突如として始まる謎のキリスト教disり~からの興味深い宗教談義
- crape_myrtle_
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@liaozaizhiyi どっちかというと最終は個人から集団にまで拡大したのが、個人のために戻ったんじゃないかな。行基なんかはもう社会福祉事業だもん。
2016-02-13 14:04:16↓ここは個人的に注目した箇所。
キリスト教系(かつ反日教師のいる)学校で何らかの嫌な思いをしてアンチになってしまったケースかなとか…
@niwakaha それは出合い方が悪かったですね……。まあ、宗教って基本的には「脅迫」的な構造ですから、キリスト教に限らず仏教やイスラムに関しても同じことは言えるかと。
2016-02-13 14:17:59前にあの方、ロシア正教の人と話したときいったけど、日本人もなんか色々継ぎ足してるもんを伝統だと思ってるところがあって、例えば熱田神宮なんかもともと様式と建造物がもう変わってるらしいのよね。こういう時代の都合でなんか色々変わった形跡は古いもんに多く見られると思う。
2016-02-13 14:14:08@liaozaizhiyi デカルトはそれやめろといってたんだけどね。宗教に合理主義持ち込むなんて冒涜になるし。ところがそのデカルトの後継者たちはそれやっちゃったもんだから。もっともパスカルあたりはそれにしても、結局デカルト自身の責任だって批判してるんだけどさ。
2016-02-13 14:21:06いや、個人の判断だよ。ムスリムが個々で判断するんだよ。だから全部に一様にわけのわからん基準をつけてるのが「ハラール認証」なんだよ。
2016-02-13 14:21:31@iiduna_yutaka デカルトは神を恣意的にとらえすぎてるってやつですね。人間の感覚、感性で「超越者」を捉えれるわけがないのに。
2016-02-13 14:23:02@liaozaizhiyi マルブランシュあたりになると精神と神の関係についてが主題になってくるんだけどね。こっちの方面の思想も面白いから買い込んでるあるけどなかなか読めない。マルブランシュとかメーヌ・ド・ビラン。
2016-02-13 14:24:40@liaozaizhiyi まあ、日本人の場合どうも「いや、そういうもんはあるよ。あるけどそれがどういうもんかわからんよ」でやっちゃうとこあるから、西行さんみたいに「何がいらっしゃるのかはわからないけどありがてー、ほんとありがたくて涙出るー」とかいっちゃう(笑)
2016-02-13 14:26:18@liaozaizhiyi ある意味、明治以前の日本人の信仰ってまったくといっていいほど論理化されてないから、逆に庶民の中で生き生きとしてた感じは受ける。ようするにどっかの神社の神さまにしちゃうよりかは、今道端に転がってる地蔵さんや庚申塚を拝んでた方が信仰が生きてたみたいな感じ。
2016-02-13 14:29:36@niwakaha サヨクのは「「神」のいない宗教」ですかね……。クリスチャンでも保守的な人っているので、変にキリスト教のことを叩くと、その人たち反発しますね。とりあえず、ニワカさんが、近頃流行りの「キリスト教叩き」をしようとしていたわけではないと理解しました。
2016-02-13 14:34:09@iiduna_yutaka それ結構重要で、イスラムでもガザーリーが出てくる前は、めちゃくちゃ法学とか神学でがちがちになっちゃってたんですよね。それをガザーリーが「個人の内側」に信仰を戻した。そこからイスラムは生き返るんですよね。
2016-02-13 14:36:51@liaozaizhiyi 小泉八雲が大喜びしたのもそこだからね。「うわー、こういう庶民の信仰がちゃんと生きてる。みんな地蔵さんやら稲荷を拝んでる。こりゃ西洋にはもうないもんだ」と。あの人またそういう感性ある人だからわかったんだろうけどさ。
2016-02-13 14:38:24@liaozaizhiyi たぶん日本人の素朴な信仰ってのは、江戸あたりがピークだったんじゃないかなと。今はもちろんもうない文化だけどね(笑)
2016-02-13 14:41:23