『性欲を他者に向ける』ことの問題性とは

『実在する他者を性愛の対象とすること』の問題。(ブログ記事への批判です。)
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身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

はてなブログに投稿しました #はてなブログ なぜ二次元は「表現の自由」からしか守られないのか ~二次専フェミニズム試論~ - 恋愛自給自足の間 minadt.hateblo.jp/entry/2015/10/… pic.twitter.com/JBmPXXbWT2

2015-10-17 18:39:29
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『ここで私は、「可能性」という言葉をものすごく厳格な意味に取ります。』『性欲を持つすべての人間(もちろん男女両方です)は性犯罪者予備軍である、とあえて定義してしまいます(念のため言っておきますが、あくまで私が議論を進める上での定義ですよ)。』

これは問題ない。

『性欲を持つ人は誰であっても、性欲を他者に向ける可能性がある。』

これも問題ないが、『性欲を他者に向ける』とはどういう行為を指すのかが明確でない。性犯罪の文脈だったはずなのに、「性欲を向ける」話が突然割り込んでくるので、おや?と思う。

『私は性欲自体を否定するつもりはありません。ですが、「実在する他者に性欲を向けること」に対しては批判的です。性欲を向けられることは、不快感のみならず恐怖感へも直結するのです。』

ここからが問題。『他者に性欲を向ける』というのは未だ不明瞭。『性欲自体』を持つことと、『他者に性欲を向けること』とは、区別できるのだろうか?『他者に性欲を向けること』に批判的になるべき理由として、性欲を向けられた人の『不快感』・『恐怖感』が示唆される。
そして直後に、『夜道を歩く女性』の恐怖感が例示される。そこで『レイプ』について述べているということから分かるように、それは性犯罪・性暴力への恐怖である。がしかし、直後にこれ。

『これは、男性が女性を性的対象とすることに無批判な社会において発生する恐怖なのです。』

……えっ?
まず、「自動車事故は、自動車が生産される社会において発生する問題なのです」というように真である文は幾らでも作れるけれど、筆者は多分そういうことがしたいわけではないでしょうね。おそらく筆者が言いたいのは、性欲を向けることは性犯罪に繋がる「可能性がある」から、男性が女性を(又は、ある人が他者を)性的対象とすることに人々が無批判であると、性欲を向けられた人は性犯罪を恐怖する。ということではないか?
(そうだとして、)それはおかしい。女性が夜道で性犯罪・性暴力を恐怖するのは、性犯罪・性暴力が怖いからでしょう。統計的に被害を受ける可能性がどの程度かとか、人気のない所で襲われて助けが来るかとかいうリスクの高さを知ってるから、或いはそのような「合理的恐怖」でなくとも、知人の被害の話を聞いたりしてるから、恐怖するのであって。実在女性に性欲を向ける「三次元ヘテロセクシャル男性」が存在するから恐怖するわけではない。
勿論、(何らかのトラウマがあったりして、)実在女性に性欲を向ける「三次元ヘテロ男性」が存在すること自体によって、性犯罪への恐怖が生じるという女性もいるだろうが、そのような恐怖感を根拠に、『性欲を他者に向けること』を批判するのが妥当かどうか、甚だ疑問。『性欲を他者に向ける』ことに批判的な社会でなくとも、社会的・政策的防犯などで性犯罪被害のリスクを(そして合理的恐怖を)減らすことが可能である以上、批判すべきは『性欲を他者に向けること』・『男性が女性を性的対象とすること』ではないと思う。

また、筆者は、『性欲を他者に向けること』に批判的になるべきとは言いつつも、それを決してすべきでないとは言っていない。では、どのような条件の下では、『性欲を他者に向け』ても良いのか。

