- chan_watashi
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毎度のことながら出産を例にとると、生まれることについて、生まれる主体の許可を得ることは不可能なので、産むことによって害を与えようと考えていることが(社会的に)明白である場合にのみ、肯定されうる(もちろんそれ以外の基準で退けられる場合もある)。
2015-03-29 21:51:54通俗的に言うなら、「貸しを作ったつもりで産む」よりかは「借りを作ったつもりで産む」ほうがいくらかましだし、なにより、その程度の覚悟もなしに他者の生き死にに関わろうとする無敵さに怯えずにすむ。
2015-03-29 21:54:10いずれ必ず死ぬことを知りながら、後は野となれ山となれで産んでしまうのと、発生学的にまだ、私的(わたしてき)でない状態(このあたり実はかなり強引なんですが)の内に殺しておくのと、どちらがましかと言えば明らかに後者だろう。
2015-05-11 16:07:34死ぬのを恐れているようでいて、「苦しんで」死ぬのが怖いと言っているだけの人達はもっとよく考えましょう。「苦しい」のが嫌なのは、それ自体では、死とは無関係であります。
2015-05-11 16:24:06反出生主義に対して、「それじゃあ、現状肯定が出来ないじゃないか」と批判する人がいるが、そんなことは知ったことではないのである。
2015-05-22 06:21:17子供を産む人は、他者が難問だと考えてなくてもいいけど、難問でありうると気づいている必要ぐらいはあるんじゃないかなあ。
2015-06-07 19:00:34私が死ぬというのが、ある種の誤解であるのは間違いない。何しろ私が死ぬのは出来事ではないのだから起こりようがない。しかしなあ、かと言ってこの感じはどうしようもない。解消したいわけでもないし。
2015-09-25 02:52:59私の反出生主義には全く哲学的根拠がありません。というより、哲学的には何らかの価値を含む主張は全て無効だと考えています。私が反出生主義者のように振る舞うとすればその動機は、せいぜい私が死にたくないとか、他人であれ死ぬのは憐れだとか、その程度のことです。
2015-10-10 12:26:55元幼なじみの人が男児を出産したので、ここぞとばかりに、「人はなぜ産むのか!なぜ産むのか!」ってやろうかと思ったけど、もう15年以上あってないし、つまり、かなりぼんやりしてしまっていて、何も起こらなかった。
2015-11-13 01:08:57親が子供を育てるのって、趣味として楽しむ意外に何か理由があるのだろうか。趣味だとしたら、かかる金額も分からないでもない。
2015-11-17 02:37:07子供を産む人が大勢いるのは、ベネイターも指摘するように、なんか勢いで産んじゃったとかセックスの結果だとかで理解できるのだけど、生まれた子供をわざわざ育てようとする人までも大勢いるのは驚くほかない。そんなに楽しい趣味なのだろうか。
2015-11-17 02:40:19反出生主義は、強い主張のように思われがちだけど、出産なんてよほど強い意志がなければ実現しないわけで、出産について積極的でないだけでも、子供を産むことはまずなくなる。このことを、社会の価値観で理解できるように、消極的反出生主義と呼びたい(呼んでる)。
2015-12-17 07:38:10子供を産んで(作って?)、それでもあからさまな嘘をつかずに生活し続けるのは、試みとしては非常に楽しいだろうとは思う。けど、できれば他人を殺したくないのでやらない。
2016-02-16 17:56:03子供を産む人は、子供がいずれ死ぬことに気づかない・子供がいずれ死んでも構わないのどちらかのはずで、僕は他人の生き死にに関わりたくないので、子供を産むことはしない。
2016-02-16 17:59:34産む人は、自分が死ぬことについてはどう考えているのだろうか。自分が死にたくないなら、他人も死にたくないと感じるだろうとは思わないのか?それとも死んでもいいのか?
2016-02-16 18:00:16