八ッ場 2016 冬

ダムに沈められる八ッ場、川原湯地区。吾妻川の流域は、信濃と関東を結ぶ重要な交通路であり、その豊かな自然と相まって、多くの歴史書、文学書に取り上げられてきました。 ダム工事のために、かつての豊かな自然や景色は失われつつありますが、また春がやってきます。
3
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

ふきのとうがもう顔をのぞかせている。川原畑は長野原町の中で最も標高が低く、暖かい。八ッ場ダム水没予定地にて。 pic.twitter.com/frj4t2rwVh

2016-02-28 10:05:17
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

吾妻川の左手が下湯原。ダム本体工事と発掘調査のせいで、人が住んでいた時の面影がほとんど残っていない。吾妻川の右手が川原畑。いずれも八ッ場ダム水没予定地。 pic.twitter.com/TMekxyireZ

2016-02-28 10:12:30
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

下湯原では吾妻渓谷の八ッ場ダム本体工事で掘削した土がピラミッドのように積み上げられている。土の色が様々でパッチワークのよう。ダム湛水にそなえる最終のり面の造成か。右手に川原湯温泉が移転した打越代替地。旅館の建物が小さく見える。 pic.twitter.com/MEbUFKlyiW

2016-02-28 10:23:20
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

八ッ場ダムの水を貯めても川原湯温泉が移転した人工造成地が壊れないようにするために、温泉駅や線路のあったあたりまで盛り土する計画。実際、盛り土は吾妻川のすぐ近くまで迫っている。赤と黒の構造物はダム本体の骨材貯蔵設備。 pic.twitter.com/pywN74isEd

2016-02-28 10:35:01
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

ダム本体の骨材を運ぶベルトコンベヤーは、廃線になった線路に設置。骨材は川原湯の背後の山から3千mのトンネルを超え、吾妻川を渡って林地区、川原畑地区を通り、再び吾妻川を渡って下湯原へ運ばれる。鉄橋と下湯原に設置されたベルトコンベヤー。 pic.twitter.com/KCzcsoRzWb

2016-02-28 10:43:51
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

赤い印の中に台形の盛り土。2010年、馬淵国交大臣の指示による。川原湯の代替地が耐震基準を満たしていないからと行われた工事だが、小さな盛り土が大規模造成地の安全性を向上させる訳がない。現場を把握しない民主党政権はダム行政の手玉に。 pic.twitter.com/4b72fD6M5A

2016-02-28 10:58:20
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

バス路線はとうの昔に廃線になっているが、停留所の看板だけはずっと立っていた。下湯原はダム本体工事のため、現在は立入禁止。対岸の川原畑に国道の看板と一緒に打ち捨てられていた。八ッ場ダム水没予定地にて。 pic.twitter.com/KbrbxLqCil

2016-02-28 11:05:38
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

真田道の脇に生えている梅の古木。八ッ場ダム水没予定地、川原畑にて。 pic.twitter.com/VeHQZCc2Oa

2016-02-28 11:08:42
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

川原湯温泉の温泉街だったところ。このあたりは、地権者の老舗旅館等の土地で、借地・借家人が多く住んでいた。右端に共同湯・笹湯の建物が残っているが、残るホテルゆうあいが代替地へ移転すると(今夏)、立入禁止になる可能性が高い。 pic.twitter.com/vatydC3Xrb

2016-02-28 11:20:53
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

水没予定地にある川原湯温泉街は、現在は大沢に架かるこの石橋まで下ることができるが、その先は、八ッ場ダム本体工事のため立入禁止。 pic.twitter.com/mIkN0Dq6iG

2016-02-28 11:23:26
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

川原湯地区のもう一つの水没予定地である上湯原では、春からの群馬県埋蔵文化財調査事業団による発掘調査に備えている。上湯原は江戸・天明の浅間山大噴火による泥流に覆われたため、全域が遺跡。 pic.twitter.com/0dji76Rg3m

2016-02-28 11:30:28
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

樹木の伐採が進み、荒涼とした風景が広がる上湯原。笑い声が聞こえ、ふと見上げると橋の上から聞こえてくるのだった。 pic.twitter.com/rX9YoOH3i8

2016-02-28 11:37:32
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

双体道祖神の仮置き場周辺も、樹木の伐採で風景が一変。宝暦6(1756)年の道祖神は、天明3(1783)年に上湯原を浅間山の泥流が襲った時には既にあった。小高い場所にあって無事だったのだろう。今の場所だったら埋もれていた。 pic.twitter.com/JRhFof13y0

2016-02-28 11:54:58
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

根こそぎは発掘調査のためなのだろう。調査の終わった後は、工事現場のようになる。 pic.twitter.com/5RNXlyt8vx

2016-02-28 11:56:51
拡大
八ッ場あしたの会 @yambatomorrow

大きな鳥が二羽、地上の獲物を探して空を舞っていた。クマタカだろうか。樹木が伐採されると、小動物は逃げ場がなくなる。 pic.twitter.com/b6E75IzkC7

2016-02-28 12:01:43
拡大