『実在する他者に性欲を向ける前に、相当な決意と覚悟を持ち、「本当にこの人へ性欲を向けてもいいのか」と徹底的に自問自答するべきだと思います。
 「この人に性欲を向けたとして、相手は私の性欲に不快感を抱かないだろうか」「私の性欲を心から許してくれているだろうか」そういったことを徹底的に熟慮しない限り、性欲を他者へ向ける資格はありません。
似たような問題として、フェミニズムにおいて「女体の性的モノ化」が批判されることがあります。これは「女性の性的身体や性的機能がそのひとの人格全体から切り離され、単なる道具に還元されてしまう、あるいは、そのひとを代表するものとして扱われてしまうこと」です(江口聡『性的モノ化と性の倫理学』より)。
 逆に言えば、「性的モノ化」を問題にする論者も、愛をもって双方が相手を全人的に尊重し合っていれば問題ない、と言うでしょう。
……実在する他者へ迷惑を省みずに性欲をぶつけることは許されません。』

何に対する『決意と覚悟』なのか?『自問自答する』にしても、『この人へ性欲を向けてもいいのか』はどのような基準で決まるのか?相手が『性欲を許す』かどうかはどのような基準で決まるのか?そういったことには踏み込まず、やはり『不快感』が挙げられるのみである。批判の根拠が単なる『不快感』・『迷惑』であるならば、性欲を向けられた人にジャッジ権があるのだろうか?
また、「性的モノ化」論を引いて、『愛をもって双方が相手を全人的に尊重』するという条件を挙げるが、『尊重』の具体的内実は不明である。

『上の「性的モノ化」の定義を思い出してください。「人格から切り離されて、道具として扱われること」だったはずです。モデルがいるわけでもない絵は、切り離される以前の「人格」など持ち合わせていないはずです。
 写真や実写動画などと違い、絵の奥に「実在する他者」は存在しないのです。』

(「性的モノ化」論自体、私はよく分からないのだが、)性的モノ化論によって二次元表象を批判することも可能ではないか。(その批判の妥当性は置いておいて。)性的モノ化の問題とは、道具的に「使われた」当該女性の被害だけでなく、それを流通させることにもあると思う。つまり、表象された女性の価値・人間性が性的身体や性的機能に代表・還元されてしまうということが問題だとされるのである。そこでの焦点は、表象のメッセージ(というか、表象に埋め込まれた、解釈の仕掛け)であり、また、その表象を消費する実在人に与える効果である。とすると、表象された女性が実在か非実在かは、問題ではない。(「効果」というのは、実在女性との相互行為において『二次元に描かれた行為を三次元に持ち込むかもしれない』ということだけでなく、実在女性についての認識・評価においても「二次元を三次元に持ち込む」かもしれないということである。)

『ポルノグラフィから女性が受ける被害は、以下の五種類に分類されます。』
『五、ポルノグラフィの取引行為:ポルノグラフィの流布を通じて女性の安全感がおびやかされ、女性蔑視や性差別が増進されること。』
『五つ目、これもまた三次元での問題(性差別などについては教育の問題)です。実在する女性に欲情しない限り、彼女たちの安全を損なうことはありません。』

上述のように、ポルノの問題は、二次元表象・二次専にも関係してくる。それが二次元も含めた領域の問題であるかということと、その問題が『教育』で解決され得るかということは、別の話である。

『……なんて、冗談はさておき。』

どこからが冗談?

『男が実在女性に欲情しなくなれば、女性の安全は向上するのではないでしょうか。』

これも冗談?

あとやっぱり、「二次専」の「聖者化」っぽいのが違和感。ここでも述べたけど→http://togetter.com/li/882623

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身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

「表現の自由」にとらわれない二次元擁護について、批判への回答もかねて補足しました: 批判に応えて~フェミニズム的オタク擁護論~ - 恋愛自給自足の間 minadt.hateblo.jp/entry/2015/10/…

2015-10-19 20:25:33
ねこ @hyougen0

まず、応答して頂けたことが有難い。しかし、どうやら自分が何をしようとしているのかに無自覚であるようなので、第一次応答を踏まえて、後日、また批判的にコメントするつもり。

