ダメットにおける意味理解をめぐって

ダメットが,古典一階述語論理に従って推論することを量化子の意味の把握と取らないのはなぜだろう,というyoriyuki @yoriyuki 氏の疑問に,山田 @Zahlangabeheft が答えていった.自然数(に関する証明)の無際限拡張可能性などに言及.やり取り冒頭で言及されている論文は以下より:http://researchmap.jp/begriffymd/
3
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki 伝統的には,無限というのは「いくらでも反復できる」という考えであって,そういう無制約性とか反復可能性みたいな概念であれば,そんなに病的なものではない,病的に見えるのは有限集合との類比で無限集合なるものを考えるからだ,というのが直観主義者的な回答ですね.

2016-03-29 23:18:53
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki 返答が前後してしまいました.ええ,意味理解のmanifestabilityと証明概念の無際限拡張可能性の関係は大丈夫なのか,という疑問は出てくると予期していました.私の解釈は,無際限に拡張可能とはいえ拡張の仕方の枠は決まっていて,→

2016-03-29 23:23:34
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →その枠を理解しているかどうかは十分manifestableだ,というものです.

2016-03-29 23:24:23
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki すみませんもう少し補足します.→

2016-03-29 23:25:26
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →ダメットの考えている検証主義的(正当化主義的)意味理論だと,文の意味を理解しているということは,文の証明・反証が与えられたときにそれを証明・反証として認める能力を持つということに他ならない,ということになります.無際限に拡張可能な証明概念の→

2016-03-29 23:28:24
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →拡張の仕方の「枠」を知っていると言えれば,確かにそのような,証明・反証をそれとして認める能力があると言えるだろう,というのが私の言ったことです.もちろん,この「枠」の知識が本当にmanifestableなのか,という問題はありますが,→

2016-03-29 23:30:13
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →まあ例えば足し算のような演算でも,例えば10^(10^(10^(10^10)))みたいな数に適用した人などいないけど,皆足し算は理解しているし理解をmanifestしていることになっているわけで,その程度には「枠」である帰納法も理解していると言ってよいかと.

2016-03-29 23:36:31
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft その辺りには少し問題を感じます。(関連した)論点が2つあって、まずひとつ目はダメットもプラトニズムに関する論考で言及していたように、帰納法のなかで実数上の量化を用いるといったことがあります。例えばある人が自然数概念を持っているように見えて実は実数

2016-03-30 00:48:30
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft 上の量化(あるいは実数関数上の量化…無限に続く)を受け入れない、といったことがありえます。これは有限時間で判定できるのか、という問題です。さらに一般的に言うと、「能力の保持」は全称命題であるのでもともと回避しようとしていた全称命題の真理概念の把握

2016-03-30 00:51:41
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft の問題と同じ問題を抱えているのではないかという疑問です。

2016-03-30 00:52:13
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft 関連した疑問は、自然数に関する全称命題の証明の中に実数やその他その人の言語体系のあらゆる概念が現れ得るので、ダメットの構想する意味論も全体論に陥らないか、という疑問です。

2016-03-30 00:53:20
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft もちろん、「枠」の把握で十分であり、その枠の中に当てはめられる文に現れる概念の把握までは自然数上の量化の理解を判定する上で必要ない、という立場もありえるかもしれませんが、その立場を明確化できるか、ちょっと自身がありません。

2016-03-30 00:55:02
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft ダメットの検証的意味論の議論に関しては、私は多岐にわたる疑問を持っており、そのうちまとめて書きたいのですが…まああまりダメットを読めていないのと、まとまった時間が取れないのでなかなか難しいです。

2016-03-30 00:57:12
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki すみません返信遅れました.この当たりはまだ自分でも考え中のところなんですが,例えば自然数を分類する概念として,PAの一変数論理式で表現できるものしか持っていない人と,それに加えて「nはPAの真なる論理式のコードである」という概念を持っている人で,→

2016-03-31 11:03:34
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →少なくともある文(というかPAのゲーデル文)の真偽判定に違いは生じますが,後者の人に「nはPAの真なる論理式のコードである」という概念を教えれば,真偽判定は一致するだろう,という程度のことは言えます.このように,適宜新しい概念や新しい証明を教えていけば→

2016-03-31 11:10:36
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →真偽判定の仕方が一致するだろう,という程度のことで,文の理解の一致と言ってよいのではないかと思います.そう考えると,算術文の理解が一致していると言えるために,実数とか実数上の関数とか,帰納法の中に現れうる概念すべてに関して一致している必要はなく,→

2016-03-31 11:13:08
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →せいぜい帰納法がすべてのまともな概念に適用できるという点に関して一致していれば十分で,この程度ことをお互いが理解しているかどうかなら,我々は十分判定できているとみなしてよいように思います.

2016-03-31 11:15:11
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki 次に能力の保持が結局全称命題であって,全称命題の真理条件にまつわる問題が再燃するのではないか,という疑問ですが,これに関しては,実在論者ならそう考えることもできるが,別にそう考える必要はないし,直観主義者はそう考えない,というのが答えです.→

2016-03-31 11:17:57
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →つまり,問題は「全称命題の意味とか理解とかをどう与えればよいか分からない」ということではなく,「全称命題の真理条件というのが我々から独立に決っているとすると,その真理条件の理解をどう与えればよいのか分からない」ということなので,→

2016-03-31 11:19:53
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →全称命題の真理条件が我々から独立に決まっていると考えないなら別に問題はない,そして能力の保持に関する命題は形としては全称命題だが,我々が言語能力を持っているかどうかが我々から独立に決まっていると考える必要はないので,問題ない,という次第です.

2016-03-31 11:21:38
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki 全体論になるのではという疑念については既に答えられていると思うので省略します.ダメットの話が多岐に渡る疑問を生じさせるというのは全く同感で,私も10年くらい考えさせられましたが,今では,多分ほとんどの疑問は解消できるだろうと思っています.

2016-03-31 11:24:57