【神は空名なれど…②】鎌田柳泓の『心学奥の桟(かけはし)』/~「神は空名(エンプティ・ネーム)なれど、名あれば理(リーズン)あり、理あれば応(レスポンス)あり」の日本教の世界~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/神は空名なれど…/鎌田柳泓の思想/59頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①実を申しますと「空体語」は私の新造語とは言えません。 これは1822年に鎌田柳泓(りゅうおう)という人が書いた『心学奥の桟(かけはし)』という本からヒントを得た(というよりむしろ「引用した」というべきかも知れません)言葉で、この本では「空名」となっております>『日本教について』

2016-04-22 13:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

②この「空名」という言葉は日本の和英辞典ではempty name,nominal title,また時にはfalse reputationの意味とされており、現代の日本人もほぼこの意味に使っておりますが、(続

2016-04-22 13:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③続>前記の本〔心学奥の桟(かけはし)〕の使い方はこれと違っており、この本の意味する「空名」の内容を最も的確に表わすには、「空体語」という言葉が最もふさわしいのではないかと考えたからです。 だが、説明よりも、まずその一節を意訳してみましょう。

2016-04-22 14:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

④…【がんらい神は、本質的には「空名(エンプティ・ネーム)」(名ばかり・原注通り)であるが、その名があることはすなわちその「理(レゾン・デートル/存在理由)」があることで、その「応(レスポンス)」はまた空しくない。】

2016-04-22 14:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤【そうであるから、これらの「神」や「仏」…はただ「空名」だけだけれども、すでにその名があるということは、それなりの「理(リーズン/理由)」があるのであって、従ってその「応(レスポンス)」は、ないといってはならない。】

2016-04-22 15:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥…この中で問題となる言葉は恐らくは「理」ですが、これを一応前の文の「理」は「存在理由(レゾン・デートル)」の意味、後の文の「理」は「リーズン」の意としてお読みください。 それで、大きな誤りはないはずです。

2016-04-22 15:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦…どうお考えですか?意味が通じますか? もちろん通じないと思います。 しかし、たとえ通じなくとも私が誤訳したとお考えにならないでください。 これが「空体語」というものなのですから。 確かにこの文章は、論理的には意味が通りません。

2016-04-22 16:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧「がんらい神は、本質的には『空名』である」 と断定したなら、これは、言うまでもなく「神は実在しない」と断言したことになります。 こう断言すれば、その人は無神論者です。

2016-04-22 16:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨無神論者は神の実在を否定しますが、その人達とて「神」という「名詞」が「空名」として辞典に存在する事は否定しませんし、またできません。 いや、その「空名」がある故に無「神」論者という言葉が存在しうる訳ですから「神は空名」なりと言った者に、無神論者以外の名をつける事は不可能です。

2016-04-22 17:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩従ってこれにつづく文章は 「その名は空名にすぎないのだから『理』(レゾン・デートル/存在理由)があるはずはなく、従って『理』(リーズン)もあるはずがない。故に『応』(レスポンス)があると考えるのは誤りである」 となるのが当然です。

2016-04-22 17:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪勿論…寛容な無神論者は…『心学奥の桟』の著者に似た言い方をする事があります。すなわち 「神は『空名』にすぎないのだが、例え『空名』でもその名はあるがため、神は存在理由があると考え、従ってその『応』があると考えている者もいる、という事実は認めねばならない」 という言い方です。

2016-04-22 18:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫しかし、この『心学奥の桟』の著者が言っていることは、これとは全く別のことなのです。 なぜかと申しますと、この寛容な無神論者の言葉は、そういう事実があることは認めても、少なくとも「神は空名なり」と断言した自分はそうではない、ということを前提にしているわけですが、(続

2016-04-22 18:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬続>この『心学奥の桟』の著者の言葉は、自己規定(少なくとも自己を含めた規定)です。 しかも積極的・肯定的な自己規定なのです。 こういうことがあり得るでしょうか。 第一「神は空名なり」という言葉を口にした瞬間、ヨーロッパ人なら強い一種の緊迫感があります。

2016-04-22 19:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭「名は実体」の世界ではこの言葉自体が一つの対決です。 従ってその言葉がどういう結末へとその人を導いて行くか、一種、固唾を飲んで見守るといった感じがあるはずですが、この『心学奥の桟』の著者はまことに当然のことのようにこの言葉を口にしています。

2016-04-22 19:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮そしていとも平静に、名あれば理あり、理あれば応あり、と平然としています。 これが日本教徒です。そしてこの「空名」が、私の言う「空体語」です。 …私がのべました「空体語」の説明を『心学奥の桟』の短文に組み入れてお読みになれば、恐らくこの文章の意味する事がお解りになると思います。

2016-04-22 20:09:18