佐々木到一。国民党を賛美した日本軍人が、南京大虐殺の加担者になるまで。おまけ、松井石根。

参考文献、戸部良一「日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌」、笠原十九司「南京事件論争史」。
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佐藤マカデミア🦃 @TosachiS

買おうかなと思っていた本だがレビュー読んで不安になってきた: 松井石根と南京事件の真実 (文春新書) 早坂 隆 amazon.co.jp/dp/4166608177/… @amazonJPさんから

2015-10-12 10:00:48
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

@TosachiS @AmazonJP ああ、それね。私もちらっと立ち読みしたんだけど、「南京の人口は20万人。戦いのあと、人口が増えた」とか、お定まりの否定論を言ってて「ダメだこりゃ」というかんじです。

2015-10-12 11:37:39
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

@TosachiS @AmazonJP 松井石根本人が「一部の将兵が・・・」と限定的に事件を認めているので、全面否定論ではないけど、「ほんのちょっとの事件を、良心的な松井石根は気に病んだ」という話に持っていってます。

2015-10-12 11:38:12
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

旧日本軍の軍人に、佐々木到一という人物がいる。軍の任務として中国情報の収集と分析にあたり、いわゆる「支那通」としてキャリアを積んで、1937年の南京戦のときには、少将、旅団長として参加している。

2015-10-14 14:26:24
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

彼は元々、孫文たち国民党の幹部と親しくかかわり、孫文と国民党を熱烈に賛美して、「国民党かぶれ」といわれるまでの男だった。孫文を「孫先生」と呼び、「憂国の志士であり、公人としての大抱負はあるが、個人的の野心はない人である」という。

2015-10-14 14:26:36
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

孫文は今でこそ、「中華民国」の台湾で「国父」とされ、大陸中国でも「近代革命の父」とされ、日本でも有名だが、当時は軍閥が割拠する分裂状態の中国で、多すぎる政治勢力の一つに過ぎなかった。

2015-10-14 14:26:53
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

孫文が辛亥革命によって成立した中華民国の初代大総統に選ばれたのも、雑多な勢力の調整が期待されたからで、実力が認められたわけではなかった。

2015-10-14 14:27:05
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

しかし佐々木は、国民党の将来性に着目する。軍閥が抱える私兵は、私利私欲にまみれて規律がなく、すぐに略奪などを行って民衆を苦しめたが、国民党の軍隊は、友軍兵士の略奪を制止するような規律正しさがあった。

2015-10-14 14:27:32
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

軍官学校を作って革命教育を行い、中国統一のために献身する兵士を育てたことで、国民党が主役になると佐々木は分析した。

2015-10-14 14:27:48
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

だが、中国統一のナショナリズムが勃興するにつれ、日本が中国に持つ半植民地的な権益も、中国人に否定されることは考えなかったのか。「支那通」たちは、無邪気にも中国を支援している自分達によって、日本は例外扱いされると思っていた。

2015-10-14 14:28:41
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

1927年には、中国統一のため北伐を開始する、国民党革命軍に従軍した。佐々木によれば、いずれ国民党が中国を統一すると確信してきたので、日本軍と革命軍の間に自分が精神的つながりを作ろうと思ったらしい。

2015-10-14 14:29:07
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

国民党のポスターが、「打倒日本帝国主義」を掲げていたことは、佐々木を警戒させた。日本は革命軍の北伐に対し、「現地の日本人、居留民保護」を理由に軍隊を派遣していた(山東出兵)が、佐々木は中国側だけでなく、日本側も異様に気が立っていることを感じた。

2015-10-14 14:29:21
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

若い日本軍将校の中には、なぜ中国軍に世話を焼いているのか、と佐々木に詰め寄るものもいた。  そこで済南事件といわれる武力衝突が発生し(理由は日本側と中国側で食い違っている)、佐々木は中国人に暴行され、殺されかけた。

2015-10-14 14:29:35
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

中国人の副官が「この人は総司令(蒋介石)の賓客だから、殺してはいけない」といっても、北方系の兵士に広東語が通じず、殴られ、ポケットを切り裂かれ、所持品を全て奪われ、「殺せ、殺せ」という声が周囲にみなぎった。拳銃を肩に押し付けられ、通りを引きずり回され、

2015-10-14 14:30:34
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

窓から「殺せ、殺せ」「打倒日本帝国主義」という叫びが浴びせられた。全身打撲で右腕はしばらく自由が利かなくなり、下あごの挫傷で、食事も流動食になった。

2015-10-14 14:31:12
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

日本に帰国した佐々木は、事件発生の原因を、中国側だけに求めず客観的に論じようとしたが、陸相から余計なことを言い過ぎる、と苦言を呈され、講演では「中国の肩を持つのはけしからん」と暴力団がすごんできたこともあった。

2015-10-14 14:32:27
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

心を痛めて中国に戻った佐々木を、しかし国民党は相手にしなかった。蒋介石が、事件で日本軍と提携の望みはなくなったと思い、英米と手を結んで日本をけん制する路線に切り換えたのである。その頃佐々木は、ほぼ毎日銃で猟をやり、それができないときは、コンクリートに空き瓶をぶつけていた。

2015-10-14 14:32:50
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

精神的にすさんでいたことは自覚しており、「一種の発狂だった」「破壊行為の後に来るのは、不思議な落ち着きだった」と記している。

2015-10-14 14:33:01
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

昔、佐々木という人物の概略を知ったとき、済南事件で親国民党から反国民党に転向したことに、中国理解の甘さ、一面的で底が浅いことを感じ取ったが、暴力を受けたときの詳しい記述を読むと、同情の念も湧き上がってくるし、佐々木はこれだけで転向したわけではなかったようだ。

2015-10-14 14:33:15
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

信じていたはずの国民党から、完全に無視されたことが最後の心理的たがを外した。

2015-10-14 14:33:26
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

これを境に佐々木の言動は中国批判にシフトするが、徐々に当時の日本の中国蔑視、排外主義の風潮と同質化していった。そこで「原点」のように思い出されるのは、済南事件である。済南を再訪するたびに、当時のリンチの光景がよみがえり、「焼き討ちでもしてやりたいほど憎悪の衝動」に駆られたという。

2015-10-14 14:33:45
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

我々は、現在の知識で過去の経験を再解釈するものだ、韓国人の日本語世代は、当時皇国教育に感化されて日本軍に志願したことを、「ご先祖様に申し訳ない」と振り返っているし、台湾人は、国民党の統治に比べてマシだった日本統治時代を懐かしみ、やや美化を交える。

2015-10-14 14:33:58
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

佐々木の場合、十分ひどい経験を経ただけに、一旦中国へのマイナスイメージが積み重なると、歯止めはなかったのだろう。

2015-10-14 14:34:11
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

当初は独自調査を積み重ね、独自の視点を持っていた佐々木が、月並みで凡庸な「中国バッシング論者」に変貌した有様は、現在の中国論と専門家気取りを見ていても、決して他人事ではない。

2015-10-14 14:34:21
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

1937年の南京攻略戦で、佐々木の部隊には中国軍兵士が続々と投降して、捕虜が膨れ上がったが、激昂した兵士は上官の制止を聞かず片っぱしから殺害した。佐々木は、「戦友が流した血と激戦の辛苦を思うと、皆やってしまえといいたくなった」らしい。

2015-10-14 14:34:34