古代ギリシア・ローマの狼 ―神話、人々、そして人狼―

「屋敷の周りには、山に棲む獅子や狼がいたが、これはキルケが恐ろしい薬を盛り、魔法によって獣に姿を変えた者たちで、人間に向って躍りかかったりすることがないばかりか、長い尾を振って立ち上がってくる」(ホメロス『オデュッセイア』10巻212-215節、松平千秋訳) 古代世界の人々が狼をどう見てきたか、どんな記録があるのかを古典古代の史料から検討します。
35
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(9)この他、アポロンには「リュケゲネスΛυκηγενής(狼の生まれ)」という比較的古い添え名もありました。ただ、この添え名の解釈は少々難しく、「リュキア生まれ」だとか「薄明り」だとか、古代世界の段階においてすでに諸説紛々としていました。

2016-04-25 00:48:44

 ホメロスは『イリアス』の4.101, 4.109で「Λυκηγενής」を用いています。その解釈についてはKirk, G.S., The Iliad: A Commentary Volume I: Books 1-4, Cambridge, 1985, p. 340が詳しいです。古代世界におけるこの添え名の議論ですが、紀元後5世紀のヘシュキオスは「リュキアの生まれ」(『辞典』s.v. Λυκηγενέι)だと、アレゴリー論者のヘラクレイトスはアポロドロスの説として「薄明り(λυκαυγής)」(『ホメロスの寓意』7)ではないかとそれぞれ解釈しています。ローマ時代のソフィストのひとりフィロストラトスは、ある物語の中でアポロンが狼の神であり、同時に弓術・医術の神であることを合理的に説明していますが、こうした見解は上述したような様々な側面を持つアポロンの解釈を踏まえてのことでしょう(『英雄論』710-711(トイブナー版178頁31行目~179頁12行目))。
 補足の補足ですが、今回のツイート(4)~(9)の説明において、古代地中海・黒海沿岸の人々が残した所謂「ギリシア神話」、とりわけアポロンに関わる考古資料・文字史料をいくつかご紹介してきました。これらはあくまでも文字によって表現されているもので、例えば「昔々、この村の近くに神様の一人がやってきて、彼と川の妖精の間に生まれた子が我々の御先祖様にあたるのじゃー」というような口承によって特定の地域のみに流布していたものは、文字(あるいは彫刻や壺絵などの美術品)に記録されなければ消えて無くなってしまいました。現代のわれわれが理解しようと試みることができる「ギリシア神話」とは、このような地方伝承を文字で集積したものと言えるでしょう。同時に、神話は単なるお話として完結するものではなく、それぞれの共同体の置かれた状況と結びつきながら解釈され、利用され、時に変質しながら機能したものなのです。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(10)ローマを建国したロムルスとレムスを育てた牝狼同様、建国神話に狼が登場することもあります。そのひとつに、所謂「デウカリオンの洪水」の生存者の中に、狼の声に導かれて難を逃れた者たちがおり、彼らがのちに町を作ったという伝承があります(パウサニアス『ギリシア案内記』10.6.2)

2016-04-25 00:49:57

 ロムルスとレムスを育てた牝狼については、いくつもの詩や散文のなかに登場します。
【詩】ウェルギリウス『アエネイス』1.274-277; 8.626-634; オウィディウス『祭暦』2.413-422; プロペルティウス『悲歌』2.6.17-20; 4.1.38; 4.1.55-58
【散文】プルタルコス『ロムルス伝』4; ユスティヌス『抄録地中海世界史』38.6; 43.2; リウィウス『ローマ建国以来の歴史』1.4.6-7; 逸名作家『ローマ共和政偉人伝』1

