内海健先生の「双極性Ⅱ型という病 -うつ病新時代-」改訂版の要約

一気に読みました。旧版を読んだ人にも再読の価値があると思います。
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chitose @kasega1960

ウツミ先生の「双極Ⅱ型障害という病」改訂版、実にサラサラとp.60まで読んでみたが、相当に手を入れて、わかり易くなっている気がする。旧版を2度目に読もうとするより、この改訂版を敢えて買って読む価値は十分にありそう。amazon.co.jp/dp/4585240055/…

2016-01-11 00:57:27
chitose @kasega1960

テレンバッハの「メランコリー」より:「それはまるで、会社が自分の気使いによって存続しているような考え方だった」・・・・古典的なうつ病患者の場合。

2016-01-11 01:07:56
chitose @kasega1960

「BPD(境界例人格障害)の場合、人をひきつける魅力を持った外見に反して、生産性が意外なほど貧困であることが特徴的である。それに対して、双極性Ⅱ型障害の場合には、病前や病間期社会的に機能しており、場合によっては高い能力を発揮して、成果を挙げていることである」(p.75)

2016-01-11 01:23:02
chitose @kasega1960

「双極性Ⅱ型障害の場合、過食嘔吐は彼女らに何らかのメリットがある。それを見定めれば、無理にコントロールしようとしない方がいい。『必要がなくなれば起らなくなる』ぐらいに考えておいてしかるべきであろう」(p.77)

2016-01-11 01:32:04
chitose @kasega1960

「(双極性Ⅱ型の場合)単極型うつ病や躁うつ病にはあまり見られない創造性を発揮することがある。天才とまではいかなくても、才人にはしばしば出会う」(p.79)

2016-01-11 01:48:42
chitose @kasega1960

「彼女らは、おしなべて甘え下手である。親に甘えるというよりは、むしろ親が彼女らに甘えてきた、と言った方が適切である。この関係は家族の外でも再現される。彼女らの多くは頼られる。(中略)あるいはスケーブゴートとして機能を果たしているときもある」(p.149)

2016-01-11 03:07:12
chitose @kasega1960

「彼ら彼女らは『支持的』と言われる対応では物足りないと感じる。(中略)通常この類型に人たちは強い刺激を必要としている。それゆえ通り一遍の対応では彼ら彼女らにとって痒いところに手が届かないごとくとなる」(p.155)

2016-01-11 03:16:24
chitose @kasega1960

「双極性Ⅱ型の場合では、り病中に経験したり学んだりしたことは、よきにつけ、悪しきにつけ、その後に刻印される。実際、精神療法の効果は、回復期にも持続しているし、回復後も精神療法は有効である」(p.156)

2016-01-11 03:21:59
chitose @kasega1960

「双極性Ⅱ型の場合には、境界性パーソナリティ障害のように、治療者の肯定的感情が、治療者への過度の理想化を呼びおこし、患者の期待に何とか応えようとするうちに、(中略)治療者の側にちょっとでもネガティヴな感情が芽生えるや、にわかに価値下げに転じ、・・・」(続く)

2016-01-11 03:33:28
chitose @kasega1960

「(つづき)・・・そうなると治療者は身動きが取れなくなる、といっためまぐるしい不安定性はない。肯定を常に求め、治療の枠組みを侵犯することも稀である」(p.162)

2016-01-11 03:36:21
chitose @kasega1960

「治療者の前でいい子でいられようとすることへの反動が生じないように、悪への通路を塞がないこと」(p.164)

2016-01-11 03:39:57
chitose @kasega1960

「そもそも患者の行動化は、患者自らが生き方の中に取り込めなかった『悪』の部分である。(中略)投げかけられた悪に対して、もちろん一定の限界はあるにせよ、治療者は応えることが求められている」(p.166)

2016-01-11 03:45:06
chitose @kasega1960

「躁と鬱は、対照的な地点に位置づけられながら、同時に強い連関を持つ。いわばコインの裏表のようなものであり、場合によっては同時にすら存在する。更に言えば、共通の根を持つかもしれないのである」(p.172)

2016-01-11 03:50:10
chitose @kasega1960

「(躁と鬱の)混合状態とは偶発的もしくは付随的な病像ではなく、中核的なものであり、内因性の指標を一貫して担うものである」(p.180-181)

2016-01-11 03:56:31
chitose @kasega1960

「厄介なのは、抑うつというものが、後になってからはじめて、『随分良くなった』『あの時は十分に回復していなかった』と、本格的にわかるということである。ある時点で、潮目が変わるような、あるいはバーストのごとき変化が起ることもあるが、それがいつ到来する、見当はつかない」(p.186)

2016-01-11 04:03:05
chitose @kasega1960

「この時期に復職を急いではならない。(中略)『まだよくなっていない』ということではなく、『まだよくなる余地がある』ことを(患者と)確認する」(p.186)

2016-01-11 04:06:59
chitose @kasega1960

「(患者が)一時的に気が大きくなって決めたことが、後々患者にとって大変な負担になることはしばしば見かける。こうした意味でも、回復途上にある職場復帰の希望は、変動の消退を見極めるまでは棚上げにしてもらうほうが良いだろう」(p.187)

2016-01-11 04:12:19
chitose @kasega1960

「メランコリー親和型の鬱は、戦後の一時期、日本と西ドイツという、歴史的、地誌的に限定された中で、こうした類型が抽出されたのである」(p.214)

2016-01-11 04:21:50
chitose @kasega1960

「実際にメランコリー型の失効をもたらしたのは、高経済成長による目標達成=喪失,『勤勉、節約、服従』といった通俗道徳の没落、価値観の多様化、権威の失墜ないしその存在の不明確化、などと呼ばれるものである」(p.216)

2016-01-11 04:26:45
chitose @kasega1960

「彼ら彼女らは、しばしば『自分は存在して良いものか』という、痛ましい問いのもとにある。大切なものを台無しにしてしまった、という根源的な次元はすぐそこにある。この『悪』の問題はかつてのうつ病臨床にはほとんだなかった。あったとしても例外的であった。」(p.230)

2016-01-11 04:35:36
chitose @kasega1960

「『良き』病人としての役割同一性と、楽観的な予後に支えられ、『善』のループが循環していたのである。それゆえ、多くの臨床家が、リストカットや過量服薬、その他さまざまな『ダークサイド』の噴出に戸惑っている」(p.230)

2016-01-11 04:40:17