「石田三成の青春」第9話 「友よ!~佐和山から関ヶ原へ~」
あれは、真田からの書状であったが……。 正澄は、三成の文机から吉継宛ての手紙を取った時、隣にあったそれを見た。ちょうど差出人が見えたのだが、 「真安」 とあった。 真田安房守、そう、信州上田城主・真田昌幸だ。 #友よ
2016-01-05 19:25:05石田の家と真田の家は姻戚関係にある。 昌幸の妻は三成の妻の実姉。三成と昌幸は相婿なのだ。 三成は、真田にも、家康追討を報せ、味方してくれるよう要請したらしい。 #友よ
2016-01-05 19:25:55安房殿はお味方くださるだろうか。 正澄は、考えた。 昌幸は昔対立していたこともあり、家康のことをあまり良く思っていない。だから味方に引き入れるのは不可能ではない。しかし、その一方で、昌幸の長男・信幸の妻は家康の重臣・本多忠勝の娘なのだ。 #友よ
2016-01-05 19:26:45真田がどちらに付くかは微妙だ。 昌幸の気性から、すんなり家康に付くのは業腹だろう。それに局地的な戦なら勝てる自信はあると思う。しかしまた、大局的に考えるなら、やはり次に天下を治めるのは、徳川家康おいてほかはない。昌幸ならそう判断するはずだ。 #友よ
2016-01-05 19:27:48そんな昌幸は、さて、どうするか。 正澄が思うに、それほど大きくない身代で戦国の世を巧みに生き抜いてきた昌幸だ。当然、真田の家の存続を第一に考える。が、自分の意地も通す。 #友よ
2016-01-05 19:28:42上田城に在る昌幸と岩田城に在る信幸、 おそらく、一家を割るのではないか。 そこまで思ったとき正澄は、昌幸の長男・信幸の顔を思い浮かべた。 信幸には、信繁という一つ違いの弟がいる。兄弟仲は、すこぶる良い。双方ともに自慢の兄、そして自慢の弟らしい。 #友よ
2016-01-05 19:30:13まだ十代の頃の信幸が、義理の叔父にあたる三成に、謙遜しながらも、弟の戦の才を嬉しそうに誇らしく話していたことがあった。それを正澄は横で微笑ましく聞いていた。そのことを昨日のことのように思い出す。 #友よ
2016-01-05 19:31:32正澄には、信幸の気持ちがよくわかった。なぜなら、正澄にも、信幸に負けず劣らず自慢できる弟がいるからだ。 信幸自慢の弟・信繁は、父・昌幸とともに、上田に在る。 真田が一家を割るときは、おそらく、兄弟が敵味方にわかれる。 #友よ
2016-01-05 19:32:23信幸殿……信繁殿も……どんなお気持ちであろうか。 正澄は我が身に引き比べて、真田の兄弟を思った。 自分は、三成と敵味方に分かれることなど、考えられない。 だが、そう思ってからすぐに、正澄は思い直した。 #友よ
2016-01-05 19:33:38それはそうだ、兄と言うても、信幸殿と自分とでは立場が違う。 今の石田の家は、三成一人の力で作ったものだ。三成が好きなようにすればよい。 自分は、それに従うのみ。 正澄は、馬上、静かに微笑んだ。 #友よ
2016-01-05 19:34:55その微笑の中にあるごくわずかの寂しさに、気づいたものは誰もなかった。正澄本人さえ気づいていたかどうか……。 漸く日が傾いた。 垂井への道中、馬を走らす正澄は、今、関ヶ原を過ぎた。 #友よ
2016-01-05 19:35:44「石田三成の青春」 第9話 「友よ! 佐和山から関ヶ原へ」第1回 これにて終了です。 今宵もお付き合いくださり、どうも有難うございました。 明日(最終回)も、どうぞお楽しみに! #友よ
2016-01-05 19:39:16なお、始まりのごあいさつで、サブタイトルが「石田三成襲撃事件」になってました。「佐和山城から関ヶ原へ」です。お詫びして訂正します。
2016-01-05 19:41:33終わりのご挨拶も間違っておりました。勿論、まだ最終回ではありません。 お詫びして訂正します。
2016-01-05 19:44:42お待たせいたしました。 「石田三成の青春」第9話【最終話】 「友よ! 佐和山から関ヶ原へ」第2回 ぼちぼち始めさせていただきます。 #友よ pic.twitter.com/7IAFkGHvat
2016-01-06 19:00:16(三) 慶長五年七月三日の昼前に、吉継は佐和山に着いた。昨日の夕方、訪れた正澄から三成の文を読み聞かされた吉継は、早朝、正澄に伴われ、わずかな供回りで垂井の宿を発ったのだ。 #友よ
2016-01-06 19:01:46輿を降り、正澄に抱えられるようにして歩いてくる吉継を、三成は門の前まで出迎えた。 病によって崩れた顔を白い頭巾ですっぽりと覆って、目のところは、少し開けられている。しかし、それはもう役には立っていないようだ。吉継の様子を見れば、その目がほとんど見えていないことがわかる。 #友よ
2016-01-06 19:03:01そんな吉継の姿に、三成は衝撃を受けた。 それでも、心を奮い立たせて、 「ようおいでくだされた」 満面の笑顔で言い、 「ここからは、私が」 正澄から引き取ると、 「さあ、これへ」 三成自らが、吉継を抱えるようにして屋敷の中に入って行った。 #友よ
2016-01-06 19:04:20座敷で向かいあった三成と吉継は、しばし無言だった。 三成は、まだ吉継の変わり果てた姿を前にした衝撃から、言葉を発する状態ではなかったし、吉継は三成の出方を見ていた。やがて、それと察した吉継が口を開いた。 「二年になるか」 「殿下のご葬儀以来か」 #友よ
2016-01-06 19:05:22「そうだ、が、あの時は佐吉は忙しく、ろくに話もできなんだ。そうすると、二人でこのように会うのは、文禄の役の後が最後ということになるか」 「するともう七年にもなるのか」 「文のやりとりはしていた故、それほど長く会っていないとは思わなんだ」 #友よ
2016-01-06 19:06:17「病のため、お役御免を願い出て許されたとは聞いていたが」 「これほどまで病状が進んでいようとは思わなんだか」 「ああ……い、いや」 「よいわ。そんな気を遣わずとも、佐吉らしうもない」 「すまぬ」 #友よ
2016-01-06 19:07:08「よいと言うておるに。それより、わしに話があるのではないか」 吉継が促した。促しておきながら、 「家康を」 討つ。 という言葉が、三成の口から出る前に、 「やめよ」 と、一喝した。 「え」 まだ何も言うてはおらぬではないか。 そう言いたげな三成をよそに、 #友よ
2016-01-06 19:09:05「今、天下を治めているのは、徳川殿ではないか、徳川殿なくして、世の平穏はない」 明快に言い切った。 「何を言うか。それは豊臣家のご威光があればこそではないか。家康でも、毛利殿でも、前田殿でも、上杉殿でも、宇喜多殿でも、何ら変わらん」 #友よ
2016-01-06 19:10:08三成も負けじと言い返す。 「お前、本気で言うておるのか」 吉継は、 こいつ、大丈夫か。 本当に心配になったというように、三成の顔を覗き込んだ。 #友よ
2016-01-06 19:11:13今、家康が豊臣公儀内にいなければどうなるか。それは誰がどう考えようとも、明らかなことだ。 薩摩の島津、奥州の伊達、豊前の黒田、四国の長宗我部など、隙あらば天下を狙おうという輩が数多いる。 #友よ
2016-01-06 19:12:42