三国志・魏の五将軍、幻のシックスマン・朱霊について
- mamesiba195
- 11555
- 14
- 1
- 0
@Jominian 于禁+朱霊の割に少ない兵力というのは、裨將軍に昇進するまでの頃を指してますか? もしそうだとすれば、朱霊が兵を奪われるのは昇進後の于禁が官渡の防戦をやるようになった頃だと思います。確かに危険な行為だとは思うのですが、それくらい追い詰められていたという考えです。
2015-08-11 23:47:10@Rieg__Goh これに限らず基本的に記述が少ないので、物事を確定させるのは困難です。なので、どう蓋然性を考えるかによります。その上で、官渡頃よりも、それまで任用されていた重鎮の朱霊が、215年を境に十数年現れなくなる時期の方が、奪われていた時期にふさわしいと思うのです。
2015-08-11 23:51:56@Jominian 確かに仰るとおりだと思います。ただ元々記述が少ないだけに突如現れなくなるのもそこまで不思議ではないと思うのと、あと220年頃に合肥に現れる「朱横海」が朱霊だと思っているので、それくらいなら許容範囲だと考えます。
2015-08-12 00:00:29@Rieg__Goh 朱霊を朱横海とするならば、張征東と並んで合肥に復た戻ってきたという表現になり、関羽討伐まで居巣にあったということになるので、朱霊が西方を離れた時期的に不自然はないですね。
2015-08-12 00:52:10@Jominian 張遼と並んで敵国に名が知れた朱某だけに朱霊の可能性が多分一番高く、220年に将軍として存在するのであれば、兵を奪われるという事件も219年に起きたのではなかったのではないかと思っています。
2015-08-12 01:11:56朱霊の列伝を見たら、「曹操と性格的に合わず兵を取り上げられ」とあった。後に朱霊が封爵されることになると、家族が殺された故郷の県ではなく、別の県を願っている。また、兵にも慕われたとある。朱霊は軍法に厳しいが、于禁の剛毅さはなく、むしろ繊細な曹操に近い性格だと思う。#三國志13
2016-01-31 21:29:23繊細な朱霊は些細な事を気に病んで、「もうここにはいられない(悲しみ)」となって出奔しているロールプレイをワイはやっているんやで(真顔)#三國志13
2016-01-31 21:31:48朱霊が「営」を率いていたのは190年代の話なので、曹操が恨んでいたのもその頃という趣旨で朱霊が曹操に恨まれた時期を特定しようとしたが、一般的な用語として軍を営と書いた可能性を感じたので、主張として弱く思い撤回。
2016-02-06 22:52:46210年以降に曹操に恨まれて于禁に兵を奪われるようなことになったら、五将軍の6人目にカウントされるような高位に順当に登れるとも思えない。そういうわけで、朱霊が常に曹操に恨まれていたのは207年以前と考える。
2016-02-06 23:00:16@sosokan 朱霊の話が出ると、曹操に仕えていた間ずっと恨まれていたという解釈をしている感じで話す人が多いんですよ。「常に恨んだ」という書き方のせいだと思いますが、どんなに遅くてもお二人のように冀州平定後までと思うので、今後もそう主張していくつもりです。
2016-02-06 23:05:09以前「陽」を「いつわる」と読めず記述を勘違いした事があった。今回「常」を「かつて」と読めることを知り、「曹操はかつて朱霊を恨んでいた」と解釈する事が可能になった。心が軽い。こんな幸せな気持ちで朱霊を思うなんて初めて。もう何も怖くない。
2016-02-06 23:14:00#ツイートから見えるあなたの悪いところ 5位 袁術に対して軽いとこ 4位 三國志愛が足りないとこ 3位 朱霊臭が漂うとこ 2位 画像でドヤ顔するとこ 1位 真田丸中毒なとこ appli-maker.jp/analytic_apps/… ノーコメもありや。
2016-02-12 20:35:46