大正時代の飛行機乗り

義理の曾祖父について、ちょっと調べてみました。最後は、情報探索法などについても参考までに。
歴史 航空史 大正時代 航空機
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
先日104歳で亡くなった義理祖母の父親(義理曾祖父)についての続報。どうやら陸軍の飛行機乗りだったらしいというおぼろげな情報から、人名を頼りに探してみたところ、すこし面白いことが分かったのでご報告を。
大正時代の航空兵科将校名簿から
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
義理の曾祖父という人は佐藤求巳(モトミ)といい、航空兵科で大佐まで勤めた人。国会図書館のデジタルコレクションで公開されている「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和7年9月1日調」(dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…)の563コマ目によると、明治16年の生まれ。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
同じく国会図書館で公開されている「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調」(dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…)547コマ目によると、この頃には「気球隊 中尉 (近衛師団)」に属し、「臨時軍用気球研究会御用掛」の副官となって航空方面に配属されている。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
なおWikipediaの「空中写真」(ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA…)には「航空機からの撮影は、1911年(明治44年)4月28日、帝国陸軍の徳川好敏工兵大尉が操縦するブレリオ式飛行機から同乗の伊藤求己中尉により撮影を行ったのが最も古い記録」とあるが、誤記がある。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
この記載の「伊藤求己中尉」は、明治45年の気球隊の名簿(dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…)541コマ目によると「伊藤赳」の事だろう。恐らく、伊藤赳と佐藤求巳の名前が混同されている。記載の典拠とされた元新聞記事はこちら→ dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
ということで、航空機から撮影された日本初の航空写真の撮影者は、残念ながら義理の曾祖父・佐藤ではなく、伊藤赳となるはず。(この記事を見たとき、少しは期待してしまったのだがw)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
佐藤求巳は現役当時、幾つかの一般雑誌に寄稿したりラジオ講演をこなしていたようで、今調べただけでも幾つかの記事タイトルが検索でヒットした。例えば、東京放送局 編『ラヂオ講演集』第9輯、1926年(kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…)で「國防と航空機」の題で講演している。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
他にも、時事新報社の『少年』130号(1914年)に「高い程なく無い[ママ]」「武總平野横斷大飛行」を寄稿。また、探偵小説の紹介で著明な『新青年』誌(第3巻4号、5号/大正11年)にも、「凄惨なる生蕃討伐飛行」を寄せている。(一連の文章はまだ見ていない。。。目次のみ確認)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
関東大震災の折に、佐藤求巳は岐阜の各務原に配属されており、いち早く東京に向けて視察に送られた。その報告証言を大阪朝日新聞が電話取材して記事としていた。 → lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/Con…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
記事より「六日各務ヶ原を発し東京に入り審に其後の震害状況を視察し、八日帰隊直に第三師団司令部に報告した佐藤求巳少佐は左の如く語った /帝都の秩序は刻々に恢復されつつあって火災を免れた箇所は工兵隊の活動に依って六日以来水道も完全に復旧され、青山、渋谷方面は既に電灯もついている」
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
続き「電信交通機関も余程整理さるるに至った、特に山の手方面は八百屋其他各種の食料品店も開店し価格の如きも殆んど平常と変りはない又買う人も少くない、要するに各方面からする救援は完全に其目的を達しつつある訳で」。。。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
「現に女などの如き七日の午前中には美人と醜婦の区別さえつかない程であったのが七日午後には白粉をつけた女を見かけるに至った程である(名古屋電話) 」という一節が大正12年9月9日の大阪朝日新聞に掲載。義理の祖母は岐阜の高等女学校にも在籍していたとのことだから、まさにこの時だったか
情報探索の舞台裏
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
色々と検索した流れを書き連ねてみたが、すごい時代になったものだとあらためて。わずか2時間ほどパソコンを操作しただけで、ちょっとしたコラムが書けるくらいの情報なら、検索をかけただけで即座に手に入る。それでも、情報の精査と検証は必要になることは言うまでもない。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
Wikipediaの「空中写真」の記事を引用したが、肝腎の人名が間違っていたことをどうやって調べ直すかなどは、その検証の一例。2方向、3方向から検索をし直して調べるという一手間をかければ良いだけなのだが、ここまでは自宅で居ながらにしてできる。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
本当に研究論文や新聞記事にするのならば、次のステップとしては原資料(一次資料)を確認参照しなければならない。今の場合は、佐藤求巳が『新青年』に書いた記事を読まねば、ということになるのだが、これはどうやらまだデジタル化されていないようである。さてどうするか。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
その次の作業は、雑誌『新青年』が全国のどこの図書館に所蔵されているのかを調べること。(復刻版があるが、初版の情報を探す。)そんなときは、CiNiiの雑誌検索。調べてみると、18館に所蔵があるとのこと。著明雑誌の割には意外に少ない → ci.nii.ac.jp/ncid/AN0009820…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
このようにして、情報をたどっていく。本当に必要となった資料は、利用できそうな図書館に行って実際に請求して見るか、文献複写の依頼をする。『新青年』の場合は、復刻版があって90館近くの所蔵があるとのことなので、実際にはそちらを参照することになりそうである。近日中に調べてみるつもり。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
さらにさらに陸軍関係資料まで突っ込んで調べないと!となってしまったら、自分はまだ利用したことがないが、防衛省の防衛研究所の資料探索ということになるのだろう。(nids.go.jp/military_archi…)ここまでくると、軍事史の専門領域。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今まで書いてきたような情報探索作業を、やってみたいけれども独力ではできないなあ、と簡単に諦めないで欲しい。こんな作業を一部代行してアドバイスまでしてくれるのが、自治体などの図書館のサービスカウンター。こんな本がある、こんなデータベースがある、ということまでは探してくれるはず。
追記
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
先日まとめた「大正時代の飛行機乗り」(togetter.com/li/909293)の続編をブログに書きました。ここで言及したラジオ講演録の翻刻です。/『【翻刻】 佐藤求己「国防と航空機」(大正14年のラジオ講演)』 ⇒ amba.to/1RaHaxq

コメント

水牛・sui @suigyu703 2015年12月6日
図書館の利用方法もためになりました。
Phantom_Works @sutohKADAA_SYA 2015年12月6日
日本航空史の黎明で、臨時気球研究会が重要な位置を占めているのは知っていましたが、先生のお身内とは、びっくりです、
Kawai_Yusuke @fiddler_K 2015年12月8日
情報探索法「こんな作業を一部代行してアドバイスまでしてくれるのが、自治体などの図書館のサービスカウンター」
トッケイヤモリ @zatazata 2015年12月10日
陸軍のかなり初期の航空機乗りという内容も面白いけど、最後に書かれている調査手法も参考になる。
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