- chelfitsch
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だが、それゆえにむしろ、何故これはこのような作品として完成されねばならなかったのか、を問わねばならないのだと思う。この演劇作品がこのようなものとしてある理由と機能は何なのか? この点にフォーカスしないと、目の肥えた観客ほど安易な否定的反応で終わってしまうことになるかもしれない。
2016-03-21 12:58:06もちろん、これは世界初演なので、これから時間を掛けて変わってゆく/育ってゆく可能性はある。だが、岡田利規にはこれがこうであるしかない強い必然性があったのだと僕には思える。その正体まではわからない。とても個人的なことかもしれない。
2016-03-21 13:02:54重要なことはおそらく、妻が延々と語り掛け続ける内容、それ自体よりも、彼女は夫に自分の声が届いていると信じており、しかし夫は気づかないふりし続けている、そうするしかないのだと妻は思っているのだが、本当のところ、彼に彼女の声が聞こえているのかどうかは定かではない、ということだ。
2016-03-21 13:06:37とともに、その正反対に、そもそも妻の声自体が夫の心中だけで響いているもの、つまり彼の想像なのであり、むしろ彼がそれから逃れようとしているがゆえにもうひとりの女を招き入れようとしているのだ、という解釈もあって、そちらの方が普通の見方だろう。だが、これほどつまらない心理的解釈はない。
2016-03-21 13:09:38更には、実は、女にも妻の声は聞こえており、そればかりかその姿さえ見えているのだ、にもかかわらず彼女は夫とともに知らないふりをしているのだ、という見方でさえあり得る。なぜならば、私たち観客には、妻の姿は最初からずっと見えていたし、その声も聞こえていたではないか。
2016-03-21 13:11:29演劇において「幽霊」はもっともクリティカルな題材である。いない者をいることに出来るのが演劇の魔術であるからだ。生きてはいない人を演じている人が目の前に居るのが演劇である。現実でだって、居ない筈の人が見えるのが幽霊である。見えるだけでなく触れたりもする。それは役者のいない演劇だ。
2016-03-21 13:16:23久門剛史の貢献は歴然としている。オブジェのみならず、それ以上に、あの音、音響、物音。三人の役者は、まるで台詞を言うように台詞を言っていた。それは明らかに意図されている。前半ほとんど観客に背を向けたままの吉田庸はむつかしい役柄を的確にこなしていた。
2016-03-21 13:21:50しかし確実だと思えることは、この作者には言いたいことがある、ということだ。どんな作品だってそうだろう、という意味とは違う。
2016-03-21 13:05:08#チェルフィッチュ 震災4日後に病死した妻と新たに好意寄せ初めて部屋を訪ねる女性と男。独白繰り返す妻は記憶の確認を求め、女性と男はぎこちなく会話する。 未来と希望を語る死者=妻は記憶の実体化。寄り添う2人の方が生きていないかのよう。 pic.twitter.com/VhjYWvzU4E
2016-03-21 09:47:29チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』@ロームシアター京都。「~だったでしょ?」「~だったこと、覚えてる?」というセリフがくり返される。「忘れてないよね?」というメッセージ。青柳さんが冒頭、セリフをいう前の、あの身体のモジモジしたような動きはなんだろうか。媚態だろうか。
2016-03-21 08:14:20昨日観たチェルフィッチュ、設定筋立て道具立て、全て既にやられているもののように思えた しかも3.11当日を語る亡き妻の言葉、あれは全てが本当なのか 本当ならば夫は何をしている人なのか、なぜ家にいたのか もし妻の言葉が嘘であるならば話としてかなり深くはなると思うのだが
2016-03-21 07:26:09チェルフィッチュ。震災後3日目の自分のツイートを思い出した。青柳さんの問いかけに、いろいろと身につまされる。 twitter.com/leggodtlego/st…
2016-03-21 01:15:45計画停電なので、自転車で会社へ。 なんてエコなの俺。行きは1時間かかったけど、帰りは50分で、Google mapの言うがままに進むはじめての道、楽しかった。今回の地震で、いろんなきっかけが気づかないとこで生まれてて。この逆境が、後のエコ先進国をつくるんだろな、に3000点。
2011-03-14 23:26:29昨日の夜はロームシアター京都でチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』を観た。とても静かな作品で、観た後に言葉が浮かばず、時間の流れが淀んだかのようなその部屋に、ポンと置かれたようだった。そこで、あの日のことを、それより過去のことを、それより先のことを、考える。
2016-03-20 22:49:44チェルフィッチュ「部屋に流れる時間の旅」美しい舞台だったけど、ねっとりとした気持ち悪さと共に刺さる言葉の鋭さのバランスが凄いなーと思った。光る電球を照らす光の美しさ。音と光で感じる何か、不安と希望。目を閉じてもあなたの存在を感じるということ。あなたの事をどう感じているか、考える。
2016-03-20 22:40:22【Creators@Kamogawa〈日独クリエイターズTALK〉】4/2 ヴィラ鴨川にて。ゲスト:岡田利規 (演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)、久門剛史 (美術家)。司会:小崎哲哉 realkyoto.jp/rkpicksevent/c…
2016-03-20 22:39:16チェルフィッチュの岡田氏は日常的会話の中に核心をぬるりと潜り込ませるような台詞を書く印象があったが、今回の作品では独創的な台詞をあえて外して、震災後を生きられなかった者、生きざるをえない者、それらの声を書くというより「聞き取る」ことに注力した、という感じがした。
2016-03-20 22:10:53京都国立近代美術館でのダンス公演は撮影OKでした。チェルフィッチュがロームシアター京都で開催中ということもあり演劇や美術関係者も多く、チケット完売というのも驚き。60年代の米国のアバンギャルドアート自体がジャンルを横断して始まったことを顧みるに最適な環境で上演されたとも言えるかな
2016-03-20 22:06:17チェルフィッチュ観劇。東日本震災直後に亡くなった妻の幽霊と、残された夫、夫の新しい恋人。岡田氏は震災を”利用した”ようなフィクションを創ることはかなり意識的に拒んだのだと思う。夫に「ねえ覚えてる?」と執拗に語りかける幽霊の声は、実にやりきれない。やりきれないが、リアルだ。
2016-03-20 21:55:40