2015-10-20 04:07:11

何かを批判したいときには、批判の①対象と②根拠、この二点を明確にする必要があります。根拠によって批判の対象範囲(射程)が決まってくるということもありますが。

まず、①批判対象についての議論を、節1.2.へのコメントという形で行います。

『「性欲を他者に向ける」とは、「『欲情しても良いカテゴリー』の中に他者を放り込む」ということです。』

私が求めていたのは、「どのような具体的行為がそれに該当するのか」ということでもあったのですが…。実在人に実際に欲情すること、実際に欲情せずとも、『カテゴリー』に入れようと思うこと、相手への多様なアクション、……内心から、究極には性犯罪まで、どの範囲を批判したいのかが分かりません。(※『カテゴリー』と表記した場合、『欲情しても良いカテゴリー』のことです。)

批判対象が未だよく分からないままですが、まず、『欲情しても良いカテゴリー』に他者を入れる、という言葉で私が解釈したものを述べます。A氏には、一定の性的対象範囲(=欲情する・できる範囲)があり、『カテゴリー』はその範囲を超えることはない(つまり、性的対象でない人がその『カテゴリー』に入ることはない)。そして、A氏は、実在人のB氏を、性的対象であるけれど(何らかの理由・基準で)『カテゴリー』に入れなかったり、逆に入れたりする。このような理解で合っていますか?

『たとえば異性愛男性であれば、「女性」というカテゴリーが「欲情しても良いカテゴリー」と同じ範囲を指しているでしょう。この「女性」というカテゴリーの中から、各人の好みに合わせて欲情する/しないを選別するわけです。』

これは、異性愛男性の場合、性的対象カテゴリー(『カテゴリー』の限界)は女性カテゴリーであると述べているのであって、『カテゴリー』=性的対象カテゴリーであると述べているわけではないですよね?もし後者ならば、実在人を『カテゴリー』に入れるという操作は存在せず、当人が相手を性的対象だと見なした時点で必然的にそのカテゴリーに入ってしまうことになりますが。もし後者ならば、つまり、『欲情しても良いカテゴリー』が「性的対象カテゴリー」と言い換えられるならば、「性的対象カテゴリー」のほうが議論に使いやすいので、そちらを採用したいのですが。

『もしこの言葉を単に「欲情する」という意味で使ってしまうと、「オレはブスには欲情しないしブスを女として見ていない。オレが欲情するのは美女だけだ!」という方への批判が弱まってしまいます。』

これは、美女は性的対象だがブスはそうではないという人が、ブスを『カテゴリー』に入れることが可能だ(そして、そのことも批判したい)ということでしょうか?性的対象でない人も『カテゴリー』に入れることが可能なのでしょうか?

『「おかずが無くても物理的刺激があればヌけるよね」と言えばいいでしょうか……。特に性欲を向ける対象がなくとも、性欲自体は湧いてきますよね。』

私は、実在人に欲情すること、『他者に性欲を向けること』も、「性欲を持つ」に含まれると思いますが、ここではそれを除いて考えるのですね。狭義に『性欲自体』を持つことは問題視しない、と。

次に、②批判の根拠についての議論を、節3.4.へのコメントという形で行います。

批判の根拠とは、つまり、「『性欲を他者に向けること』はなぜ批判されるべきなのか」ということです。この点の説明がほとんどなく、自明であるかのように文章が進んでいます。

実在人に欲情することを批判するには、根拠にかなりの強度が必要だと思います。というのも、欲情というのは、セクシュアリティの自由・内心の自由と強く関係していますから。実際のレイプ行為を根拠に出してくるなら、批判の強度は高まるが射程は狭まるし、単なる不快感を出してくるなら、射程は広範だが強度として弱い。重要なのは、レイプ(への恐怖)を根拠に『性欲を他者に向けること』一般を批判することは失当だということです。『自動車よりも事故の少ない代替物はないだろうか。あるいは自動車が事故を起こさないようにはできないだろうか』ということは「レイプを減らせないだろうか」ということであり、そこで問題視しているのは自動車ではなく事故(レイプ)そのものです。『より事故を減らせる代替物があれば(自動車を)なくすべきだ』ということは言えるでしょうが、何と代替するか、代替は可能か、代替のデメリットは事故が減るメリットより小さいか、などを考えるべきでしょう。セクシュアリティ・性欲の文脈に置き換えたときに、そのような批判が成り立つかは疑問です。

