「20世紀初頭?に飛行機で来日、天皇に謁見したフランス人が賜った書(画賛)の意味を教えて!」(※現在、この人の名や絵のモチーフが判明)

いろいろ、お判りでしょうか?このまとめを作った時点(2017年6月14日午前2時半現在)で、そもそも最初の投稿から3時間程度しか経過しておりませんので、ご覧になっていない方もいると思います。 何かお分かりの方は直リプライでも、まとめコメント欄でも。 カテゴリは「ニュース」の「その他」から、今は「歴史」に変更。
大正天皇 梁川星厳 漢詩 飛行機 張良 天皇 フランス 歴史
gryphonjapan 15686view 41コメント
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  • PassyKis @passykis 2017-06-13 23:45:10
    この写真に書かれている文の意味がわかる方がいらしたら教えてください。 夫の友人のおじいさん(フランス人)が、初めて飛行機で東京に来た1900年くらいに、天皇に謁見した際いただいたものらしいのですが、残念ながら私には読めません。 pic.twitter.com/AdxwWVo9Ga
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  • Lukeia☆るきあ @52rainbow 2017-06-13 23:55:01
    @passykis はじめまして。大変に貴重なお品を見せてくださってありがとうございます。 素人ながら頑張って拝読してみました。 最後の一行は 「赤赤(←一文字)々 炎光の百年 」に見えますがいかがでしょうか。書道家の方や古文書にお詳しい方からのリプライが沢山あるとよいですね。
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 00:03:08
    @52rainbow 早速のお返事どうもありがとうございます。私はどうがんばっても百年くらいしか読めませんでした。「これからの100年も栄えますように」とでもいういみなのでしょうか。日本人だったらわかるはずと気楽に引き受けた夫(仏人)も夫です。(笑)
  • 津月あおい @tsuzuki_aoi 2017-06-14 01:31:31
    @passykis かなりの崩し字ですね…。全然間違ってるかもですが、わたしにはこう見える、ということで…。「状説掃人風骨似 ●浪一警鐘為て 敵門総力候●挙 赫々炎光の百年」
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 04:18:45
    @tsuzuki_aoi ありがとうございます。私には「漢字」だということ程度しかわかりませんでした。
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 04:21:04
    @baritsu ありがとうございます。存在するものだったのですね。
  • ちていのき @baritsu 2017-06-14 05:18:58
    @passykis 3行目の字の幾つかがどうにも読めなくて、不安は残るんですが、他の行は同じなので…^^; 詳しい人が解読したら少し改変されてるとかあるかもしれません。その辺はご容赦ください
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 05:31:12
    @baritsu いえいえ、漢字も読めなかった私からすれば同じものだと思えます。
  • 砂井裏鍵 @urakagi 2017-06-14 08:55:39
    @passykis @baritsu 劉季の名前がそのままなので多分改変はされていないかも?頭の二文字がどうやっても「肯將」には読めないんですが、「四百年」が「の百年」にしか見えない達筆っぷりですしまぁ……
  • イワタニ @i_iwatani 2017-06-14 02:18:52
    これ、張良を唄った漢詩で 状貌婦人風骨仙 博浪一撃胆如天 肯将餘力借劉季 赫々炎光四百年 で意味が 容貌は婦人だが風骨は仙人 博浪の始皇帝暗殺未遂から胆力は天のようだ 肯て余力を持って劉邦(季は字)に借す その名は400年の未来まで伝わっている かな。 twitter.com/passykis/statu…
  • イワタニ @i_iwatani 2017-06-14 02:22:26
    いや、合ってるか。ちょっとわからん。一人で混乱してる。
  • イワタニ @i_iwatani 2017-06-14 02:30:30
    元の話を踏まえて考えると、さすがに1900年はライト兄弟飛行以前だし、フランス人絡みだと1909年のル・プリウールがグライダー滑空に成功した時のものなのかな。WW1には日本陸軍が軍用機を実戦投入してたはずだから、その後で天皇陛下から御製を賜ることはないと思うし。
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 04:24:05
    @i_iwatani 訳まで教えていただきどうもありがとうございます。これをフランス語にできるとは思えないのが情けないですが、私も調べてみて頑張ってみます。
  • イワタニ @i_iwatani 2017-06-14 04:39:57
    @passykis いえ、少しでもお役に立てたなら何よりです。 漢詩を頂いた状況などが分かれば解釈も違ってきそうですけど、ル・プリウールみたいに初めてのことを成し遂げた外国人に贈ったとするとあなたの名は400年の未来まで伝わる、という意味なのかなぁ、と思うところです。
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 04:51:41
    @gryphonjapan もうかなりストーリーがわかってきているようです。すごいです!ツイッターでこんなことができるなんて知りませんでした。コメント欄を見させていただきます。ログインしてお礼やコメントを書いたのですがなぜか拒絶されてしまうのが残念。 本当にどうもありがとうございます。
  •  張良図賛

