高橋源一郎氏 @takagengen 『痛み』としての教育・鶴見俊輔・教育者の資格

できるだけ短くまとめました。
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高橋源一郎 @takagengen

「教育」11・嬉しいだろう、と思う。その先生を好きになると思う。そういう先生がいる場所を好きになると思う。必要なのは、その場所が、いい場所だと思えることだ。そのような場所なら、なにかを教わりたいと心から思えるはずだからだ。校長先生は、そのことがわかっていたのである。

2011-01-16 00:24:03
千晶@楽天堂・豆料理クラブ @chiakitakashima

高橋源一郎さん( @takagengen ) の書いていることも、とてもヒントになるなあ。その場に来た人がハッピーになれるように工夫すること。それが大事だ。社会起業家養成講座においても。胸に希望が湧いてくるような提案をしなくちゃ。

2011-01-16 00:28:13
高橋源一郎 @takagengen

「教育」12・その校長先生は、大正の末にもうアメリカに行き、当時の最高の知識に触れていた。いまでは考えられないほどの最高の知識人だったといっていい。でも、その先生は、彼の思想を、壇の上からすぐに降りること、生徒たちの名前と顔を覚えることの中に実現しようとしたのである。

2011-01-16 00:26:32
高橋源一郎 @takagengen

「教育」13・時は移る。1945年、戦争が終わった時、日本中の教師たちは呆然としていた。「敗戦のしらせを夏休みのただなかで受けたあと、一九四五年九月一日、学校に向かう先生の足どりは重かった。それまで教えてきたことの反対を、おなじ子どもたちに教えなくてはならない。自分が問われる。」

2011-01-16 00:31:07
高橋源一郎 @takagengen

「教育」14・「そのとき、子どもたちに向かって立つ先生の肖像は、光背を帯びていた。それは国に押しつけることではすまない、自分自身のまちがいである」

2011-01-16 00:32:56
otogocahart @otogocahart8510

今日はたいへん疲れたので、久々に早寝しようと床に就いて、ちょっとTwitter読んで…と思ったらやってました、高橋源一郎氏 @takagengen による午前0時の小説ラジオ。もう眠れません(^◇^;)。

2011-01-16 00:33:21
高橋源一郎 @takagengen

「教育」15・鶴見俊輔は、近代国家成立以降、唯一この敗戦直後の教師たちの姿に共感している。なぜだろうか。彼らは「まちがって」いたからだ。その「まちがい」を背負って、生徒の前に立たなければならなかったからだ。人はまちがう。教育とは、なによりそのことを教えなければならないのだ。

2011-01-16 00:35:56
高橋源一郎 @takagengen

「教育」16・しかも、その「まちがい」は、「国のまちがい」、「公のまちがい」ではなかった。「公のまちがい」を受け入れた、教師ひとりひとりの「私のまちがい」だった。教師たちは、史上初めて、「私のまちがい」を手にして、生徒と対面するしかなかったのである。

2011-01-16 00:39:27
marudaizu @ochi_ai

今夜も@takagengen さんのツイートが面白くって布団に入ったのに寝させてくれない。いつも何かが心に残る。

2011-01-16 00:40:08
なまづ @Na_ma_dzu

そのように、当時の多くの教師が考えきれていたか。また、今の教師が考えきれるか。それが問題だ。 RT @takagengen: 「教育」16・「公のまちがい」を受け入れた、教師ひとりひとりの「私のまちがい」だった。

2011-01-16 00:42:49
miki moriaki @miki_moriaki

添寝から帰還。高橋源一郎氏(@takagengen)の深夜ラジオがはじまってる。今夜は鶴見さんの「教育」論について考える、という。今から追いかけます。

2011-01-16 00:43:47
高橋源一郎 @takagengen

「教育」17・では、教育はどこで行われるのか。鶴見俊輔は「あらゆる場所」で答えている。生まれた時に、母と子の間で、そして、家庭で、職場で、男女のあいだで、「教育」の行われぬ場所はない。恋愛や性交でさえ、人を教え、成長を促すのである。