 狼に育てられたアマラとカマラの話を俟たずとも、古代世界には、鷲に救われたバビロン王ギルガモス(ギルガメシュ?)、犬に育てられたキュロス、野獣や鹿に育てられたタルテッソス王ハビスの伝説がありました。文学で言えば、ダフニスとクロエもそれぞれ山羊と羊の乳を飲んでいるところを農夫が見つけて物語が始まります。つまり、ロムルスとレムスの伝説は孤立したおとぎ話ではなく、古代地中海世界にいくつも存在していたであろう「貴種流離譚」のひとつだったのでは、と思います。確信を持って語れることではありませんが…(アイリアノス『動物の特性について』12.21; ヘロドトス『歴史』1.122; ユスティヌス『抄録地中海世界史』44.4; ロンゴス『ダフニスとクロエ』1.2ff。アマラとカマラについては、シング, J.A.L『狼に育てられた子』福村書店 1977)。
 いずれにせよ、このようなローマの建国神話における牝狼の解釈は松田治『ローマ神話の発生』現代教養文庫 1992, 79-133頁をご参照ください。
 デウカリオンの洪水ですが、これはゼウスが人間たちを一度滅ぼすべく起こした洪水のことです。この洪水ではデウカリオンとピュラの夫婦だけが生き残り、彼らの子が全てのギリシア人の祖となるという、『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティムの話や『旧約聖書』の「ノアの方舟」のエピソードととてもよく似た筋書きになっています。つまり、オリエント世界の影響のもとに形成されたお話であると解釈できるかもしれません。とはいえ、ギリシア人はギリシア人で何度か洪水を経験している(らしい)ので、ただ単に他の地域の説話を移植したもの、というわけでもなさそうです(プラトン『クリティアス』111a-b; 同『法律』679d; ポリュビオス『歴史』6.5.5)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(11)また、ボイオティア王のアタマスは国を追われてさまよい歩いていた時、「野獣から饗応された場所に町を作るべし」と神託を得ました。その後、羊の肉を食べていた狼を見つけ、その地にアタマンティアの町を作ったといいます(アポロドロス『文庫』1.9.2)

2016-04-25 00:52:05
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(12)他にも、ダナオスという人がアルゴスで王になる時に一役買ったのが狼でした。この神話が念頭にあったかどうかは分かりませんが、アルゴスで作られた貨幣には狼が打刻されています。 pic.twitter.com/0HdDW9ePJt

2016-04-25 00:52:35
拡大

図版出典: Wikimedia Commons 「Hemidrachme provenant d'Argos avec un protomé de loup」
パウサニアス『ギリシア案内記』2.19.3-4; プルタルコス『ピュロス伝』32

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(13)このように、神話の世界では重要な役割を果たした狼ですが、農業・牧畜をしていた普通の古代人の感情は複雑なものだったことでしょう。狼は家畜を襲い、食べてしまうからです。

2016-04-25 00:53:16
アザラシ提督 @yskmas_k_66

(14)そもそも紀元前8世紀末のホメロスの叙事詩からして、狼のイメージは「両軍とも狼のごとく襲い掛かった」とか「彼らの凶暴さは狼のよう」といったもので、あんまりいいものではありませんでした。

2016-04-25 00:53:37

 ホメロス『イリアス』4.470-472; 11.72-73; 15.155-159; 15.351-354.
 悲劇詩人も「狼のごとく死体を引きずった」「狼が牝鹿を引き裂いた」といった具合に、恐怖や暴力のアイコンとして狼を用いました(アイスキュロス『供養する女たち』421-422; 同『ポトニアイのグラウコス』断片39; エウリピデス『ヘカベ』90)。紀元前4世紀の哲学者アリストテレスも狼の本性は悪いものだと断じています(『大道徳学』1205b4)
 ラテン語の詩に目を移すと、ウェルギリウスは狼の遠吠えを凶兆として詩の中で描写しましたし(『農耕詩』1.483-486)、ティブルスも「狼の食べ残しでも貪るがいい!」と相手をののしるような言葉を残しています(1.5.53-54)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(15)文学や詩の中に出てくる農民や羊飼いたちは、いかに狼を追い払うか苦心したり、狼がもたらした被害を嘆いたり、どうか家畜を襲わないでくれと願ったりしています。狼はアポロンの「聖獣」だったわけですが、同時に人々を悩ませた「害獣」でもありました。