    http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sen12.htm

    状貌婦人風骨仙(状貌は婦人 風骨は仙)
    博浪一撃胆如天(博浪の一撃 胆 天の如し)
    肯将餘力借劉季(肯て餘力を将って 劉季に借す)
    赫赫炎光四百年(赫赫たり 炎光 四百年)

    【このまとめのコメント欄に寄せられた現代語訳】

    柳野かなた @yanaginokanata

    『張良の図を賛ず』 
    婦人のような容貌だが、風骨は仙人のようだ
    博浪沙での一撃(※始皇帝暗殺未遂) 肝がまるで天のように据わっている
    あえて余力をもって 劉邦のもとに身を寄せた
    四百年にわたる王朝を築き上げた 華々しい功績はあかあかと輝いている

  • コメント欄より

    ウィルヘルミナ (Vilhelmine) @HelmiLokadottir

    原文を可能な限り旧字体を交えて復元するなら

    狀貌婦人風骨仙/
    博浪一擊膽如天/
    敢以餘力假劉季/
    赫赫炎光四百年

    になるでしょう。漢詩の例文と異なる点は

    「肯て→敢て」
    「將(将)て→以て」
    「借す→假(仮)す」

    の3点で、これら同意異字が果たして、異本等による違いか、暗誦による変遷か、はたまた違う理由か、どなたか詳しい方にお願いします(丸投げ)。

  • 柳野かなた @yanaginokanata 2017-06-14 05:43:31
    @passykis わたくしのような者にはご下賜の意図などは判じかねますが、一つ稚拙な仮説として。もしご友人のお祖父さまが御雇外国人として何が..「「20世紀初頭に飛行機で来日、天皇に謁見したフランス人が賜った書の意味を教え..」togetter.com/li/1119954#c38…
  • 柳野かなた @yanaginokanata 2017-06-14 05:51:16
    この画賛の詩、『炎光』のたった二文字で火徳をもって成立した炎漢、炎劉になぞらえての炎に、後漢の祖である光武帝の光で前漢後漢の四百年を表現しつつ、張良の勲功の輝かしさも合わせて示してるのが巧いなー。それを明治にやってきたフランス人にご下賜。なんとも雅で華やかで、心が和みます。
  • ※桐野かなたさんのツイートはコメント欄のものも含めご覧ください

  • PassyKis @passykis 2017-06-14 05:57:27
    @yanaginokanata 20世紀初頭に、フランス人がなぜ遠い日本まで飛行機で来たのか。そして天皇に謁見する目的は何だったのか、もし孫である友人が伝え聞いているようなら興味深いと思いますが、「日本の天皇が書いてくれたもの」としか知らないようです。残念ですが。
  • 柳野かなた @yanaginokanata 2017-06-14 05:59:43
    @passykis あっ、文章がまとまりないのが気になって、一度削除してつぶやき直した際に、大正天皇の話をごっそり削ってしまいました。なんだか入れ違いで失礼を。ともあれ参考になりましたならば幸いですが、あいにく浅学の身ゆえ、誤りが御座いましたら平にご容赦を。
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 05:45:46
    詳しい説明までどうもありがとうございます。1900年より少し後のようなので大正天皇かもしれませんね。千三百首以上の漢詩を詠まれたとは知りません..「「20世紀初頭に飛行機で来日、天皇に謁見したフランス人が賜った書の意味を教え..」togetter.com/li/1119954#c38…
  • PassyKis @passykis 2017-06-14 04:29:03
    @gryphonjapan @52rainbow @tsuzuki_aoi @baritsu ありがとうございます。このように多くの人から助けを得ることができるのですね。背景などがわからないと難しいかもしれませんが、現代語訳になっているとフランス語にもしやすいので助かります。

