shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
人の有史前も、後でも、忘れちゃいけないものが一つある。それは順番で言うと、一番前にある。 人間である以上、人間の歴史に、時代にいるのならば、それだけは忘れちゃならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それは没頭することだ、狂気を忘れないことだ。言い方を変えれば勇気と言われたり、開拓心と言われる。 それは日本でもアメリカでも関係ない。 人間である以上、歴史から、時代から、社会から求められる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
誰かが幅を与えないといけない。 没頭して幅を広げて、続く者が調整していく。 全てにおいて人間はそうして来た。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そこに賢いも何もない。 探究心という感情を狂わせて、没頭する。 その人間の没頭した歴史が、人類史に幅を持たせて、続く者が調整という名の教育により、調和を行う。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
誰かが狂わなきゃならない。 誰かが人間に幅をもたらす行動を取らなきゃならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
自己犠牲だ。 だがそれは犠牲の心ではない。 犠牲の心と評価するのは常に他人。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
@JO_JO_t_kaoru: 自己犠牲を行う者は、 憐れまれるためにやるのではない。 それが納得だからやるのだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
人間の権利は、人類史に幅を与える。 人は幅を貰い、調整してバランスを求めていくのが自明。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
自衛の権利の幅を、日本は棄てた、それは利用する自衛隊の連中ではなく、国民がその幅を棄ててしまった。 人間の歴史で、幅を棄てたらどうなるか? 幅をまた求めねばならなくなる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
だが過去とは違い、各国の人々が日本にその幅を、バランスを与える環境を日本は得た。 理想である。またその権利の幅を、暴力の幅を求めずとも、各国が与えてくれる。 それは同盟国然り敵国然りだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
感謝せねばならない。 人類史において、権利の幅の共有は人間の血で語り継がれてきた。しかし調和でその幅を手に入れる術を、 第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、冷戦、湾岸戦争など、 戦いが、戦う権利の幅が、日本に与えた。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
普通なら逆に妬まれるレベル、その血ではなく、調和により幅を手に入れるやり方に。

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