月下の執着#1 寒い夜、月のない夜◆1
_北方の大国モスルートは雪に閉ざされた国だ。北極海と北壁山脈に挟まれた領土は長い冬の間雪に沈み、このメムナートの街もそうであった。 木造住宅の街並みは色気が無く、やはり質実剛健とした分厚い鎧を身に纏う兵士が目を光らせ巡回する。 1
2016-02-12 18:14:29_この分厚い鎧はモスルートに広く普及する装備で、モスルートの強大な軍事力を象徴している。鎧の内部には熱い魔力の脈が通っており、非常に暖かく、また怪力を出し、走りも速い。 当然観光客にも人気だ。いま、詰所の前で鎧兵の交代の儀式が始まっていた。観光客が息をのんで見守る。 2
2016-02-12 18:19:43_見張りの鎧兵が敬礼をし、交代の鎧兵が大股で歩いて近寄り、敬礼を交わす。そしてくるりと1回転して、交代し、見張りを終えた鎧兵は同じように大股で去る。 観光客たちは、これぞモスルート紳士だと満足し、去っていく。ただ一人の青年を残して。 3
2016-02-12 18:24:48_青年の名はマイラ。血走った眼で鎧兵を見る。その視線は熱が込められており、涙が浮かびそうだ。 マイラはこの街の住人だ。そして、毎晩のように、この鎧兵交代の儀式を目に焼き付けていた。理由は、単に好きだからだ。 4
2016-02-12 18:28:42_寒い夜、そして月の見えない夜だった。しかしマイラの心臓は熱く燃え、かがり火に照らされた彼の眼は爛々と光っている。 ここまでの執着を見せるマニアは観光客にもいないと思われた。しかし、マイラの隣に一人の観光客がふらりと現れる。一応忠告をする。 「交代、終わってるよ」 5
2016-02-12 18:32:32「了承」 それだけ短く言った。不思議な男だ。分厚いコートはマイラと変わらないが、背中に巨大な長剣を背負っている。さらに腰にも2振りの剣を帯刀している。 「最近通り魔が出るんだ。切り殺されるよ」 再び忠告するマイラ。 「了承」 それだけを返す。 6
2016-02-12 18:36:50_毎晩鎧兵を睨んでいるマイラに慣れた鎧兵は、彼を無視している。観光客にも、別に注意を払わない。不思議な男だとマイラは思った。気配は雲を掴むようだ。 長い黒髪を三つ編みにした無口な男。口元を強盗のように布で隠している。いつまでたっても何も言わず突っ立っている。 7
2016-02-12 18:40:57_不思議な観光客もいるものだと思ったが、よく考えれば別に不思議ではない。世の中には色々な人間がいる。マイラ自身がそうであるように。 マイラは帰宅して、部屋の中を歩き始めた。先程見た衛兵交代の儀式を、再現する動きだ。 8
2016-02-12 18:44:55_5セット程儀式のルーチンを繰り返した後、彼は壁のカレンダーを見た。5日後に赤い印がつけられている。 決行の日だ。そのために、何度も練習して、準備を積み重ねた。世の中には色々な人間がいる。きっと、その日のことを他のひとが知ったら呆れるだろう。 9
2016-02-12 18:49:19_マイラは大きく息を吐き、鍵を開けて納戸の扉を開いた。それを見るだけで、彼の心臓は爆発しそうなほど高鳴る。 そこには彼の願望が形となって鎮座していた。鎧兵の装備によく似た鎧。実際の物より幾分か見劣りするが、精巧に作られた鎧がそこには納められていた。 10
2016-02-12 18:54:37【用語解説】 【モスルート共和国】 灰土地域の北部、北壁山脈に囲まれた寒い国。国土のほとんどがタイガとツンドラで構成される。ほとんどの作物が生育せず、家畜とキノコが主な食料。魔法使いに支配される他の灰土地域の都市国家とは違い、魔法の使えない人民も政治に参加できる珍しい共和制国家
2016-02-12 19:02:28