacumenの連鎖があることがわかるだろうか。最初は絶滅した民の末裔イシ。イシは孤独の深みから、立ち上がり、白人の町に向かって歩いた。学者クローバーはイシのacumenを聞き分けることのできるacumenを持っていた。

2011-01-11 00:56:06
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」25・クローバーは偏狭ではなかった。白人中心の考えではなかった。「他人」の存在を知ることのできる学者だった。だから、イシのことばでうつになるほどだった。クローバーの、そのacumenは妻を動かした。いや、さらに娘を動かした。

2011-01-11 00:58:15
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」26・その結果として、ぼくたちは、娘のacumenが創り出した物語『ゲド戦記』を読み、そのacumenに傾倒した宮崎駿のacumenが産み出すことになるものを(その息子によって)見ることができたのである。

2011-01-11 01:00:49
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」27・イシからぼくたちに向かって、その間にひとりでも、「あなたはまちがっている」という思想の持ち主がいたなら、acumenがなかったなら、ぼくたちのところにはなにも届かなかったのだ。思想やことばが「届く」ために必要なものがなにか、これならわかるだろう。

2011-01-11 01:03:23
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」28・アメリカ留学中の鶴見俊輔は太平洋戦争勃発と共に「敵国人」として捕虜収容所に入る。そのときのことを彼はこう書いている。「一九四二年五月、米国メリーランド州ボルティモアに近いミード要塞内の日本人戦時捕虜収容所で、『日米交換船が出る、のるか、のらないか』と…」

2011-01-11 01:11:08
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」29・「…きかれて、その場で米国政府役人に対して『のる』と私はこたえた。そのとき何を私は考えていたのか、その後六十五年の間に何度も考えた。そのときの考えをいつわらずに再現したい。まず、自分が日本国籍をもつから日本政府の決断に従わなければならないとは思わなかった」

2011-01-11 01:13:15
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」30・「…日本国民は日本政府の命令に従わなければならないという考え方からは、日本にいるときに離れていた。では、すでに日本から離れて収容所に入れられているのに、なぜ日本にもどるのか。私の日本語はあやしくなっていたが、この言語を生まれてから使い、仲間と会ってきた…」

2011-01-11 01:15:10
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」31・「…同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だち。それが『くに』で、今、戦争をしている政府に私が反対であろうとも、その『くに』が自分のもとであることにかわりはない。法律上その国籍をもっているからといって、どうしてその国家の考え方を自分の考え方とし、…」

2011-01-11 01:17:13
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」32・「…国家の権力の言うままに人を殺さなくてはならないのか。私は、早くからこのことに疑問をもっていた。同時に、この国家は正しくもないし、かならず負ける。負けは『くに』を踏みにじる。そのときに『くに』とともに自分も負ける側にいたい、と思った…」

2011-01-11 01:19:28
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」33・「…敵国家の捕虜収容所にいて食い物に困らないことのないまま生き残りたい、とは思わなかった。まして英語を話す人間として敗北後の『くに』にもどることはしたくない。だが、私が当時の日本国家を愛し、その政府の考え方を自分の考え方としていると誤解されたくもなかった」

2011-01-11 01:21:18
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」34・「…敗戦後もそう誤解されたくない。そこをわかってもらうことは、自分の家の内部でも戦中は危険、戦後、そして現在もむずかしい。政治家は、必要もないのに原爆を二個も日本人の上に落した米国の言いなりになり、日本国の大臣は米国の国務長官の隣に立つとき、光栄に…」

2011-01-11 01:23:12
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」35・「…頬を紅潮させて写真に写っている。この頬の紅潮はかくせない。まぎれもない事実である。勤め先の広島で原爆にうたれ、歩いて故郷の長崎にもどってそこでふたたび原爆を落されて生き残った人は、『もてあそばれた気がする』と感想をのべた…」

2011-01-11 01:25:08
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」36・「…この感想から日本の戦後は始まると私は思うが、その感想は、国政の上では、別の言葉にすりかえられたままである」。鶴見の「くに」はオリジナルだ。誰かの書いたものでも、誰かの考えたものでもない。彼の肉体と経験とacumenの果てに産み出したものだ。

2011-01-11 01:27:19
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」37・そのようなことばや思想しか、遠くまで伝わることはできないのである。交換船に乗ってから六十五年、以来、一度もアメリカを訪れようとはしなかったことも、鶴見俊輔らしいケジメのつけ方だったのだが。最後に、もう一つ、ぼくの好きな、鶴見の文章を引用して終わりにしたい。

2011-01-11 01:30:56
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」38・タイトルは「日米開戦」だ。「一九四一年一二月七日、夕食をとりに大学のわきの食堂に行くと、客がまばらだった。誰も私に注目することもなく、いつものように私はピーマンの肉詰め(スタッフト・ペッパー)を食べて、倹約のため紅茶も飲まず、まっすぐ下宿に帰った。…」

2011-01-11 01:34:37
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」39・「それまで置いてもらったヤングさんの家では、長男のケネスが国務省の役人になってワシントンに呼ばれ、一家は、大学三年生の次男チャールズをケムブリッジ市に残してワシントンに移っていった。私は、秋からひとりでケムブリッジ市に下宿していた。そこは屋根裏部屋で…」

2011-01-11 01:36:40
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」40・「…やってくる友人はいなかった。ところがその日、屋根裏まで戻ると、私の部屋にだれかがいる気配がした。入ってみると、ミドルセックス校以来三年間つきあいのあるチャールズ・ヤングが、ひとりで椅子にすわっていた。彼は立ち上がって私を迎えた。『戦争がはじまった…』」

2011-01-11 01:39:06
高橋源一郎 @takagengen

「他人に届く思想」41・「『…これからお互いを憎むことになるだろうが、私たちがそれを越えることを望みたい。』私のほうには、彼に対する憎しみが湧いてこなかった。その後の戦中の四年間、彼に対する憎しみが私の中に湧いてくることはなかった。そのときから、彼が亡くなった現在まで、…」

2011-01-11 01:41:54