『ジャッジ権は当然、相手にあります。
 恋愛を思い浮かべてください。相手からの承諾があって初めて恋人同士になることができますよね。私は、性欲についても恋愛と同じぐらいの厳格さが求められるべきではないかと考えています。
もちろん、「性欲を向けても良いですか?」と面と向かって聞く事は不可能です(聞いている段階で性欲を向けてますから)。なので当然失敗はありうるでしょう。ですがここで行っているのは、倫理的にはかくあるべきではないか、という議論です。
 これも恋愛で例えると分かりやすいかと思います。「付き合ってくれますか?」と告白するタイミングは自分で考えるしかなく、成否は不確実、というのと同じ構造です。』

恋愛における『承諾』とは、何らかの関係性や行為の承諾であって、恋心を抱くのを許す、告白するのを許すという承諾ではないと思いますが。

「倫理的にかくあるべし」という要請がどの程度の強度なのかということが問題なのです。「あなたは私を性的にまなざして良い/まなざしてはならない」というようなジャッジ権が向こうの相手側にあるということは、どれほど自問自答しようと、決意しようと、相手が不快だと思えば『失敗』になるわけですよね。(この点で、『相手を傷つけない、上手い失敗』というものを想定することはできないと思いますが。)ということは、こちらは基準が分からないまま、まるで「神の審判」を待つかのように過ごさざるを得ない。そのときの自問自答とは、自己満足的「贖罪」だと言ったら言い過ぎでしょうか。(信仰者の方々、もしお気に障ったならすみません。)或いは、相手の様子から、自分が基準をクリアしているかどうかがある程度予測できるとしても、それをどうしてもクリアできない人は相手に欲情することさえ許されない。そのような「倫理的要請」は、私からすると説得力に欠け、強度としては弱い、「従わなくても良い倫理」に思えます。
或いはジャッジする側の視点に立つとして、我々は、自分が不快になるという理由だけで、誰かの内心や行為を咎めることができるでしょうか。そのような「倫理的要請」は、一体どの程度の強さを持つでしょうか。

性的な側面に限らず、我々は常に誰かを不快にさせ、傷つける可能性を持つ存在であり、逆に、不快になり、傷つく可能性のある存在なのです。もしその中の一つの「不快感・傷つき」を取り上げ批判するならば、その不快感がその他の不快感とどのように異なるのかを示す必要があります。

私の立場を言えば、我々人間という存在は、そのような不快・傷つきの可能性を引き受けて生きなければならない、そうせざるを得ない。http://togetter.com/li/882623で述べたことの繰り返しになりますが、多様で複雑な相互行為やコミュニケーションのなかで不快感や抑圧(嫌いな人から好意を向けられるとか、相手との関係のわりに性的プライバシーに「過度に」踏み込まれるとか)を完全に消し去ることはできないからといって、セクシュアリティ(に関わる内心、コミュニケーション、行為)一般を批判することは不当です。

次に、節5.へのコメント。

『 性的であるか否かをいったん脇に置いて、「女体のモノ化」自体はごく当たり前に行われています。……受け入れられる「女体のモノ化」と受け入れられない「女体のモノ化」の間には、なんらかの形で線引きがなされるはずです。
 つまり、「モノ化」の問題は程度問題である、と考えられるのです。』

「性的モノ化」の話をしているときに、問題がない「性的でないモノ化」が存在するから『「モノ化」の問題は程度問題である』という話をするのは無意味です。問題のない「性的でないモノ化」があり、「モノ化」は程度問題であるということは、問題のない「性的モノ化」があるということを意味しません。

