皇帝フリードリヒ3は無能だったか? +ハプスブルク家雑記まとめ
- tomoshibi6o6o
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アルブレヒト5世が有徳の英主と表記されているのを見ると、リヒテンシュタイン家から領地財産の一切を没収したのって…情に流される無鉄砲ばかりと思っていたら案外狡猾だったって話なのかねこれ。
2015-11-16 06:56:00…財政的に豊かなリヒテンシュタイン家がアルブレヒト5世の怒りに触れて領地財産の一切を没収されたって件、アルブレヒト5世が繰り返しユダヤ排斥を行ったことと絡めれば、もしリヒテンシュタイン家がユダヤ商人と懇意であったとするなら…
2015-12-06 20:12:42非常に強力で好戦的な君主、というのは17歳で戦場に立って以来、ユダヤ・フス・オスマンと戦っていたからなのかも知れない。 皇帝ジギスムントがフス戦争に成果を上げられず諸侯から轟々たる非難を受けても、アルブレヒトは支持して同盟を結んだ。 twitter.com/tomoshibi6o6o/…
2015-11-16 07:00:37一方で皇帝アルブレヒト2世は電子辞書に「非常に強力で好戦的な君主として知られる」って書いてあって、先ほどのリヒテンシュタイン財産没収の件といい、荒くれている人なのかなって。
2015-05-16 01:49:41「フリードリヒ3世は治世が長いから評価が下がった」というのも、治世の長さにより決断力があまりないというボロが出たということなのではと云々。
2015-11-16 07:01:50「白王の父親は、並居る地上の王の中で最も気高い王であった」(マクシミリアン1世「白王伝」にて フリードリヒ3世?)
2015-11-24 02:44:16フリードリヒ3世の息子、マクシミリアン1世大帝は自らを美化した自叙伝「白王伝」を著させたが、そこに登場する白王の父親を「気高い王」と記す。 「帝国の大愚図」などと呼ばれた史実をマクシミリアンが知っていてこのように記させたのか、それともマクシミリアンには父親がそう見えていたのか。
2015-11-24 02:48:57ウィーン市民がアルブレヒト6世に靡いたのも、この「早世した有徳の君主」を重ねてたところもあると思うんですよ。 そして皇帝フリードリヒ、「自領の、それも首都を、敵ではなく身内に奪われる」という失態を帝国全土に晒してしまってからいよいよ無能と認知されてしまった気がしないでも…
2015-11-24 19:00:37歴史書に「彼の治世は戴冠直後かその数年後までに終われば(←ルクセンブルクのハインリヒ7世みたいに)、偉大な君主として語り継がれるであったろう」と。 まぁその時点でフリードリヒ3世が死んだらハプスブルク家断絶ルート待ったなしですけどね! 所領は全てチロルのジークムントが相続だよ!
2015-11-24 19:05:14歴史書には「息子マクシミリアンの気質は弟アルブレヒト6世を思い出させるので、それが微妙な距離を作った」とあってなぁ…
2015-11-24 19:08:30(そう考えると、初代として重要なポイントって「偉大な功績を残した」ばかりじゃなくて、「惜しまれながら早世した」ってのも結構ポイントな気がします)
2015-11-24 19:17:39・下手に動くことがなかったため、子孫が「血統を引いている」ことを理由に継承者となる ・ボロが出なかったため、美化されて継承者として子孫が選ばれる
2015-11-24 19:20:32ベストは「警戒されずに(あるいは警戒さえ関係ないレベルで)功績を残して惜しまれながら逝く」ですかね…どんなベストだこれ…
2015-11-24 19:21:55アルブレヒト5世にとってフリードリヒ5世とは年下の、取るに足らない一族の連枝という認識だったのだろうか。
2015-11-25 17:29:11アルブレヒト5世、アルブレヒト1世以来1世紀ぶりのドイツ王、ルドルフ3世以来のボヘミア王、兼ハンガリー王。 中欧に大勢力を形成したものの、この時は彼1代の幻に終わった。 次に兼ねるのは116年後のフェルディナンド1世、1556年。 とはいえハンガリーはレオポルト帝を待たないと。
2015-11-25 17:32:06最近アルブレヒト5世(2世)とフリードリヒ5世(3世)の又従兄弟コンビが熱い
2015-11-25 17:35:21それまでは兵を率いて武力で「戴冠だヒャッハー!」してたのに、平和的にローマで戴冠できたフリードリヒ3世ってメッチャ有能なのでは…(ここだけ見れば)
2015-11-25 18:23:06フリードリヒ3世が見直したことによって皇帝戴冠儀式が再建され、数百年ぶりにカール大帝の聖衣が使われた これだけ見れば偉大なんだけど、「よく数百年も前に使ったものが見つかったな」「カール大帝!?」「でもフリードリヒの後に教皇から戴冠を受けた皇帝ってうごご」となる。
2015-11-25 18:28:59だって息子のマクシミリアンは「皇帝宣言」をしただけ(むしろこれが主流となる)だし、次に戴冠するカール5世はローマじゃなくてボローニャだし、それで教皇による戴冠は最後だし…どんまいフリードリヒ
2015-11-25 18:30:57同じ文人皇帝でもカール4世とフリードリヒ3世…うごごご…
2015-11-25 18:31:40ハプスブルク家の神聖ローマ帝国で最も短い君主は恐らくアルブレヒト2世、逆に最も長いのはその次のフリードリヒ3世…って考えると熱くない? 熱くない?
2015-11-26 23:36:40キャラ的にも即断の武闘派vs優柔不断な文治派で、宗家唯一の嫡流嫡男で皇帝の娘と婚約したエリートコースvs分家で弟がクッソうるさくて魔術に没頭してAEIOUを書きまくるマン…
2015-11-26 23:39:04皇帝ジギスムントが崩御したとき、アルブレヒト5世ハンガリー王にボヘミア王も戴いて輝いていたはずだ。諸侯はの注意と警戒は彼に最大限よせられたはずだ。 「フリードリヒ? 誰?」状態だったはずだ。
2015-11-26 23:40:53オーストリア大公(兼)ハンガリー王(兼)ボヘミア王(兼)神聖ローマ皇帝選出と、自他共に世界の注目を集めるスーパースターだった訳だ。 だが実際はどうだ、アルブレヒトはそれから1~2年であっさり崩御した!
2015-11-26 23:43:08そこに続いて座らされたのはフリードリヒだ。しかし 「ハンガリー王? オイテケ」「ボヘミア王? オイテケ」 「オーストリア宗家はラディスラス様な」 一気にみすぼらしくなる玉座! ああ、お似合いだフリードリヒ!
2015-11-26 23:44:48栄光の宗家の裏で歴史の闇に埋もれるはずだったフリードリヒは、こうして歴史に現れた。 なんと数奇なことか、彼もまた皇帝選出されて歴史に名を残した。 彼の治世の終わりには、アルブレヒト系もチロル系も絶えてオーストリアの宗家になっていた。
2015-11-26 23:49:12