「パリのカミカゼ」~日本と言う「永遠にゼロ」社会
つまり、「ゼロ」や「無」を扱うアジア的哲学は西洋的ロゴスより「複雑高度だ」とは言い得るけど、これは「専門家でないと分からないし専門家の中でも意見が分かれる」レベルのもので、「自国にあるから私の誇りで私も”社会に対して”使える」と社会多数の人が使うのは「論語読みの論語知らず」で「子どもの火遊び」。個人の頭の中でなく社会で使う哲学はもっとベーシックなものでないと共有出来ないので、結局バラババラな理解のまま社会が壊れるのでヤバいと思うよ、と言う話です。「阿頼耶識とは何か」の”そもさん”に”せっぱ”の言葉をすぐ答えられるくらいの人同士でないと、”それ以上、いけない”。
続)タイトル忘れたけど米軍が北朝鮮で何かを奪回するみたいなミリタリー映画で印象に残ったシーンがあって、突入前の兵士が、北朝鮮の民間信仰の厄除けお札みたいなものを見ながら「これが彼らの信じる神なんですね」と見つめながら、心を静めようとしているシーン。「神を信じる者同士」の連帯。
2015-11-16 11:59:30続)自分個人も最終的にはキリスト教的な”神”を信じる事で「人を守るための殺人」の根拠にしようとしているので「相手の根拠も同じだ」と理解できれば”フェアな決闘”には出来る。その「証拠」として”形と言う有”が必要だった。「ゼロへの信仰」は異文化には理解されない。されないままなら独善。
2015-11-16 12:05:21と言う事で、日本で機能していないと困るはずの西洋ロゴス「立憲主義」。
「二者択一」と「ゼロイチ」。どっちが日本人の”道徳”か。
道徳の教科書に書くべきとすれば「有私奉公」。 「滅私奉公」は二者択一。 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。(アレクサンドル・デュマ) 「私をゼロ」にはしないし「みんな」には「私」は入っていない。 区別と言う両立であり個人の確立。より複雑なわけです。なかなか難しい。
2015-11-16 15:16:39と書いたが、日本的「二者択一」の意味を考え直す。
続)二択をカジュアルに「ゼロイチ」と呼ぶ事も、どうも「ゼロイチ」の意味が最初から怪しくなっている感がある。 「二進法」そのものは”2を基準にする数の表し方”で、数学やデジタルで0と1を使うは数学上の便宜と言うか。現実生活での二択はどっちも”有(アリ)”だから「ゼロイチ」ではない。
2015-11-16 15:43:55続)しかし「どっちもアリ」と言う時は、つまり両方認めるけどどちらも選択しないと言う意味。”選ぶ私”にとっては「ゼロ」。て事は「どっちもアリ」と「どっちもナシ」は、”選ぶ私”にとっては両方とも同じ「どっちもナシ」になる。んー。言葉への「ゼロ」の混入でここでも「私がゼロ」の不認識が?
2015-11-16 15:53:27続)ところで「合憲/違憲」とは有の二択なのか、憲法から見た「有/無」なのか。たぶんこのレベルでの認識ズレが結構あるはず。やり取りした印象だと。もし「違憲の有無」の問題だと考えると、”推定無罪”の援用で「違憲(有罪)が証明(最高裁判決)されない状態は、つまり合憲(無罪)、となる。」
2015-11-16 16:08:56続)先ツイの場合はいわば「推定ゼロの罪」。今のところ問題ない。しかし憲法に対しての「正/否」と考えるといわばプラスとマイナス。否(not)は必ず正に付随する。「+に-を掛ければマイナス(否)」。必ず正否どちらかになる。イエスかのノーの”no”は「正否を選ばない」の意味ではない。
2015-11-16 16:31:16続)合憲違憲は憲法への「正/否」。未選択は「保留状態」。法の有効性に「保留」なんてモノがあっては役に立たないで「決めてない事自体」が法秩序を揺るがせている。しかし多分「違憲認定は”有罪判決”」だと思う人もいて”推定無罪”だから決まるまでは「言うな」心理になったのかも。裁判所だし。
2015-11-16 16:39:45法治の輸入元の英語圏では有罪無罪は「GUILTY/NOT GUILTY」。<ギルティについての「否」>。ここでも「無罪」と”ゼロ”を入れて訳しているのが理解を狂わせている感。あえて訳せば「非罪」とか「否罪」か。「罪否の認定の話」なのだから。恐らく「非・否」の語の持つ”ケガレ感”自体を忌避している。「無罪」とは「非罪と言う司法判決」によって生まれる「司法の認定する”罪の不在証明”(アリバイ)」。ただしなお、「この世界における無実」ではない。
漢字は多段自己辞書機能内蔵のスゴい表意文字、とか書いたけど、考えてみると「表意文字だからこそ、人は一文字だけにも”言霊”を見る」、とも言えるわけだな。この「一文字単位の言霊」への好悪の感情やケガレ忌避感が、熟語全体の意味理解をズレさせたり、訳語を不正確にさせたりもずる。
2015-11-17 10:44:58話を戻して
続)だいたい安倍首相が「最高裁が決める事」と言ったのを聞いて、「安倍首相のした事が裁かれる」話と思った人はいたのでは。なら「最高裁判決までは有罪(違憲)」扱いしてはいけない、と言うのがモラルとして正しい。そう思ってた方は…
2015-11-16 16:51:57続)もちろん違憲判断されようが安倍首相が法的制裁を受ける様な事は無い(憲法に罰則は無い)。どこまで相互誤解の底が有り得るのか考え過ぎると闇の深淵を覗いてしまいそうなのでやめて(笑、要するに安倍内閣は何でも「~ではない」で、”自分の判断"を述べない事が多過ぎる。だから混乱する。
2015-11-16 17:10:49続)貴方が「どっちもアリ」とも「どっちもナシ」とも言っても、”何も選んでいない”と言う点で意味は同じ。どっちでもゼロ。しかし「どっちもアリだね」と言われた側の二人は、言った側に何かいい評価をして貰えた様に好意を持つ。これが「差別の無い」「みんなかよく」=「評価の禁止」状態かな。
2015-11-16 17:31:27続)他者に「みんな違ってみんないい」と言うにはまず「違い」を認める必要がある。しかしそれを全部「いい」と認めるには「つまりみんな同じ様に良い(みんななかよく)」にループ。これは「(誰かの誰かへの評価は)どれも違ってどれもいい」の意と解すべき。これで初めて「個人の違い」の保障。
2015-11-16 17:41:45続)やはり「思考に”ゼロ”を混ぜている」思考混乱。自意識を”無”にして、更に状況判断も「正/否」の”有の二択”ををせず、周りを見て「有/無」と「都合次第で見るか見ないか」になる。エゴか付和雷同のどちらかの「ゼロイチ」。引きこもりかファシズム。無いのは「自らの上位規範=正義」。
2015-11-16 18:02:15困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。 絶対的な正義なのです。作者/やなせたかし
2015-11-16 08:09:29