翻訳によって増殖するテクスト

@rudeflowerさんが、カート・ヴォネガットのコメントを契機に、芭蕉の翻訳を例にして、翻訳がテクストを保存し、豊かにする役割を考察する過程は、大変示唆的だ。
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@rudeflowers

カート•ヴォネガットがエッセイの中で、セリーヌの小説は、ある時代のある地域にしか通用しないスラングが多く、今ではフランス人にさえ分からないらしい、だが英訳はもっと一般的な言い回しを使っているので、後100年やそこらは読み続けられる可能性がある、と書いていた。

2011-01-18 11:14:54
@rudeflowers

セリーヌだものそんな事もあるや知れないと思い、そのまま特段思い返すこともなかったが、ハーンが芭蕉訳を知り思い出した。 Old pond, frogs jumping in, sounds of water

2011-01-18 11:19:42
@rudeflowers

サイデンステッカーの訳は知っていた。 An old quiet pond…A frog jumps into the pond Sprash! silence again ちょっと説明が多いと思う。

2011-01-18 11:23:35
@rudeflowers

両者の訳ではカエルの数が違う。ハーンは複数、サイデンステッカーは一匹だ。「古池や蛙飛び込む水の音」からついつい一匹の蛙を想像していたが、1匹しかカエルのいない池はないだろう。 写生の観点からはハーン、侘びしさを醸すならサイデンステッカーだろうか。恐らく正解はない。

2011-01-18 11:29:49
@rudeflowers

芭蕉が活躍したのは元禄だから300年位前になる。近松や西鶴を原文で読めない者には芭蕉の句から情景=カエルの数を思い浮かべることは難しくとも、英訳からは容易に分かる。 訳とは他文化への紹介ではなく、時代の変化に負けない保存行為でもあるんだな。 昨日は芥川賞と直木賞の発表でした。

2011-01-18 11:37:00
@rudeflowers

翻訳…traductionは、向う側へ(trans)導く(ducere)こと、此処にあるものを向こう側に理解しやすい形で伝達する行為だ。テクスト→■→テクスト だがベンヤミンは、翻訳はシュンボロンに似ているという。シュンボロンは陶器の破片。古代ギリシャでは身元確認に使われた。

2011-01-18 11:49:25
@rudeflowers

陶片を二つに割り、切り口が合えば仲間だと分かる。ベンヤミンは翻訳された言語がオリジナルの切り口と合わなければならないという。単に言葉を入替るのではなく、原作者の思いを伝えるために恣意を入れる。 ベンヤミンは、それを愛と呼ぶ。

2011-01-18 11:55:43
@rudeflowers

デリダはベンヤミンを踏まえ、翻訳は他の言語に置き換えることではないという。翻訳によって原文は成長するというのだ。シュンボロンの切り口が豊かさや膨らみを増す。 このことを深く納得する。ハーンとサイデンステッカーの訳がなければカエルの数なんて気にもしなかった。

2011-01-18 12:01:27
@rudeflowers

芭蕉のカエルは何匹いたのだろう。一匹か、複数だとしたら僅かなのか、数え切れないのか。正解はあるのか。 古典文学の門外漢にとって召喚したいのはベンヤミンでもデリダでもない。クワインだ。唯一の正しい翻訳はなく、巧く機能する複数の体系があるだけだという。翻訳の不確定性。

2011-01-18 12:07:47
@rudeflowers

孤立したただ一つの正解があるのではなく、複数の翻訳によって全体像を構成するという考え方。 確かにそうかも知れない。原典に当たる際も僕は辞書が必要だし、仮に知っている語彙と文法で構成された文章に当たる時にも、翻訳を通して得たものを基盤にしている。常に複数の体系が錯綜しているのだ。

2011-01-18 12:15:29