2011-01-16 00:46:20
高橋源一郎 @takagengen

「教育」18・「私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても、教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる」のである。

2011-01-16 00:48:41
高橋源一郎 @takagengen

「教育」19・では、「教育」とは、どのように行えばいいのか。鶴見の言うように、それが、学校での「知識」の伝達に留まらないとするなら、それ以外の場所で、ぼくたちには、どのように「教育」に接すればいいのか。

2011-01-16 00:50:58
高橋源一郎 @takagengen

「教育」20・「私は自分の父と仲がよかったとは言えない。しかし、晩年、脳軟化症で一四年ことばを失ってねたきりになった彼には、脱帽する。そのあいだ、彼はつねにまわりのものに感謝し、明るい気分をたもち、死にむかって入って言った。常時接触すると、こちらの話につねにまなざしと身ぶりで…」

2011-01-16 00:53:11
高橋源一郎 @takagengen

「教育」21・「…肯定・否定の意志をつたえ、禅宗で葬儀をするようにと遺言状で書いてあったものをキリスト教クエイカー派に変えるようにということだった。クエイカー派に変えるということは、中年以降の彼の政治行動からはなれる決断だった。母は、臨終でまわりのものひとりひとりに感謝し、…」

2011-01-16 00:55:21
高橋源一郎 @takagengen

「教育」22・「…自分の人生に感謝して死んだ。柳宗悦の妹の今村千枝子が臨終に際して、六人の子どものひとりひとりにあいさつするのを描いた『妹の死』を思った。明治生まれの女性は、このように死に対する作法をおさないときから心得ているのかもしれない」

2011-01-16 00:56:56
ウォンウィンツァン @wongwingtsan

takagengenさんのツイートと重なりますよね。敗戦で一夜にして価値観が180度かわって、70年近くたってもその歪が続いている。 RT @yoshikotak:@ushiromukiky 終戦と共に、一夜にして(前から薄々気づいていた人もいたけど)

2011-01-16 00:57:06
高橋源一郎 @takagengen

「教育」23・鶴見は、生誕に始まり死に終わるまで続く「教育」の最後の目的を「死」を迎え入れる準備をすること、としている。ならば、それが、学校に留まらないことも、誰よりも、家庭の中で先行する誰かが、遅れてやって来る者に向かってするものであることがわかるだろう。

2011-01-16 00:59:04
takayuki.iwasaki @iwajen

ほんとにRT @takagengen: 「教育」18・「私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても、教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる」のである。

2011-01-16 01:01:05
高橋源一郎 @takagengen

「教育」24・「生」と「死」について語ることができない「教育」は「教育」の名に値しないのだ。だが、それは、どうやってすればいいのだろう。「私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡真史が自殺した。『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年のときで」

2011-01-16 01:01:49
高橋源一郎 @takagengen

「教育」25・「岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、『おとうさん、自殺をしてもいいのか?』とたずねた」

2011-01-16 01:03:07
hhh @irony_dew

高橋さんの言う「感動」、鶴見さんの言葉に感じることができた。著書を探してみようとおもう!高橋さんのも久しぶりに読みたくなった!!ツイッターって素晴らしいな。。。 RT @takagengen 「教育」15

2011-01-16 01:05:15
poilkjm @poilkjm

学校に押し付けている親の意識が変わればもっと早く変わるだろうRT @takagengen 「教育」18・「私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても、教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのこ…

2011-01-16 01:05:46
高橋源一郎 @takagengen

「教育」26・小学校六年の子どもから「自殺してもいいのか?」と訊ねられた時、みなさんなら、どう答えるだろう。ぼくが、鶴見俊輔という哲学者に絶対的な信頼を抱くようになったのは、その答を読んだ時からだ。少し、考えてくださいね。

2011-01-16 01:05:48
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