アメリカ文学会全国大会2015

2015年10月10日(土)〜11日(日)に京都大学で開催された日本アメリカ文学会全国大会に関するtweetをまとめました(私自身は参加ができなかったので、参加された方々のtweetを使わせてもらいました)。
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研究発表編

逆卷 しとね @_pilate

山口義成「荒野とバラ: Francis Parkmanの「森の歴史」における園芸学の作用」。北米植民地史を書いていた一九世紀人のパークマンだが、神経障害の悪化に伴い、治療の一環として園芸を始める。それが嵩じて今度は園芸学の泰斗となる。歴史叙述と園芸学には男らしさ/女らしさといった

2015-10-12 15:40:47
逆卷 しとね @_pilate

対立構図も認められるけれども、バラの美しさよりもhardyさを称える記述に顕著なように、長い時間をかけて変容しつつも生き残るものを記述する点で両者は根を同じくしている。パークマンにとって園芸は実用性から離れた文明の完成形態として価値のあるもの。この点一八世紀以来の歴史の段階論を

2015-10-12 15:41:20
逆卷 しとね @_pilate

踏まえているとみることもできる。完成へと至るためには交雑受粉を重ね、品種改良を進める必要がある。しかしながらより完璧な種をつくるための交雑だけが肯定され、種を超えた交雑は排除されている。という内容だったと思う。パークマンの歴史叙述には地質学的記述が数多くみられるということで、

2015-10-12 15:41:49
逆卷 しとね @_pilate

Anthropoceneの観点から論じる可能性もありそう。園芸学における人為性と森の描写における人の目には判別できないほどゆっくり流れる時間(大雑把に言うと自然の時間)との兼ね合いはどうなのだろうか。園芸学は人為的に自然に介入する人間の存在があってこそ自然は完璧になる(人工庭園)

2015-10-12 15:42:17
逆卷 しとね @_pilate

という発想なのだろうか。自然の変化の幅を限定し進化を管理する技術である園芸学は、たとえば俗世から切り離された彼岸の場所としての墓地を日常に組み込む田園墓地構想のように、人間の時間や存在に変化を与えつつも統御する学でもあるように思う。優生学との近さも。〆

2015-10-12 15:42:41
逆卷 しとね @_pilate

申し訳ありません。発表者の方は山口「善」成さんでした。お詫びして訂正します。

2015-10-12 15:44:03
逆卷 しとね @_pilate

森本光「Poeの作品におけるShakespeare的想像力」。シェイクスピア作品、及びサミュエル・ジョンソン以降のシェイクスピア再評価を摂取しつつ執筆していたポーの作品の"fool"の扱い、さらには"Hop-Frog"と『リア王』の比較により両者のテーマや問題意識の近さを示すと

2015-10-12 16:02:40
逆卷 しとね @_pilate

共に、コーデリアとリアの死を舞台上で劇化する後者とは異なり、前者では主役が舞台上から逃亡していくという差異、またキャラクターをめぐる批評に対するポーの応答を指摘。シェイクスピアとその批評とのかかわりのなかでポーは独自の創作理論を練り上げたということを立証しようという発表だったと思

2015-10-12 16:03:23
逆卷 しとね @_pilate

う。シェイクスピアの影響は一九世紀アメリカにおいて無視できないものだったのは確かだけども、さまざまな素材を時に盗用しながら組み合わせていくマガジニスト、ポーのありかたを思うと、ソースがシェイクスピア「だけ」ということはまずないだろうと思われるので、シェイクスピアがその他のソースと

2015-10-12 16:04:05
逆卷 しとね @_pilate

格闘するアリーナとしてポー作品を提示したほうがおもしろくなるように感じた。それから一九世紀のシェイクスピア劇の上演にかんしてはすでにかなりの蓄積がある。当時の翻案・パロディの流行に鑑みれば、

2015-10-12 16:04:40
逆卷 しとね @_pilate

わたしとしては "Hop-Frog"の喜劇性は、むしろ四代悲劇の作家偉大なるシェイクスピアではなく、シェイクスピアを娯楽として消費していたアメリカ大衆の嗜好に由来するのではないかと思う。〆

2015-10-12 16:05:47
逆卷 しとね @_pilate

杉野健太郎「F. Scott Fitzgeraldと宗教」。フィッツジェラルド、及びその作品群とカトリックとの関係についてはすでに先行研究があるが、批評家メンケンを介したニーチェ受容を念頭に置くと、問題はカトリックの射程を超えるのではないか、という発表。

