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基本情報

マルクス・ガブリエル/スラヴォイ・ジジェク『神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性』

監訳:大河内泰樹・斎藤幸平
訳:飯泉佑介・池松辰男・岡崎佑香・岡崎龍
四六判/上製/350頁(予定)/本体3,500円(予定)

今ドイツでもっとも注目を浴びる若き天才が、ジジェクとともにドイツ観念論(シェリング・ヘーゲル・フィヒテ)の古典再解釈を通じて、現代思想の新潮流に真っ向から取り組む批判の書。
堀之内出版の公式サイト

神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性 (Νυ´ξ叢書)

マルクス・ガブリエル,スラヴォイ・ジジェク

雑誌nyx&nyx叢書 @nyx_jpn
堀之内出版刊行の雑誌『nyx』、nyx叢書の公式アカウントです。『nyx』、nyx叢書関連の情報をツイートします。
眼鏡パンダ @sacreconomie
nyx叢書第一弾ガブリエル&ジジェク『神話・狂気・哄笑』発売記念のまとめを作りました。ガブリエルの紹介、講演動画、日本語で読める論文、イベント情報などをまとめています。 sskyt.tumblr.com/post/133779137…

監訳者の斎藤幸平氏による解説

斎藤幸平 @koheisaito0131
ガブリエルとジジェク『神話・狂気・哄笑』の「日本語版へのまえがき」でも、なぜドイツ観念論が今日読まれるべきなのかについて書いてもらっています。さらに日本語版には、ドイツでベストセラーの『なぜ世界は存在しないのか』の講演バージョンを収録!これで本の邦訳までとりあえず待とうw
斎藤幸平 @koheisaito0131
まえがきや講演まであわせて読むと、ガブリエルの「新実在論」(世界は存在しないが、他のあらゆるものは存在する)という発想の根底には、ドイツ観念論があり、また、ドイツ観念論を通じて、人文学の重要性を社会に発信していこうという彼の考えのルーツがはっきりすると思います。
斎藤幸平 @koheisaito0131
メイヤスーも邦訳が出るようですが、ガブリエルはメイヤスーやバディウの批判者としてもドイツでは有名で、今回の本でもジジェクと共に、シェリングやヘーゲルを参照しながら、そうした現代思想の潮流とのダイアローグも試みています。イベントではそのあたりも語ってもらいましょう(私はいないけど)
斎藤幸平 @koheisaito0131
ガブ様・ジジ爺の本店頭に並び始めたようですが、ジジェクはすでにいろいろ日本で紹介されており、また映画や小説の具体例も多いため、とっつきやすいかと思います。今回は、ジジェクの精神分析的なヘーゲル読解が「狂気」と「理性」の問題をどのように扱うかをお楽しみに!
斎藤幸平 @koheisaito0131
ガブリエルの方は、シェリングとヘーゲルだけでなく、バディウやメイヤスーもでてきて、ついにはハイデガー、ウィトゲンシュタインやバタイユまででてくるので少し面食らうかもしれません。まずは「なぜ世界は存在しないのか」と「訳者解説」から読み始めるといいと思います。
斎藤幸平 @koheisaito0131
この「世界は存在しない」という問題を、哲学史的に(過去の哲学者、とりわけドイツ観念論がどのように扱ったか)を追っていくのが、一章のテーマになります。ガブリエルはヘーゲルやバディウが「世界」(絶対者)を反省によって把握できるという風に考えたことを批判します。
斎藤幸平 @koheisaito0131
それに対して、シェリングは「神話」を使って、「思考以前の存在」・退隠し続ける「世界」を、反省することのできないものとして、扱おうとしたというわけです。

佐々木雄大氏による解説

眼鏡パンダ @sacreconomie
『神話・狂気・哄笑』のガブリエルの議論は難しいが、訳者解説が非常に分かりやすく説明しているし、ガブリエルの哲学的意義については『ニュクス』第2号で浅沼さんが解説してくれているので、まずはそちらを読むことを推奨したい。その上で、私なりに噛み砕いていうとこうなる。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ガブリエルにもジジェクにも共通している問題意識は、世界を規定している主体それ自身の自己言及の問題である。超越論的統覚が自分自身を振り返る時の「それ」、反省作用そのものを反省する「それ」はどこにいるか。「それ」はどこにもいない。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ゲームのルールを規定するルールはゲームのルール自体の中にいない。例えば、「サッカーで手を使ってはいけないこと」は、サッカーのルールで決まっているが、「サッカーで手を使ってはいけないことをサッカーのルールとして採用すること」は、サッカーのルールで決めることはできない。
眼鏡パンダ @sacreconomie
サッカーの場合であれば、そのルールを決めるものは外部にあると言えるが、世界のルールを決めるものを外部に求めることはできない。なぜなら、もし世界の外部があるならば、それもまた一つの世界になってしまうからだ。つまり、世界に外部はない。
眼鏡パンダ @sacreconomie
したがって、世界を規定している超越論的統覚なり反省作用なりが自分自身を振り返る時(これをガブリエルは「高階の反省」と呼ぶ)、そこには何もないということに気づくのである。世界が必然性で成り立っているか偶然性によるかを分別する理性そのものは必然的でも偶然的でもありえない。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ドイツ観念論における主体性(理性・自我・同一性)とはまさしく、それ自身が成立しているということ自体のうちに、それ自身でないもの(無根拠性・他者・差異)を孕んでいるということである。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ガブリエルの導入する議論で「対象化」と「物化」という区別がある。我々は自分自身の根拠を問う時、芸術だろうと哲学だろうと、当の(無)根拠を対象化せざるをえない。しかし、物化とはこの(無)根拠性をあたかもないものとして取り扱うことだ。自然主義(自然科学)は世界を物化してしまう。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ドイツ観念論(あるいは哲学)の意義は、世界を物化する自然主義に対抗して、自分自身の無根拠性を反省できるという点にある。そうしたドイツ観念論の意義を、英米系の分析的ヘーゲルでもフランクフルト学派流でもない仕方で、ドイツ観念論そのものの中に読むことが、ガブリエルとジジェクの意図だ。
眼鏡パンダ @sacreconomie
そしてまさしく、この意図と軌を一にするのが、『ニュクス』第2号のドイツ観念論特集ということになる。理性的自我への世界の同一化という俗流ドイツ観念論理解に抗して、理性・自我・同一性自身の内に穿たれた他者と差異の問題を思考したのが、まさにドイツ観念論であったことを示すということだ。
眼鏡パンダ @sacreconomie
ガブリエルの論文に出てくる、あらゆる差異を糞便の量へと還元する「アナル・サディスティックな宇宙」(シャスゲ=スミルゲル)という議論がなかなかインパクトあるが、バタイユはこの概念に同意しないでしょうね。糞便こそまさに決して量化しえない異質なものだと言うでしょう。
眼鏡パンダ @sacreconomie
あらゆる差異を糞便の量に還元するというのは、あらゆるものを等質化する貨幣へと還元するということか。「糞便は貨幣ではないが、貨幣は糞便でありうる」(マルクス)。
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コメント

雑誌nyx&nyx叢書 @nyx_jpn 2015年12月2日
まとめを更新しました。
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