芝村裕吏(siva_yuri)さんによる「日本人が食の安全にこだわりを持つに至った経緯」

2011/01/30 芝村「食へのこだわりはどこの国にもあります。」
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芝村裕吏 @siva_yuri

なんかわれは剣王っの収入がはいってきてた。まだ動きあったんだなあ。

2011-01-30 11:30:53
猫野 和錆 @neko_wasa

@siva_yuri こんにちはー おお・・・>われは剣王っ!

2011-01-30 11:32:48
芝村裕吏 @siva_yuri

みなさんこんにちはをありがとう。

2011-01-30 11:41:06
芝村裕吏 @siva_yuri

そして今日も、話題を待つ。

2011-01-30 12:25:47
芥@akuta @akuta__

@siva_yuri 日本人の食へのこだわりというか、味や安全面なんかのこだわりを持つようになった経緯なんかご存知でしたら教えていただきたいです。戦後の経済国になるまで香辛料に熱を出してたヨーロッパに比べて食に関して質素なイメージがあるので

2011-01-30 12:34:54
芝村裕吏 @siva_yuri

日本人が食に安全や味のこだわりを持つようになった経緯ですか。

2011-01-30 12:55:21
芝村裕吏 @siva_yuri

まず、食へのこだわりはどこの国にもあります。味付けの差はあれど熱意はあんまりかわりません。 食の安全というか、品質に目が行くのは戦後も70年代頭あたりからですね。スーパーに品物が並び初めてです。

2011-01-30 12:57:04
芝村裕吏 @siva_yuri

さて、藤原京のそばをながれる河原を発掘した際に、1cm平方あたりに万の寄生虫の卵が発見されて唖然とされたことがあります。 この時代、衛生に気を使わずというか、都市計画が中国からまんまきてたので、都にトイレがなかったのが原因の一つ。

2011-01-30 13:02:04
芝村裕吏 @siva_yuri

もう一つの理由は、この時代でも生野菜や生の魚を食べていた強い疑いがあるんですね。火を通した食材をたべていたら、こういうものは発掘されないわけでして。

2011-01-30 13:03:15
芝村裕吏 @siva_yuri

まあ、後の日本につらなる食文化は、この時代に原形を見る事ができるわけですね。 この時代、わずかな年数で遷都してますが、その理由はこの手の衛生問題だったようです。川が臭くて病気多発と司書にもあります。

2011-01-30 13:05:49
芝村裕吏 @siva_yuri

同様に、中国に出兵した折、現地の人間がやめといたがいいですよというにもかかわらず、我慢出来ずに生でたべて皮膚の下をはいまわる寄生虫にやられた人も割と出ました。

2011-01-30 13:07:19
芝村裕吏 @siva_yuri

さて、この二つの話を見るに、日本は1000年以上も生食を続けてきているわけですが、今もやってますけど・・・ 昨日の私の夕餉は刺身でした・・・ これは一つの重大な情報が含まれています。すなわち日本人は、生食を我慢出来ず、捨てる事もできなかったわけです。

2011-01-30 13:09:54
芝村裕吏 @siva_yuri

これが、他国との大きな違いです。 多くの国では(都市という空間が出来る過程で)火を通す方向にいったんですが、日本はこれを頑固に、あるいは頑迷に守り続けました。 この一事を見るだけでも、日本人は自称するほど流されたりはしないことが分ります。

2011-01-30 13:12:21
芝村裕吏 @siva_yuri

さて、都市と言う言葉が少しでました。 食と生活、生活空間は非常に結びつきの強い物で、相互に関連があります。 自然にいきていたならさておき、それが集団になり、大集団になり、都市を形成した頃には、食は変更をしなければ、都市を維持出来ないようになるのが普通でした。

2011-01-30 13:15:04
芝村裕吏 @siva_yuri

それは遠隔地から食べ物を送らねばならない関係もあり、鮮度でおちるゆえに危険性も上がる故です。 が、日本は、食文化を変えませんでした。他国からはまるで理解出来ないほどに。

2011-01-30 13:16:08
芝村裕吏 @siva_yuri

日本は食ではなく、それ以外を変えました。 つまりは生活と生活環境を変えました。 生食を行うための都市計画と何百年もの運用実績です。

2011-01-30 13:17:47
芝村裕吏 @siva_yuri

たとえば、江戸。 百万人都市です。 常識的にここで生食は無理ですが、やってのけてます。我が日本。 輸送網に生き方まで変えて、やってのけてます。

2011-01-30 13:22:10
芝村裕吏 @siva_yuri

せっかちな魚売りにいたるまでの気質、陸路海路での高速輸送網の整備、近隣農業生産力を激増させた肥だめの利用。 当時の野菜の値段の半分は小便(西日本)やうんこ(東日本)でした。

2011-01-30 13:24:44
芝村裕吏 @siva_yuri

この魚や野菜への熱意の向こうに、肉に関する鮮度のこだわりもあります。 が。うまくいったシステムのおおくがそうであるように、鮮度の改善まではしても、寄生虫への理解や対応はすすみませんでした。

2011-01-30 13:28:54
芝村裕吏 @siva_yuri

この寄生虫に対する啓蒙と対策は、本格的には戦後までまたないといけません。 草の根運動で医者が連携をはじめ、日本寄生虫予防会という団体ができ、そこから全国規模への啓蒙と対策がとられていきます。

2011-01-30 13:33:38
芝村裕吏 @siva_yuri

今、日本に寄生虫由来の感染症などがほぼ絶滅しているのは、化学肥料とこの運動によるものです。 日本の国民に予防医学を浸透させた人たちがいたことは、忘れてはいけません。

2011-01-30 13:35:36
芝村裕吏 @siva_yuri

以上、説明終わり。 いつにもましてつまらぬ解説なのはご勘弁を。

2011-01-30 13:36:00