コメント

  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    @passykis  さんの問いの答えが出ることを期待して、@52rainbow @tsuzuki_aoi @baritsu 各氏のリプライとともに「まとめ」にさせていただきました。@passykis  への直リプライでも、まとめへのコメントやブクマでも、何かわかりましたらお願いします 「張良図賛」にどんな意味を込めたのだろう?
  • 柳野かなた @yanaginokanata 11日前
    @passykis 『張良の図を賛ず』 婦人のような容貌だが、風骨は仙人のようだ/博浪沙での一撃(※始皇帝暗殺未遂) 肝がまるで天のように据わっている/あえて余力をもって 劉邦のもとに身を寄せた/四百年にわたる王朝を築き上げた 華々しい功績はあかあかと輝いている
  • 柳野かなた @yanaginokanata 11日前
    @passykis 漢王朝の成立に大功あった軍師、張良の図に添えられた梁川星巌の画賛ですね。1900年は明治33年、明治天皇の御代でしょうか。明治天皇の発案で設立された旧華族の和歌の会『向陽会』の初代幹事、宇田栗園がまさにこの『張良図賛』の漢詩の作者、梁川星巌のご門下です。
  • 柳野かなた @yanaginokanata 11日前
    @passykis わたくしのような者にはご下賜の意図などは判じかねますが、一つ稚拙な仮説として。もしご友人のお祖父さまが御雇外国人として何がしかの仕事のため来日されたのであれば、君臣関係の一つの理想として讃えられた、皇帝劉邦と、客将であり参謀であった張良の関係になぞらえて、名軍師張良のように務めに励んで頂きたい、という意図で『張良図賛』を下賜された、ということかもしれませんね。
  • PassyKis @passykis 11日前
    詳しい説明までどうもありがとうございます。1900年より少し後のようなので大正天皇かもしれませんね。千三百首以上の漢詩を詠まれたとは知りませんでした。骨のある詩人に天皇は魅かれるものがあったのでしょうか。
  • 重-オモ- @__oMo__ 11日前
    海外から日本へ初めて飛行機でやって来たのは1920年のアルトゥーロ・フェラーリン中尉(イタリア人)と言われている。「フランスから飛行機できた」のが確実なら、天皇に謁見したのは1920年より後、大正時代以降ということになる。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    【提案】ぶっちゃけ、ネットメディアも一般メディアもこの話題で、とニュースなりワイドショーで紹介するに値するニュースになると思わへん?そしてそっちでも専門家に聞いていただくと。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    __oMo__ passykis うん、⇒『初めて飛行機で東京に来たフランス人』  という方面からも絶対に記録が残っていてわかるとは思うんですよね。そもそも、その方(おじいさん)のお名前は公開はむつかしいですか?
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    原武史@haratetchan 先生の「大正天皇」http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16943にも、大正帝が実作ふくめ漢詩への造詣が深かったことが描かれている。これが大正時代の話とするなら、原氏なら、一見して何かお分かりだろうか。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    ということで秦和生先生 @hatakazuki5が漫画の主人公にしてたりする古代中国史の英雄「張良」が、この詩のモチーフだと。どうしてそれを皇室はフランス人に与える書に引用したのか、これは仮説を立てていくしかないか…
  • 文里 @wenly_m 11日前
    謁見記録が発掘されると良いな
  • kartis56 @kartis56 11日前
    仏語ウィキペディアでは1869-1924のフォールは見つからない
  • kartis56 @kartis56 11日前
    https://en.wikipedia.org/wiki/French_military_mission_to_Japan_(1918%E2%80%9319)  リファレンス 『筆と刀』在日フランス商工会議所、2005年
  • kartis56 @kartis56 11日前