『仮に「二次元での『性的モノ化』は容認できない」と設定してみましょう。
 このような仮定の下では、当然ながら三次元での「性的モノ化」も許容され得ません』

これは同意します。が、…。

『ざっくり言えば「あらゆるポルノは許容できない」という状況です。』
『「二次元での『性的モノ化』は容認できない」という仮定においては、非実在に性欲を向けることも、画面の彼方にいる女優に向けることも許されません。』

これは議論の分かれるところではないでしょうか。「あらゆるポルノは性的モノ化である」という主張をする論者もいると思いますが、江口聡の論文『性的モノ化と性の倫理学』にあったように、道具性など、性的モノ化となる要件を出している論者もいるわけで。(勿論、一定の曖昧さを持った要件ではありますが。)性的モノ化でないポルノも存在し得るのではないでしょうか。

『「二次元での『性的モノ化』は容認できない」という仮定においては、……身近な人に対して性欲を向けることになるはずです。』

上述のように、必ずしもそうはなりません。(また、『身近な人』の場合でも、性的モノ化は容認されないという文脈ですから、「但し、性的モノ化は除く」という限定つきです。)

『他に性欲を向けるものがないまま同じクラスの女子に欲情するのと、遠い他人である女優で性欲を処理してクラスの女子には淡々と接するのと、どちらがより健全ですか? あるいは、どちらがより安全ですか? どちらがより女子の不快感が大きいですか? ……言うまでもないですよね。
 ……もしかすると、「性欲がクラスの女子に向いて何が悪い?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
 思考実験をしましょう。もし仮に、クラスの男子全員がクラスの女子を性的対象と見るとしたら、どうなるか。
 残酷な話ですが、男子には女性の好みがあります。そのため、性的存在として「祭り上げられる」女子と、まったく性的に惹かれないとして蔑まれる女子とに、女子たちが分断されてしまうのです(性的まなざしであるとはいえ、一種の価値判断を含んだものです。それに対して喜びを抱く女子も中には現れうるでしょう)。このような構造になると、前者の女子と後者の女子との間に対立が生まれてしまい、女子が男子の性的視線を批判する力も弱まってしまいます。
 男性からの「承認」の有無によって、女性が分断されてしまう。フェミニズム論者が指摘するとおり、このような現象は、まさに現代社会で実際に見られる構図です。
 このように考えることによって、仮に二次元が「女体のモノ化」に該当するとしても、二次元は許容される(許容された方がマシだ)と言えるでしょう。』

「二次元の性的モノ化を許容しないとすると、このようなデメリットがある。これを、性的モノ化によるデメリットと天秤に掛けると、許容しない場合のデメリットのほうが大きい。ゆえに二次元の性的モノ化を許容すべきだ」ということを仰りたいのですよね?
では、検討していきましょう。

『他に性欲を向けるものがないまま同じクラスの女子に欲情するのと、遠い他人である女優で性欲を処理してクラスの女子には淡々と接するのと、どちらがより健全ですか? あるいは、どちらがより安全ですか? どちらがより女子の不快感が大きいですか? ……言うまでもないですよね。』

『健全』とは何でしょうか。過去に、そして今なお、「不健全」の名の下にセクシュアリティが不当に批判されてきたことに我々は留意すべきです。また、クラスの女子に欲情したとしても、当該女子の意思に反した行為に及ばなければ、『安全』は保たれていると思いますが。また、『欲情』が当該女子に伝わらなければ、女子が『不快』に思うこともできないでしょう。そして、『不快感』というデメリットを(二次元の性的モノ化のデメリットと比べて)どのように評価するかというのは、議論の余地があると思います。

『性的存在として「祭り上げられる」女子と、まったく性的に惹かれないとして蔑まれる女子とに、女子たちが分断されてしまうのです……。このような構造になると、前者の女子と後者の女子との間に対立が生まれてしまい、女子が男子の性的視線を批判する力も弱まってしまいます。
 男性からの「承認」の有無によって、女性が分断されてしまう。フェミニズム論者が指摘するとおり、このような現象は、まさに現代社会で実際に見られる構図です。』

