【小説】ボロクソ辛口批評を受けてみました♪
これすごく大事だと思う。 小説って「何かを伝えるもの」だけど、「何かを押し付けるもの」じゃない。 読み手が感じ取らないと。 読み手に感じとってもらうには、読み手が感じ取ることのできる「何か」作品の底に流れてないと。 書かずに、書く。 twitter.com/yomiyomediary/…
2016-03-29 12:38:46昨日の補足。「青年の主張」がなぜダメなのか。作者の思想をそのまま書き連ねる読物は論文やエッセイであり、それはもはや小説ではないから。読者は作者のポリシーを読みたい訳ではない。小説の中にある営みから何かを感じとりたいのです。小説では最終的な答えは読者に委ねられるべきだと思うのです。
2016-03-29 07:46:30よく、「何が言いたいのかわからない」っていう批評があるけど、あれって、自己主張を作中でダイレクトに書けっていう意味じゃないから。 あれって、作品を読み終わったあとの「納得」なんだと思う。 別の言い方すると「心に沈むもの」または「作品に対する満足感」。
2016-03-29 12:44:28@wanavi さんは才能がおありだ、という結論だと思いますよ。だからこそ @yomiyomediary をお勧めしました。拾うべきところを拾い、あとはバッサリの読み専。にしても指摘のあった「青年の主張」「冒頭の論述」は陥りやすい罠で、傍目から学ぶべき点は多いと思いました。
2016-03-29 12:13:01@nen10baka @yomiyomediary 才能はないです。あるのは精々年の功だか亀の甲だか。。。(^^; 「青年の主張」「冒頭の論述」は、ついやらかすだけに、本当に要注意項目だと思います。 ここが明確に指摘されたことでも、この企画大成功かと。 お二方に大感謝です!
2016-03-29 12:31:43@wanavi @yomiyomediary 横から失礼(1のみ拝読しました)、「……バッケンシュタインは冷静な科学者の眼で観察しながら、自らも重い体を……」は神視点っぽい描写。もっと「三人称多視点」に近づけてはどうでしょう。共感しづらい理由は「視点の高さ」にあるかもしれません。
2016-03-29 12:33:41三人称は自由度が高いせいで、時に神視点へ近づいてしまうことがあります。それはそれで表現として安定するのですが(歴史絵巻などは神視点で描かれることが多い)、視点の高さは概ね「感情移入を疎外する装置」として働く。一方で近代文学の歩みは神視点の否定にあるといわれます。どちらをとるか。
2016-03-29 12:37:57承前。例えば「バッケンシュタインは心中穏やかではなかった。しかし科学者という体裁を守るべく、冷徹な態度に努めることを片時も忘れない。」であれば、よりバッケンシュタイン目線に近い三人称表現(いわゆる多視点)になります。ご参考まで。 @wanavi @yomiyomediary
2016-03-29 12:45:34@kurona_san 現代的な、そして読者に優しい選択だと思います。歴史小説好きなどは、このあたりの踏ん切りがムズカシイ(司馬遼太郎や古典文学ばかり読んでしまうと、神視点に近くなる)。
2016-03-29 12:50:01@nen10baka @yomiyomediary あ。そうか。 視点の指摘を受けて、気付きましたが、私、バッケンシュタインもシェンクも「外側」から描きたかったんです。「内側」から描く時は一人称にします。 「外側」から「内面」をかする書き方にすべきなのにバッケンの内側を→
2016-03-29 12:57:35→バッケンの内側を描き過ぎた。 というか、感情面(恨み辛みや諦観や怒りや娘への愛情と執着の混合物)は、感じ取って欲しいから、かするだけで済ませて、でも、人物の感情・心情が生まれる基盤となってる思想は必要だと思ったんだろうな。多分。→
2016-03-29 13:05:30@kurona_san 神視点=作者の自己主張に直結しますので「ある登場人物( @wanavi さんの #魂の重さ であればバッケンシュタイン)個人の主張」と読ませたくても、「地の文で作者のポリシーを押し付けられた」ように読者は感じる。それを避ける表現上のテクニックは必要かと。
2016-03-29 12:59:14@nen10baka @kurona_san ですね! この辺まったく無意識で書いてましたが、もっと自覚的に工夫と戦略が必要。 小説書くのムツカシ~
2016-03-29 13:09:34@kurona_san そのためには「三人称であっても感情移入しやすい視点から語る」ことが大事だと思います(@wanavi さんの #魂の重さ であればシェンクがベター)。そうすることで「登場人物の主張は当人の考え方でしかない」と読者は受けとめられる。現代的な視点設計の選択。
2016-03-29 13:11:36@kurona_san @wanavi 司馬は神視点に近い三人称で食べましたが、一方で村上春樹は一人称でありながら乾いた描写=客観に近い視点で人気作家となった。視点の「質」は人物の内・外という杓子定規の理屈を超えた繊細な感覚で、イコール作家の食い扶持そのものだと考えています。
2016-03-29 13:22:39@nen10baka 私のさきほどの内・外と人称の話は、単に、私が書くときの人称の決め方というだけで、一般的な話として語ったのではないということを、念の為明言しておきます。 マイルール、というか人称の設定に失敗すると書き上げられないタチなので、私が書くときの重要ポイントなのです。
2016-03-29 13:35:06@wanavi 「小説の皮をかぶったプロパガンダ」は一番嫌われるし、発想として危険なんですよね。エンタテイメントのふりをした布教活動。極論ですが、そう受けとめられかねない。怖がられる。自分は誤読されたくないし、その前にまず作家たるもの自己批評性を見失ってはならないと戒めています。
2016-03-29 13:36:33