2015-10-13 11:43:35
逆卷 しとね @_pilate

「神なき信仰」というポストモダン神学の方向へ舵を切るのかな、と想定していたのだけども、そこまでラディカルなのではなく、フィッツジェラルド作品にみられる信仰は、現世の生を秘跡的なもの、神秘的なものの介在を介して信じる。という現世信仰のようなものであるとの趣旨だったように思う。

2015-10-13 11:44:03
逆卷 しとね @_pilate

という議論も残されていたのだろう。わたしは、メンケンを介したニーチェ受容の内容についてもう少し突っ込んだ話を聞きたかった。またこれは不倫シンポにも敷衍できると思われるが、ロマン主義やデカダンにおけるカトリック転向を思えば、神秘性や秘跡はきわめてカトリック文学的なテーマなので、

2015-10-13 11:45:37
逆卷 しとね @_pilate

カトリック信仰には収まらない「モダンな信仰」という転回を打ち出すのであれば、先行するカトリック作家や前述の転向者との比較が必須となってくるように思う。〆

2015-10-13 11:46:29
逆卷 しとね @_pilate

新田啓子「アナクロニズムという理性: _Go Down, Moses_における汚辱の膨張」。一九四二年出版の同短編集におけるフォークナーの現代史への応答とその倫理性について。同短編集中の台帳が実際に存在したある台帳とほぼ符合することを実証する研究や歴史叙述との関連に注視する

2015-10-13 13:57:40
逆卷 しとね @_pilate

研究動向を下敷きに、まず「熊」における熊がnot even a mortal beast but an anachronismと表象されている点に着目、作中にみられるクロノロジカルな歴史的時間から逆行する時間表象を例証、これを反復されるアナクロニズムの超越的倫理として位置づける。

2015-10-13 13:58:17
逆卷 しとね @_pilate

次にアイザックやド・スペイン少佐による相続放棄、及び物質的な財産を放棄しつつも彼らを捉え続ける罪や恥の意識、歴史認識を超えた原罪の時間性へと論は進む。キャッシュは、その南部論において南部の西部性を指摘しているが、作中にはあらゆる方角に希望が見いだせない様が描かれている。

2015-10-13 13:58:57
逆卷 しとね @_pilate

先住民・黒人奴隷奴隷を主体ではなく、自由と平等を与えられる客体として扱う解放の歴史に抗し、フォークナーの作中では白人が所有する以前から呪われていた土地を舞台に、先験的な原罪の時間性がアナクロニスティックに反復される。この倫理性は他方でPCのごとき皮相的な水準にとどまっているのでは

2015-10-13 13:59:46
逆卷 しとね @_pilate

ないかという留保も交えながら、ひとまずこの短編集における「不安ながらも明け染めゆく未来」(後藤和彦)というアナクロニズムの倫理の所在を指摘して終わった。わたしが問題だと感じるのは、従来のフォークナー批評で反復されてきた、過去にとらわれた南部、あるいは歴史から取り残された南部という

2015-10-13 14:00:28
逆卷 しとね @_pilate

南部像から、このアナクロニズムがどれほどの批判的距離を確保できるのか、あるいはむしろ旧来の南部像の内奥を従来より深くえぐっていると言えるのか、という点。おそらくは歴史的時間の脱臼、未‐来へと転じうる出来事の時間性へとつながる議論なのだと思われるのだが、

2015-10-13 14:02:14
逆卷 しとね @_pilate

アナクロニズムを「超越論的」倫理ではなく「超越的」倫理として論じるという点も含めて、少々脳内の交通整理に混乱をきたした。

2015-10-13 14:02:46
逆卷 しとね @_pilate

わたしとしては反復される出来事の衝撃や「一回性」、特異性を炙り出すことによって、アナクロニズムは倫理たりうるのではないかと感じた。その反復がただの習慣と堕しているのであれば、おそらくそれは倫理というよりは諦念のようなもの、つまり先行研究の追認に終わるのではないだろうか。〆

2015-10-13 14:03:14
逆卷 しとね @_pilate

そうか。でも原罪は超越的なので、これでいいのか。ついつい実践倫理のほうに思考が先走ってしまう。問題は超越的なトポスである原罪をどのように継承するのか、という実践倫理(個別具体的なかかわりかた、ふるまい)の問題なのだろうか。うむ、宿題。

2015-10-13 14:19:24