講演「日本俘虜所収容所におけるユダヤ人の宗教的取り組み:1904−1905年」(ベル・コトレルマン)

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直立演人 @royterek

そのため、捕虜収容所が建設された松山では、ロシア軍士官らが豪遊したおかげで一部の商店は繁盛したそうで、その界隈は「ロシア通り」と呼ばれるようになったとのこと。それどころか、士官たちに売春婦を斡旋する業者さえ現れたという。日露戦争時代までの日本では、捕虜はどこでも歓迎されたそうな。

2016-03-07 01:26:32
直立演人 @royterek

コトレルマンさんの講演「日本俘虜所収容所におけるユダヤ人の宗教的取り組み:1904−1905年」に内容は、神戸・ユダヤ文化研究会の機関紙『ナマール(港)』の最新号に掲載予定です。過去のバックナンバーのネット掲載も予定してるのですが… jjsk.jp/namal/

2016-03-07 01:35:53
C.H.A.R a.k.a. どぅーどぅる @TriflingDoodle

神戸・ユダヤ文化研究会の「日本俘虜所収容所におけるユダヤ人の宗教的取り組み:1904−1905年」めちゃおもろかった。

2016-03-06 20:54:59
C.H.A.R a.k.a. どぅーどぅる @TriflingDoodle

『クレズマーの文化史』の著者の黒田晴之さんともお話ができてめちゃ充実した1日になった。それにしても、日露戦争のときから神戸にユダヤ人コミュニティーがあったとかびっくりだし、ユダヤ系ロシア兵の捕虜のアイデンティティの話とかいろいろほんとおもしろかった。

2016-03-06 21:23:44