まず、既に指摘したように、女子に対する『男子の性的視線』がなぜ批判されるべきなのかが明らかではありません。そして『分断』に関してですが、現代社会においては、性的評価基準に限らず、学歴などあらゆる評価基準軸において人々は『分断』しているでしょう(二分ではないと思いますが)。そのようなあらゆる『分断』を問題視すべきでしょうか、それとも、それは評価というものに必然的に付随する、不可避なものと見なすべきでしょうか。私はどちらかといえば後者です。性的評価や学歴など、一つの評価基準によって人間の価値が決まるかのように考える社会は批判されるべきでしょうが…、『性的に惹かれない』からといって、『蔑まれる』とは限りません。その他の評価基準があるでしょうから。ちなみに、性的評価や『分断』自体を問題視する『フェミニズム論者』とは、例えば誰でしょう?

さて、デメリットを検討してきましたが…。もう一度、天秤に掛ける必要があるのではないでしょうか。しかも、多くの人々の多様な天秤に。

最後に、節7.へのコメント。

『そえて私は、むしろ聖者のつもりで「二次元は不健全」と説く人たちにこそ、自分の俗人っぷりを自覚していただきたいのです。「……むしろ実在する他者を対象とした性愛の方がよっぽど不健全じゃないのか? ちゃんと考えてみろよ」と。少々厳しい言葉を使えば、「正義ヅラした現実厨こそ己の業を直視せよ」と。
 二次専を「聖者」として称揚しようというのではなく、常識を気取った「現実恋愛至上主義者」も私と同様(場合によってはそれ以上)の「卑俗」さにまみれている、ということを示していきたいのです。』

これはもはや、深淵に覗かれたミイラ取りに近い。『他者に性欲を向ける』こと(「三次元セクシュアリティ」)への不当な批判は、二次元オタクが不当に侮蔑・批判されてきたことの裏返しです。(勿論、皆藤氏の批判が不当かどうかは、今後の議論を煮詰めていって分かることなのですが。)
『不健全』だと不当に批判され「お前のほうが不健全だ」とレッテルを貼り返すのは、自分(の集団)が被害を受けなくなるだけであって、根本的解決になりません。むしろ「健全な/不健全なセクシュアリティ、正しい/間違ったセクシュアリティ」などないのだ、という立場を取るべきでしょう。(また、そのような立場が、現在の社会学の中では一般的だと思いますが。)
『二次専の立場を高める』という目的は、「三次元セクシュアリティ」の立場を不当に貶めるという手段を正当化しません。

さて、以上が第二回目の批判です。
『思考の土台を作るための議論なのです。』『私は二次専であり、そもそも実在する他者に性欲を向けるという発想がないからです。抽象的な議論なら私にもできるかもしれませんが、実感を持って論じることは私にはできません。』と仰っていることから、皆藤氏のこの批判はまだ『試論』だと思いますが、議論を深める参考になればと思い、かなり本気で批判しました。私の批判に対してどこまで応答を続けるかは皆藤氏の自由ですから、どうぞ、都合の宜しいように。

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身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

はてなブログに投稿しました #はてなブログ 『二次専フェミニズム試論』の使い方~再批判を受けて~ - 恋愛自給自足の間 minadt.hateblo.jp/entry/2015/10/…

2015-10-22 20:28:15
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

というわけで、批判を受けて「試論」の有効範囲を考え直してみました。批判そのものに対する応答は別の記事を立てて後日論じようと思います。 #オタフェミ

2015-10-22 20:31:35
ねこ @hyougen0

@sadao_hok_kaido 氏の意向をお尋ねしたいのですが、『規制派フェミニズム論者が前提としている議論をいったんすべて引き受け』た上で皆藤氏がやりたいのは、同論理で三次元セクを「不当に」批判することで、間接的に二次元批判の不当性を認識させるという意趣返しですか?→

2015-10-23 17:03:10
ねこ @hyougen0

@sadao_hok_kaido →それとも、その『フェミニズム的』『前提』を踏まえて三次元セクを「正当に」批判することで、『現実恋愛至上主義』を解体することですか?→

