ダメットにおける意味理解をめぐって

ダメットが,古典一階述語論理に従って推論することを量化子の意味の把握と取らないのはなぜだろう,というyoriyuki @yoriyuki 氏の疑問に,山田 @Zahlangabeheft が答えていった.自然数(に関する証明)の無際限拡張可能性などに言及.やり取り冒頭で言及されている論文は以下より:http://researchmap.jp/begriffymd/
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yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft さんの「On Dummett’s Critique of Davidsonian Theory of Meaning」を読んだので少しだけコメントを。

2016-03-28 21:08:59
yoriyuki @yoriyuki

正直Dummettは英語が難しくて(三重否定とか出てくる!)ので挫折したし、Davidsonについても一部読んでいるだけなのであんまりなんだけど。

2016-03-28 21:10:34
yoriyuki @yoriyuki

まず、2.1で考察されている真理理論的意味論だが、実際にはT文のみが検討されている。DavidsonはT文そのものではなく、すべてのT文を導く有限公理化可能な理論の保持が言語の理解であると言っていると思うので、ちょっと議論が不足している気がする。

2016-03-28 21:13:40
yoriyuki @yoriyuki

また、3節のアセスメントでは2.3節の真理理論的意味論の解釈3が二値原理に反するとしているのだが、二値原理が必要なのは原子命題だけなのでは?

2016-03-28 21:15:50
yoriyuki @yoriyuki

まあ私の適当な読みだけど、Davidoson流の理論では真理理論T+信念体系Bによって行動が説明されるが、この場合言語把握が「分子論的」でなくなる、という論点がDummettにはあったと思う。

2016-03-28 21:17:48
yoriyuki @yoriyuki

ていうか意味論上の「二値原理」と構文的(証明論的というべきか)な「排中律」は区別すべきだと思うのだが…ダメットの立場で放棄すべきなのは「二値原理」であって「排中律」を排除すべきかは必ずしも明らかではない。

2016-03-28 21:18:47
yoriyuki @yoriyuki

@yoriyuki これは撤回。量化子を理解しているかどうかをテストするには、無限ドメインに量化子を適用したときどう振る舞うか、を知ることが必要かもしれない。

2016-03-28 21:32:17
yoriyuki @yoriyuki

ただ、なんでダメットは理解のテストとして肯定、否定というアクションだけを取るのか、ちょっと疑問。

2016-03-28 21:36:42
yoriyuki @yoriyuki

なんで、普通の古典一階述語論理に従って推論しているのを見て、量化子の意味の把握ととらないのだろうか。

2016-03-28 21:38:09
yoriyuki @yoriyuki

そうすると、体系が全体論的になる、というのが、ダメットの答えなのかもしれない。正しくないけど。

2016-03-28 21:39:27
yoriyuki @yoriyuki

で全体論という言葉を私が誤解してる可能性もあるな。意味論と信念体系の区別がつかないということなのだろうか。

2016-03-28 21:58:55
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki あの読みにくい拙稿をお読みいただきありがとうございます.まず2.1節がデイヴィドソン批判になっていないというのはおっしゃる通りで,ここはデイヴィドソン批判のための道具となる論点を取り出すための議論という位置づけです(が,拙稿はそういうふうに書けていないです).

2016-03-28 23:48:00
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki 二値原理の適用が問題になるのは原子文だけでない,という点は,yoriyukiさんがご自分お気づきの通り,無限領域上の無制限量化の理解を考えれば納得できます.

2016-03-28 23:50:08
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki なぜ肯定や否定のアクションだけを理解のテストとして,古典論理に従う推論を理解のテストとみないのか,という点に関しては,それだと全体論になるという議論もあります(「演繹の正当化」の最後など)が,根本的には,→

2016-03-28 23:54:47
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →文を理解するということに,何によってその文の真偽が決まるのかについての知識(というのは私の言い方ですが)という,かなり強い内容を読み込んでいるせいだと思います.つまり,単に古典論理に従って推論できるだけの人が,例えばゴールドバッハ予想のような命題について,→

2016-03-29 00:00:08
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki →その命題を,証明の有無に関わらず,真にするようなもの(多分,すべての偶数が「たまたま」どれも二つの素数の和で表せる,という事態)について把握していると言えるか? それは無理というものではないか? というのがダメットの気持ちだと思います.

2016-03-29 00:07:48
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft 思いつきのコメントに、丁寧なお返事ありがとうございます。ダメットの論点は、意味を帰属させる手続きが何らかの意味で具現的でなければならない、という前提があり(それはおそらく信念体系と意味体系の区別という要請から来るのだと思いますが)

2016-03-29 22:44:34
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft そのためには、少なくとも普通の二値的な真理概念は無限領域の量化を含む文に対して具現的でないため、それを意味把握の基礎的な概念とみなすことはできない、ということだと思いますが、

2016-03-29 22:53:28
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft では具現的な真理概念(に代わるもの)とはなんだろうか、という疑問がわきます。どうもダメットは証明可能性の概念を想定しているように思いますが、証明可能性は特定の証明体系を背景にしたものなので、例えば挙げていただいたゴールドバッハの予想の例を考えると、

2016-03-29 22:57:36
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft その意味を与えるのは、どの証明体系なのだろうか、という問題があるように思います。

2016-03-29 22:59:37
yoriyuki @yoriyuki

でも、自然言語ってほぼ有限領域での量化しか含んでいなくて、数学みたいに無限を扱っている(ように思っているの)は病的な営みなんじゃないか、という気もするなあ。>ダメット

2016-03-29 23:02:50
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yoriyuki ダメットは,証明概念が形式体系に相対的な概念だとは思っていないでしょう.ダメットだけでなく直観主義者は,証明概念を形式体系に相対的な概念とは考えないと思います.もちろん,この絶対的な意味での「算術的証明」の全体は不確定な,どんどん拡張されていくものになります.

2016-03-29 23:11:31
yoriyuki @yoriyuki

うーむ、なんだか議論がまとまってないな。多分、@Zahlangabeheft さんの仰っていることは真理論的意味論への背理法(意味把握を真理概念の把握に求めると、ゴールドバッハの予想が証明はないのに「偶然」成り立つような状況を理解できなくてはならない、から変)と受け取ったのだけど

2016-03-29 23:13:37
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft はい、ですがそれだと結局意味把握が決定可能な概念でなければならない、という要請を満たさなくなりませんか?ある人が、この命題は証明可能!と反応したとして、それが(想定している意味において)正しいのかどうか判定するために、無限に拡張していく証明概念を

2016-03-29 23:16:57
yoriyuki @yoriyuki

@Zahlangabeheft 適応できるか判定しなくてはいけない…という議論をダメットの不完全性定理に関する議論を引用しつつ展開しようとしていましたが、長くなるのでやめていました。決して後出しジャンケンではありません!

2016-03-29 23:17:47