- Bay_yamashiro
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しかし、その後もレギュラー選手として出場しますが3割にはなかなか到達しませんでした。特に3割を越えると「3割を切ったら給料が下がる」「祖母を楽にさせられない」とかつての極貧によるトラウマが思い出され、スランプに陥るという脆い面がありました。
2016-01-24 20:22:41そんな1959年のオフ。師でありチームメイトでもあった荒川さんに合気道の創始者、藤平光一さんを紹介され、合気道に従事します。 合気道をヒントにした新たなバッティングや呼吸法による精神強化は榎本選手に打席での脱力を与えます。 このことが彼の素質を開花させることになります。
2016-01-24 20:23:55翌1960年。 打率.344で初めての首位打者を獲得します。まだリーグ平均打率が2割前半だったこの時代に、山内一弘さん、田宮謙次郎さん、葛城隆雄さんらと3割打線を形成。 当時最新鋭の兵器をもじった『大毎ミサイル打線』でオリオンズにリーグ優勝をもたらすのでした。
2016-01-24 20:25:04翌1961年には24歳9ヶ月で通算1000本安打を達成。これは現在でも史上最年少での記録となっております。 この歳も打率.331を記録しますが、首位打者のタイトルは獲得できませんでした。 自身と同じ『安打製造機』と呼ばれ、生涯のライバルとなる男がその前に立ちはだかったからです。
2016-01-24 20:25:59張本勲 後に日本プロ野球史上唯一の3000本安打到達者にして最多安打記録の持ち主となったこの選手がこの年より代頭。 60年代、パ・リーグの天才打者ニ傑による熾烈な首位打者争いが、この年より始まるのでした。 pic.twitter.com/IcQj0dHvy7
2016-01-24 20:27:04この『安打製造機』の2人には大きな違いがありました。 張本選手の大きな特徴は『スプレー打法』と呼ばれる神がかり的な広角打法にありました。 現在でも率を残すタイプの打者にはこのタイプが多いと思います。 一方、榎本選手の特徴はどんな球でも真芯で捉えて引っ張り続けることでした
2016-01-24 20:28:10『バットを長く握ってフルスイングで真芯で当て一ニ塁間を破る』 通算2314安打を放ちましたがそのほとんどが引っ張る安打で、流し打ちは全くせず、また決して脚も速くなかったため、内野安打も殆ど無いようです。どんな球でも一ニ塁間を破る打撃を当時の投手たちは恐れたのは言うまでありません
2016-01-24 20:29:16また、そのバッティングフォームにも当時としては特異なものがありました。 現存する映像が殆ど無いのですが、まずは同世代の最高の打者の一人、長嶋茂雄さんのバッティングフォームを見てください。お世辞にも無駄の少ないフォームとはいえません youtu.be/MgHFi5uBnWQ
2016-01-24 20:30:02こちらが榎本選手。力感の無い体制から、コンパクトかつ鋭いバッティングで一二塁間を破っています。日米野球においてもその全く無駄のないバッティングフォームはメジャーリーガーを驚愕させたそうです。 youtu.be/cpHX_TNvAT4
2016-01-24 20:31:13これに加え、神がかった選球眼も備えていました。 1961年から1965年まで550打席前後の打席数があったにも関わらず、三振数は30を切り、出塁率は4割を超えていました。 昨季の打席/三振数が最小のホークス中村晃ですら590打席で47三振』 いかに驚異的かわかります。
2016-01-24 20:32:34榎本選手の試合前の打撃練習は、芸術品のようだったそうです。 打撃投手の投げる球を左翼線いっぱい、左中間、センター返し、右中間、右翼線いっぱいと順番に打っていく。打球の落下点は図ったように同じ位置。 両軍の選手たちは榎本の芸術的なバッティングに見とれていたという逸話もあります。
2016-01-24 20:33:52同年代、捕手として対峙した野村克也さんはこう振り返ります。 「ボール球には一切反応せず、ストライクゾーンはほぼ確実に真芯で当ててくる。唯一インハイが弱点だったが、それでもよほどの速球でやっと『反応する』レベルだった」 また、捕手野村との有名なエピソードがあります。
2016-01-24 20:34:46南海ホークスとの試合。 打席の榎本選手は滅多にない見逃し三振を喫します。しかし、野村選手の巧みな捕球そらしにより実はわずかにボールでした。どんな大打者でもわからない本当に僅かな距離。 しかし、榎本選手は去り際「10cmボールだった」と呟き、野村選手に驚愕と絶望感を与えたそうです
2016-01-24 20:35:52更に、榎本選手の特徴?として相手投手の失投をわざと見逃すこともしばしばあったそうです… 持論として「相手投手の一番の球を真芯で当てる」ことに美学をもっていたからです。 その為、結果としてヒットになっても納得のいく打撃でなければ一塁上で怒り狂うこともあったそうです…
2016-01-24 20:37:07