2015-10-23 17:05:32
ねこ @hyougen0

@sadao_hok_kaido →後者の場合、その『前提』に問題があると、「正当な批判」は不可能ですので、その『現実恋愛至上主義』批判は棄却されてしまいますが。

2015-10-23 17:05:43
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 お世話になっております。 「規制派フェミ」に対しては私自身も疑問が多いので、それをそのまま現実恋愛至上主義批判に活用したいとは考えておりません。ただ将来的に、広義のフェミニズム的発想を「現実恋愛至上主義」への批判に活用できれば面白いのではないかとは思います。

2015-10-23 22:16:20
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 ねこ様の二度目の批判にお応えするときには、現在の私がイメージする「フェミニズム的前提」がどこまで論理的に通るのか、という実験も含まれるかと思います。もし気が向いたらお付き合いいただけたら幸いです(適当に見切りをつけてもらってもかまいません)。

2015-10-23 22:18:17

*

身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 ご無沙汰しております、皆藤です。まず個人的都合により返答が遅れましたことをお詫び申し上げます。ねこ様の提示した議論には数多くの論点が含まれており、新しい着想につながったり、より勉強すべき分野を見定めたり、確信を深められたり、本当に刺激となりました。→

2015-11-03 01:29:03
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →本来ならきちんとした回答をすべきところなのですが、いくつかの個人的都合により、申し訳ありませんが、応答を打ち切らせていただきます。一つは私の生活上の都合で、執筆に時間のかかる記事は、しばらく書くことができなくなりそうだということです。→

2015-11-03 01:29:29
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →いくつかの論点について下書き段階で考察まではしていたのですが、それぞれの論点が膨れ上がりすぎて収拾がつかなくなったことも、応答打ち切りの理由の一つです(不甲斐ないかぎりです……)。→

2015-11-03 01:30:03
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →なお、下書き段階でねこ氏への応答として書いていたものを、一部だけ切り取って加筆したものが以下の記事ですので、気が向いたらご覧ください→ minadt.hateblo.jp/entry/2015/10/…

2015-11-03 01:30:24
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →また、個人的に勉強しているうちに、ジェンダー論的二次元擁護論について別方面からアプローチできる可能性に気づき、「試論」の流れを一旦リセットしてみたい(完全に「試論」を無かったことにするわけではないです)という考えが生まれたことも理由として挙げられます→

2015-11-03 01:30:57
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →そして最大の理由が、「我々は常にだれかを不快にさせ、傷つける可能性を持つ存在であり、逆に、不快になり、傷つく可能性のある存在なのです」という話題に関してです。ここに私とねこ様との間で若干価値観の相違があるのですが、→

2015-11-03 01:31:08
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →それについて語るとどうしても私自身の黒歴史を晒さざるを得ないのです。そのため応答記事を公開すべきか否かしばらく悩んでいたのですが、「少なくとも今は公開するわけにはいかない」という結論に達しました→

2015-11-03 01:31:33
身内を寄せ付けない人 @sadao_hok_kaido

@hyougen0 →そのため大変申し訳なく、そして名残惜しいのですが、「試論」から始まった議論について、今回の記事で応答を打ち切らせていただきます。指摘された箇所については、機会を見て少しずつ今後の記事に反映させるようにしていこうと思います。失礼致しました。

2015-11-03 01:32:08
ねこ @hyougen0

@sadao_hok_kaido これはご丁寧にどうも。承知しました。そもそも「試論」であるということもあり、リセットするも修正するも皆藤氏の自由ですし、私の批判も、応答の短期的期限を想定するようなものではありません。→

2015-11-03 08:37:49
ねこ @hyougen0

@sadao_hok_kaido →(真面目に批判したのは、応答の要求というより、黙っていられなかったという私の都合です。)共に考え続けていきましょう。今後も氏の記事にコメントすることもあるでしょうが、思考の参考になる刺激が少しでもあれば御の字という程度に、よしなに。

2015-11-03 08:38:06