刀剣達の正月行事に対する意識の違いについて

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フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

初詣について補足しますと ・原形は恵方詣(元旦に恵方にある寺社に参拝する) ・明治以降、鉄道の発達で参拝先が遠距離化 ・次第に『恵方にある』部分が薄れ、大正以降『元旦にお参り』だけが残る 従って、蜂須賀虎徹の号ついた昭和期になると、完全に今の形の初詣が伝統行事化してるんですね

2016-01-02 02:28:36
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

ですので現在実装済の刀剣ですと 石切丸・太郎太刀・次郎太刀 →元旦の神社に、大勢の参拝客が訪れるようになったのは、最近になってから、昔はそうでもない 宗三左文字・骨喰藤四郎・髭切 →明治以降の奉納なので、元旦に参拝客が沢山来るのが普通。 という感覚の違いはありそうかなあと。

2016-01-02 02:37:21
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

初詣ネタ、鉄道網&初詣&年賀状を簡単におさらい1 ・明治5年、東京横浜間正式営業開始 ・同7年、大阪神戸間開通 ・同10年、私鉄の営業開始 ・この頃から、恵方詣(元日、恵方にある寺社にお参り)と絡めた鉄道会社のイベント&宣伝が盛んに ・同20年代、年賀郵便の取扱量が増大

2016-01-02 13:47:41
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

榊原&同田貫による展覧兜割りが明治18年 従って本丸の同田貫正国(そもそも特定の同田貫刀の付喪神なのか?)は ・年賀状→分かる ・初詣→元旦は恵方詣、普及も都市部のみ(初詣の呼名と普及は大正後期) で当時は多分知らなかった、と思う twitter.com/flowerdoctrine…

2016-01-02 14:02:00
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

つまり、同田貫正国が、新しく見積もって明治の兜割で付喪神の個を獲得したと考えた場合 ・年末に年賀状と食事(重箱=おせちではない時代)の準備 ・年賀状出す=挨拶回り省略→近場への挨拶済ませたら後はごろごろ が、この当時の少し余裕のある庶民の過ごし方だから、同田貫もああなんだよ

2016-01-02 14:11:38
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

個人的にですが、どの刀剣も年賀状ネタは出してこなかったので、そこはちゃんとわかってて新年のセリフを作ってる気が (前述のとおり、年賀に挨拶状を送るのが普及したのが郵便制度の確立以降で、年賀郵便として通常郵便と別処理始めたのが明治32年。それまでの年賀手紙はのんびりしたものだった)

2016-01-02 14:19:45
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

なにせ、年賀の挨拶への返礼の手紙が、梅雨の時期に届きましたって歌があるんだぞ…<郵便制度確立まで、のんびりした年賀手紙のやり取り

2016-01-02 14:22:02
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

とりあえず後は、脇差&短刀と、その保護者(一期一振と明石国行)に、お年玉の存在を教えたのは誰だろうって話になるな。 小夜ちゃんは、ついさっきまでお年玉何それ状態だったみたいだし、 逆に、浦島虎徹の新年挨拶は、目上が目下にお年玉を贈るのが当然、常識という感覚だからこそ言えるんだよね

2016-01-02 14:38:27
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

お年玉を声高に("゚д゚)クレしたりする粟田口短刀達は、どこかで知識を仕入れたか、一期一振にお年玉をもらって初めて ・お年玉=目上の人がくれる良いもの(*'▽')!! と知って、審神者に要求しに来たようにも見える

2016-01-02 14:41:42
フラワードクトリン@東5テ33a @flowerdoctrine

一期一振や明石国行がお年玉をちっさいのにあげるのは A本丸に来てから自分で現代の正月のやり方を調べた B審神者が教えた、準備しているのを見て知った C短刀や脇差の方が先にお年玉を知っていたので のどれがいいかなあ。

2016-01-02 14:46:16
とくぞうだったんですよ @sv_g8

(みなさん……年賀の挨拶でお年玉を渡す習慣は近年でしたが、江戸以前では大名の間で年賀の祝いに『短刀』『脇差』が贈られることも多々ありました……つまり脇差以下は「お年賀は僕です」ワンチャンあります……現場からは以上です……)

2016-01-01 01:06:35
とくぞうだったんですよ @sv_g8

あと青江のあの丸亀で一緒に展示されてた糸巻太刀拵はお年賀や節句とかの目出度い折に着用する『晴れ着』だったはず。そういうお家の名物扱いの子はお洒落してくれるかもしれないんですね……たしか少なくとも大倶利伽羅と物吉はそういう扱いだった筈!ソースあいまいです!

2016-01-01 01:12:59
とくぞうだったんですよ @sv_g8

堀川国広の脇差とか目出度いし品もいいから贈答品としては非常に重宝されてたんじゃないかしらーと思うワイさにわ。たしか堀川物自体が何万石レベルのお侍が持つような刀なのに加えて、『国広』って名前が目出度かった。『国に広がる』ですからね、刀はそういう縁起物なとこもあった

2016-01-01 01:55:54