「石田三成の青春」第9話 「友よ!~佐和山から関ヶ原へ~」
お待たせいたしました。 「石田三成の青春」第9話【最終話】 「友よ! 石田三成襲撃事件」第1回 ぼちぼち始めさせていただきます。 #友よ pic.twitter.com/dOXSvHrdmU
2016-01-05 19:00:15石田三成の青春 第9話【最終話】 友よ! ~佐和山から関ヶ原へ~ (一) 街道に真夏の日差しが容赦なく照りつける。 #友よ
2016-01-05 19:00:48輿での移動で、直接さらされることはないが、この時期の旅は、病を得た身には、やはりつらい。主の身体を気遣う家臣たちの計らいで、通常よりも時間をかけて、越前敦賀六万石・大谷吉継の軍勢は進んだ。 #友よ
2016-01-05 19:01:59慶長五年六月、会津百二十万石・上杉景勝は公然と軍備を増強。隣国の大名から謀反の疑いありと訴えが出た。 #友よ
2016-01-05 19:03:30伏見で政務を執る徳川家康は、再三再四、上坂弁明を求めたが、その度に景勝は、言を左右にして応じなかった。業を煮やした家康は、豊臣公儀の名において、上杉討伐の軍を起こしたのだった。 六月末、吉継は、討伐軍に合流すべく、居城・敦賀城を発った。 #友よ
2016-01-05 19:04:37一昨年、慶長三年八月十八日、太閤・豊臣秀吉が亡くなった。それ以来、大老筆頭として伏見で天下の仕置きをする徳川家康と、大坂城の秀頼の下に在る他の大老、および奉行衆との間の確執は絶えず、手切れ、謀反、暗殺の噂が頻繁に流れていた。 #友よ
2016-01-05 19:05:26そんな中、吉継は、時勢に鑑み、冷静に判断し、家康に接近していた。 去年の正月、家康と伊達・福島・蜂須賀の三家との間に婚姻の密約が交わされていたことが発覚し、大坂方がそれを法度違反だと問題視。家康のもとに糾問使を派遣するという事件が起きた。 #友よ
2016-01-05 19:06:19伏見と大坂との一触即発の危機だったが、その時、吉継は、加藤清正、福島正則らとともに家康のもとに駆け付け、護衛した。 今、世を平穏に治めているのは徳川殿、徳川殿なくして、世の平穏はない。 だから徳川殿を支持する。 吉継の理論は明快だった。 #友よ
2016-01-05 19:07:16吉継は自らの行動で、親友である奉行筆頭の石田三成に、 徳川殿と敵対するな。 と伝えているつもりだった。 だが、どうやら三成には、吉継の心は伝わらなかったようだ。三成は、それからも家康を、警戒し、敵視した。 #友よ
2016-01-05 19:08:11家康暗殺の噂が消えぬ中、去年の閏三月、前田利家の死の直後、逆に、加藤清正、福島正則ら豊臣七将による三成襲撃事件が起きた。 家康の仲介により、大事には至らなかったが、三成は奉行職を解かれ、国許の近江佐和山に蟄居した。 #友よ
2016-01-05 19:08:54あれから一年と三月余り。 吉継は、三成とは友として手紙のやりとりはしているが、政の上では、家康と近しい間柄を保っていた。 #友よ
2016-01-05 19:09:53この度も、豊臣公儀の名において、謀反の疑いのある上杉景勝を討伐する軍であるから、参軍は多分に義務的色合いが濃い。しかし、そういうことは横に置いても、吉継は、家康に加勢することに、何の抵抗も感じてはいなかった。 #友よ
2016-01-05 19:10:39ただ吉継には、気になることがある。 それは、三成挙兵の噂だ。 かねてより家康を、豊臣公儀存続の脅威として敵視している三成が、家康が上方を留守にする隙を狙い、兵を挙げるという。 とんでもないことだ。 吉継は、噂を否定したかった。 #友よ
2016-01-05 19:12:31しかし、三成の気性は、幼馴染の吉継が、誰よりもよく知っている。 豊臣家安泰のためには、家康を討たねばならぬ。 信じて疑わない三成が、この機会を見逃すはずはない。あるいは、今回の事は、かねてより懇意の上杉家重臣・直江兼続と示し合せての事かもしれなかった。 #友よ
2016-01-05 19:13:42いずれにしろ、三成の決心は固い。 そして、 自分は正しい。 揺るぎない自信を持っている三成は、吉継が家康と近しい関係を保っていると知りながらも、きっと説得できると信じ、この道中、繫ぎを取って来るに違いない。 #友よ
2016-01-05 19:14:42その時に、 止めなければ、何としてでも、やめさせなければ。 輿に揺られながら、吉継は心に固く思う。 しかしまた、それが容易ではないことも、三成のことを知りつくしたこの男には、十分すぎるほどわかっていた。 #友よ
2016-01-05 19:15:30大谷軍は、ゆるゆると行軍し、七月二日、中山道垂井宿に入った。 #友よ
2016-01-05 19:16:17(二) 夕立が、ザッと降ってパッと止んだ。 気温が下がり、埃も収まって、夕立前よりかなり過ごしやすくなった。 ここは、近江佐和山十九万石の城主・石田三成の屋敷の居間だ。 #友よ
2016-01-05 19:17:10文を書き終えた三成が、部屋の外に向かい、 「誰か、ある」 と、声をかけた。 「は」 部屋の外に控えていた近習が応じて立とうとするのを、通りかかった三成の兄・正澄が、 「わしが行こう」 と抑え、部屋に入って行った。 #友よ
2016-01-05 19:17:59「お呼びでござるかな、治部殿」 「これは兄上」 三成は、思わぬ兄の登場に少し慌てた。 「どちらへお届けすればよろしいのですかな」 文机の上にある書きあがった手紙に目をやり、正澄が問う。 佐和山城の主は三成。兄ではあるが正澄は、立場をわきまえた言葉づかいだ。 #友よ
2016-01-05 19:19:36「刑部殿に。今日あたり、垂井の宿に入られると思うので」 「では、私が持参いたしましょう」 「とんでもない。兄上をお使い立てするなど」 「いや。刑部殿の病、かなり進んでおると聞いております。最早、お目も見えぬらしい。手紙は私が、読んでお聞かせ申しましょう」 #友よ
2016-01-05 19:20:53「もうそのように病が……文のやりとりはしているのですが、全くそのようなことは書いて来られぬ故……」 三成は兄の言葉に衝撃を受けた。 #友よ
2016-01-05 19:21:37吉継の病、それは癩、今で言う、ハンセン氏病だ。当時、原因もわからず、これといった治療法もない。 吉継は十年近く前から、この病に冒されていた。 #友よ
2016-01-05 19:22:21「ならば、こちらへお迎えするのは無理か」 独り言のように呟く三成に、正澄は、 「私が、お連れいたしましょう」 こともなげに言ってのけた。 「なんとしても刑部殿にお会いなされたいのでございましょう」 「兄上……」 #友よ
2016-01-05 19:23:30「まかせておけ」 一瞬、兄の口調に戻った正澄は、 「では、行ってまいります」 手紙を持ち一礼すると、部屋を出た。 #友よ
2016-01-05 19:24:14