    仏>日 の初飛行だと1924年? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%BB%8F%E9%96%A2%E4%BF%82 「飛行機で来た」と「飛行機の件で」来たでだいぶ話が違いそう。詳細まちかな
  • 冷たい熱湯 @Tuny1028 11日前
    さすがに伝言ゲームが過ぎるか。せめて旦那さんのご友人のコメントが欲しい
  • イワタニ @i_iwatani 11日前
    https://twitter.com/i_iwatani/status/874680389557665792にも書きましたが、フランス人絡みで初、となると1909年のル・プリウールが日本で初のグライダー滑空に成功した時が一番年代的には近いとは思っています。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 11日前
    やはり書をもらったご当人、このかたのお名前が分かれば一気に話が進むと思うんだがな
  • PassyKis @passykis 11日前
    今夫と電話で話したのですが、そのフランス人は、飛行機が途中で故障したので中国に寄ってから日本に来たとのこと。ひょっとしたら「失敗してもあきらめることはない」という意味でこの漢詩を贈られたのかもしれません。天皇から刀や絵ももらったそうです。その刀を夫は見たことがあってすばらしかったと。まずこのフランス人の名前や詳しい話を聞いてみると言っています。みなさまにご協力いただいた情報を知らせたらとても感謝していました。ありがとうございます。
  • nekosencho @Neko_Sencho 11日前
    というか、その時代だと故障がなくても何回も着陸して燃料入れてまた飛んで、それでやっと到達です。
  • 炭火の鳥 @higashi_no 11日前
    最近は怒りや嘘や荒れ放題の流れだったこともあり、このような風雅なまとめをみると心が洗われます
  • PassyKis @passykis 11日前
    1924年パリ―東京を初めて飛行した人らしいです。(外国人としては1920年アルトゥーロ・フェラリンがローマ―東京を飛行)フランス語のウィキは長いのですが、日本語はかなり省略されてます。 大正天皇から賜ったのは、龍に乗った髭の男と彼に脱げた靴の片方を渡している人が描かれた絵(150x80cmのキャンバス地)の中に梁川星巌の詩が書かれているそうです。この絵は天皇から直接渡されたらしいですが、詩を書いたのが画家なのか天皇なのかは不明。絵の作者名はフランス人には読めないらしい。
  • PassyKis @passykis 11日前
    ウィキペディアを見て、彼がどうして天皇に謁見できたかは、リンク先にある滋野 清武のウィキを読んだらだいたいわかりました。謁見については書かれてないので非公式なものだったのでしょうか。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E9%87%8E%E6%B8%85%E6%AD%A6
  • PassyKis @passykis 11日前
    当時のフランス大使がポール・クローデルだったのも関係しているのかもしれません。絵と刀の写真を送ってくれることになっていますのでまたネット上に載せたいと思っています。 ジャン・ドワジーというジョルジュ・ペルティエ=ドワジーの甥の知り合いという日本人の方が、ブログで「日仏ふたりの飛行家」というタイトルでいろいろ書かれています。http://www.lgmi.jp/detail.php?id=574
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 10日前
    ふうむ、天皇の日々の記録はこの前昭和天皇で話題になった「実録」にまとめられるはずで、そちらからも調べられるかな?
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 10日前
    【個人的仮説】「張良」で今のわれらが最初にイメージするのは「智者」「美男」だけど、画賛を見ると「度胸と勇気がある」「大胆にリスクの高い試みに挑戦し、決して諦めなかった(始皇帝暗殺未遂と倒秦運動)」という象徴でもあった?ようですね。それなら当時まだまだ危険だった飛行機での日本飛来を試み、成功させた人に贈る詩としてふさわしかったんじゃないのかしらん。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 10日前
