- karitoshi2011
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0【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える―こども・文化・心をつないで」③】のまとめ@『学術の動向』2016年1月。①で山川教授の序言と目次を紹介。togetter.com/li/929298 ②で川上牧師の論を紹介(途中まで) togetter.com/li/928862
2016-01-25 18:03:38【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」①】
【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える―こども・文化・心をつないで」②】
1【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える―こども・文化・心をつないで」③】川上直哉牧師の論「ほつれる心:原子力災害の現場における支援について」の結びの部分を紹介する。「以上のような原子力災害の現場で、心がほつれて行く。精神と肉体の動的な平衡が崩れる。そこに私は」
2016-01-25 18:04:082【日本学術会議開シンポ「震災復興の今を考える」③】「「宗教的ケア」を行う者として、関わる。では「宗教的ケア」とは何か」「まず、「宗教」とは何か。Religioという語を巡る古い議論を踏まえ、私はこの言葉を「身体所作を用いて、超越に触れ、共同体を形成するもの」と定義している。」
2016-01-25 18:04:353【日本学術会議シンポ「震災復興の…③】「次に「ケア」とは何か。Careという語を巡る最近の議論に注目し、私はこの言葉を「痛みを共にすること」と定義している。あるいは、compassion(pathos=魂の深部に刻まれた傷を、共にすること)を動詞化したものが「ケア」…とも言える
2016-01-25 18:05:414【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える」③】「以上を踏まえて、「宗教的ケア」とはつまり「矛盾の直中で「大丈夫」と言い、肯定し祝福し寿ぎつつ、痛みを分かち合うこと」と説明できる。そうして、話アシは、被災者の尊厳を確保するように努めている。」
2016-01-25 18:05:525【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える」③】「この「宗教的ケア」は、津波被災地の現場で私たちが行っていることでもあった。今、それを原子力被災地で行おうと思う。逃げたいと思う人には、逃げる道を共に考える。留まりたいと思う人には放射能災害の減災を共に考える」
2016-01-25 18:06:096【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える」③】「迷う人には、一緒に迷う。そうして、被災者の尊厳を確保する。混乱と矛盾の渦中で苦しむ人のそばに立ち、「あなたはあなたでいい」をいう真実を、体を張って、証明する」「2015年夏、私は、同じ現場を共有する仏教者と」
2016-01-25 18:06:237【日本学術会議主催公開シンポジウム「震災復興の今を考える」③】「この問題について対話し、私たち宗教者の役割を反省した。それぞれの宗教の真価が、今、試されている。同様に、今、全ての人に、原子力災害の現場に向き合う当事者としての在り方が、問われていると私は思う。」(以上)
2016-01-25 18:06:388【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】川上牧師は2013年9月「宗教者の被災者責任―絶望に抗し、次に繋げる」chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/09… と題して、次のように書いていた。「宗教者は、絶望の淵に立つ人の側にいることができる。」
2016-01-25 18:07:12中外日報(論・談)
宗教者の被災者責任 ― 絶望に抗し、次に繋げる
日本基督教団仙台市民教会牧師 川上直哉氏
2013年9月19日付
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0919rondan.html
9【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「祈りと儀式は、そのための技術である。祈りと儀式を行うことで、無力なまま、限界を晒して、宗教者は絶望に瀕する人と共にい続ける。絶望の際で、超越を示すこと。それが、宗教者にできる弔いであった。」
2016-01-25 18:07:2210【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「その弔いを行うために、宗教者の協力は不可欠であった。この協力によって、宗教者は自らにできることを行った」「以上を今、被曝という新しい現実の中で、もう一度確認して進みたい。巨大な被害が、目に見えない姿で」
2016-01-25 18:07:3411【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「途方もない時間をかけて、迫ってきているような不安に駆られる(一部識者が語るように、その不安が杞憂であることを切望しつつ!)。その不安を前に、無力な自分がいる――それが福島の現状である。」
2016-01-25 18:07:4712【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「ここに絶望は容易く忍び寄る」「そこに、宗教者の役割はある。人々と共に踏みとどまりつつ、絶望に抗する。呻きながら祈り、滑稽を晒しながら儀式を行う。そうできることを、神仏に感謝しながら、行う。」
2016-01-25 18:08:0013【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「その無力のありさまに、超越への通路が拓くことを幻視しながら」「被災地で体感した出来事を、次に繋げること。それが被災者責任である。その責任を問われる日は、もう到来している。」
2016-01-25 18:08:1514【日本学術会議シンポ「震災復興の今を考える」③】「諸宗教が協力し、絶望に抵抗し超越の通路を開けるべく祈り儀式を行うこと。それが、今求められていると思う。」川上氏が願っているような宗教の働きはなかなか目立った動きにはならない。だが静かに広がってはいる。
2016-01-25 18:08:34