『正法眼蔵』を読む前に-実際に悟った老僧の認識形態について-

禅に関して難波さんから色々と貴重なことをお教えいただきましたのでまとめてみました。
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難波修羅 @nanbashura

@Leethoo_Tat 現象学を経由している人は誤りが少ないのですけれど、思考を脱するという訓練まではしないことが多いので、文体の荘厳さにあてられて惑うことがとても多いです。読む前に基本的な主張・感覚がピンとくるというのがとても大事です。

2016-01-02 23:36:32
レートー・タト @Leethoo_Tat

@nanbashura ご紹介いただいた動画ビシビシきてます…。

2016-01-03 00:40:24
レートー・タト @Leethoo_Tat

@nanbashura 難波さんへ。今の私の「動画を見たありのままの感想」で申し訳ありませんが、悟りを開いたとされる人の語りを聞いてると、我々に「分かっている」と思われている言葉の数々(虚心坦懐だとか無我とか)が尽く全然体得されてないということをビシバシ突きつけられる意味で、(続

2016-01-03 18:06:59
レートー・タト @Leethoo_Tat

@nanbashura ハイデガー的な術語で申し訳ありませんが私の感想そのものが「非本来的自己内に没入している世間のひと(das Man)が、本当に本来的自己に覚醒した立場の人を見たらこういう印象になるのだろうか」としか「感想」では言い表し得ませんでした。

2016-01-03 18:12:43
難波修羅 @nanbashura

@Leethoo_Tat そうでしたか。義衍老師の方の動画も、見事なまでに会話が噛み合わないのを見ていただけると思いますが、こういう「客観・第三者の審級は甘え」ぐらいの異次元の認識から正法眼蔵など禅の(まともな)書籍は書かれています。

2016-01-03 18:23:39
レートー・タト @Leethoo_Tat

@nanbashura 随聞記がそういうことを語り調で聞かせてるという印象がありましたが。かなり厳しいですね、本当に。

2016-01-03 18:30:41
難波修羅 @nanbashura

@Leethoo_Tat 貫道老師が厳しいのは性格のせいだとは思いますが。

2016-01-03 18:37:35
レートー・タト @Leethoo_Tat

言葉(ランガージュ)自体が生得的なもので、そもそも「他人≒私」→「世人」になる(或るいは頽落する・ラング化する)もののもとを含んでるっていうことを否が応でも突きつけられた心地がしている。そしてまた丸山圭三郎の言葉が生き返ってきてしまった。

2016-01-03 19:36:30