    分かってきたことが増えるにしたがって、このまとめの収録ツイートもだいぶ話題が拡散していきますが、それはまとめ人の性質上しょうがないと思ってください(笑)
  • ウィルヘルミナ (Vilhelmine) @HelmiLokadottir 10日前
    原文を可能な限り旧字体を交えて復元するなら「狀貌婦人風骨仙/博浪一擊膽如天/敢以餘力假劉季/赫赫炎光四百年」になるでしょう。漢詩の例文と異なる点は「肯て→敢て」「將(将)て→以て」「借す→假(仮)す」の3点で、これら同意異字が果たして、異本等による違いか、暗誦による変遷か、はたまた違う理由か、どなたか詳しい方にお願いします(丸投げ)。
  • 重-オモ- @__oMo__ 10日前
    ドワジー氏のことを調べていたらこのようなブログを見つけた。表記は「ドアジー」。行程は1924年6/8大阪(城東)着→6/9埼玉(所沢)着→6/19東京から神戸>「神戸からは船で帰り、インドシナ総督の虎刈りに参加して本国に戻る予定だと新聞は報じています。」「新聞は組閣一色になり東京に入ってからの歓迎会の様子はほとんど報じられていません。英米機と違う点は二人には皇室から勲章が授けられたことでした。」>http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-29-1
  • 重-オモ- @__oMo__ 10日前
    ドワジー氏が再来日していないなら、1924年の6/9から6/19までの間に天皇に謁見して勲章を受けたということになる。再来日していたらまた別の機会があったかもしれない。
  • PassyKis @passykis 8日前
    __oMo__ とても興味深いブログを紹介してくださりどうもありがとうございます。1926年にも再来日を希望していたのなら日本を気にっていたのでしょう。大破した飛行機がその後修復され朝日新聞で使用されていたとは驚きです。今晩夫はドワジーの息子(85歳)の家に招待されているので、皇室から賜ったものを見せてもらうそうです。父親の歩んできた道をあまり知らないらしく、その価値もよくわかっていないようです。
  • PassyKis @passykis 8日前
    kartis56 当時の飛行ブームのようなものが感じられますね。勲章までもらったのなら再来日の許可が下りなかったわけはないと思うのですが。
  • PassyKis @passykis 7日前
    ドワジー家にある勲章や刀(長さ1.5m位。よく切れるので危ないらしい)、絵(絵ではなく織物だったようです)、息子のユベールさんの写真(後ろに写っている家具の扉も日本からのものだそうです)の写真が送られてきたのでアップします。やり方がよくわからないのでツイッターに2枚ずつ。
  • PassyKis @passykis 7日前
    このように まとめを作っていただいたおかげでかなりの情報をドワジーの息子ユベールさんに伝えることができました。皆様に感謝を伝えておいてほしいとのことです。写真を私のツイッターに載せてみましたのでよろしければご覧ください。ドワジーには3人の子供がいて、長女ジャクリーヌの名は飛行機にも付けているようです。姉も弟もまだお元気だとか。刀2本のうち1本は弟のところにあるそうです。今回のことでわかった甥(退役軍人)のジャン・ドワジーにも連絡をすると言っています。
  • gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 4日前
    passykis その後にUPされた「ドワジー家の記念品」画像を収録しています。/twitter上ではざっとこんな感じだけど、普通のテレビや雑誌、新聞社など、この「ドワジー家の記念品」に興味をもって、紹介したいというとこはないかしら?
  • PassyKis @passykis 4日前
    gryphonjapan ドワジーの子供たち3人、元軍人の甥、みな80を超えているので話を聞くなら今なのですよね。飛行機に夢中であまり家には帰ってこなかったらしいです。でも同じ軍人の道を歩んだ甥にはいろいろ話をしているみたい。それにしても、織物に墨で字が書けるのかなあと思ってしまいました。ドワジーの回想録もあるのですが、歓迎してくれた人の中には着物を着た芸者もいた、などどうでもいいことばかり書いてあるのだとか。(笑)
  • 九十九 @hakqq 20時間前
    日本画は絹に描くことは多い/旭日小綬章だと、現在は担当相よりの伝達、後集団拝謁(定例授与時)。添え書きにあるよう特例なので、ご臨席はあったかもしれない/刀は銘が見てみたい(我欲)/2つ目のメダルは何だろう

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