2016-04-25 00:53:56

 例えば文学的・詩的表現の中に出てくるものとしては、『ギリシア詞華集』6.73; 6.99; 9.432; エピクテトス『人生談義』3.22.35; テオクリトス『牧歌』8.63-64; 10.30-31; 25.185; フィロストラトス『英雄論』664(トイブナー版132頁12~14行目); ルキアノス『神々の対話』4.2; ロンゴス『ダフニスとクロエ』1.12.5; 2.31.1; ウェルギリウス『農耕詩』1.129-134; 4.433-436; オウィディウス『祭暦』4.763-764; ティブルス 1.1.33-34; 2.1.18-20; 2.5.87-88。
 散文や歴史叙述に目を移すと、ディオドロスは、アラビアの一地方では昼夜を問わず狼などから家畜を守らなければならないと述べます(『歴史叢書』3.43.7)。別の個所ではヘラクレスがクレタ島の狼を根絶やしにしてくれたという伝承を記録していますが、ようはそれだけ厄介な存在だったということを窺い知ることができます(『歴史叢書』4.17.3)。家畜以外にも、町の境界石や大事な手紙が奪われたなんてこともあったようです(プルタルコス『ガイウス・グラックス伝』11; 同『ディオン伝』26)
 無論、農民たちは被害を嘆くばかりではありませんでした。例えば、犬は古代においても家畜たちの世話や番犬として使われていたようですし、狼を追い払うために犬を用いたとする史料もありますから、『狼と香辛料』の羊飼いノーラのように犬を用いて家畜を管理する人は古代世界にもいたことでしょう(クセノフォン『メモラビリア』2.7.14; 2.9.2; ディオン・クリュソストモス7.16-17; プラトン『国家』416aウェルギリウス『農耕詩』3.404-413; オウィディウス『祭暦』4.765-766; プラウトゥス『カルタゴ人』3.3; 同『三文銭』1.2; Bresson, A., The Making of the Ancient Greek Economy, Princeton, 2015, pp. 133-134)。
 実際に狼を倒す道具としては石や松明、棍棒など、使えそうなものはなんでも使ったと思いますが(ルキアノス『偽預言者アレクサンドロス』48; アプレイウス『黄金の驢馬』8.16)、特筆すべきものに、狼を倒した棍棒を神に捧げた際の詩が残っています(『ギリシア詞華集』6.35; 『スーダ』s.v. Αἱμωπούς)。武器を神に捧げることもあるわけですから、農民にとって狼を追い払うのは自慢話の材料になったかもしれません(ロンゴス『ダフニスとクロエ』2.32.3)。
 武器でやっつけるだけでなく、罠や網で狼を捕まえた者もいたはずです(プルタルコス『モラリア』757d)。さらには、飼い慣らして犬と同じように用いた人もいたかもしれません。確かなものではありませんが、そうであったことを匂わせるような史料もあります(アリストテレス『動物誌』620b6; アンティファネス『さらわれる女』断片44; オウィディウス『変身物語』3.214)。加えて、疑わしい伝承ではあるのですが、ソロンは狼を捕獲した者には賞金を出すように定めたようです(プルタルコス『ソロン伝』23.3-4)
 その一方で、狼に襲われて怪我をする人や(コルメラ『農業論』6.13.1)、不幸にも狼に殺されたり、死後に食べられてしまった人もいたかもしれません(『ギリシア詞華集』7.289; アリストテレス『動物誌』594a30-31; クセノフォン『アゲシラオス』1.22; パウサニアス『ギリシア案内記』6.14.8; オウィディウス『イビス』150; リウィウス『ローマ建国以来の歴史』32.29.2)。特に、戦争前に狼による死者が出た場合は、厄払いの儀式が行われたようです(リウィウス『ローマ建国以来の歴史』21.46.2-3)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(16)とはいえ、狼崇拝や狼に関わる縁起話はないわけではありません。例えば、ディオドロスは狼によって命を救われた人の話(『歴史叢書』10.29)を、パウサニアスは財宝を守った狼の話(『ギリシア案内記』10.14.7)を記録しました。

2016-04-25 00:54:27

 エジプトにおける狼崇拝の記録はディオドロス『歴史叢書』1.18.1; 1.83.1; 1.88.6; ストラボン『地理誌』17.1.40。ヘロドトスによると、エジプトではある行事の際、二頭の狼が神官を町はずれのデメテルの神殿まで導くといいます(『歴史』2.122)。また、アカイア地方のパトライ市では、アルテミスへの犠牲に狼の仔を投げ込むこともあったらしいです(パウサニアス『ギリシア案内記』7.18.12)。
 狼に関わる縁起話は、例えば、
①書写板を狼に奪われてしまい、取り返しに行くべく建物を出てところで地震が発生。建物は崩れ落ちてしまった。結果的に男は狼に救われた(ディオドロス『歴史叢書』10.29)
②お人よしによって逃がしてもらった狼が、馬の群れを連れて戻ってきた(ストラボン『地理誌』5.1.9)
③狼がアポロンの神殿から財宝を盗んだ男を殺し、その財宝を守った。人々は狼に感謝し、青銅の狼の像を建てた(パウサニアス『ギリシア案内記』10.14.7。これと同一の像かは分かりませんが、スパルタ人やペリクレスは狼の青銅像に“わたくしどもはアポロンの神託を優先的に受ける権利がある”的な文章を刻んだとか(プルタルコス『ペリクレス伝』21))
④ペルシアにおいてアレクサンドロス大王が苦戦している時、「狼(リュコス)が攻略を手伝うだろう」と信託が下った。しばらくしてから、牛飼いのリュキオスという男が現れ、敵の背後を突く道を教えた(ポリュアイノス『戦術書』4.3.27。これは多分、アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』3.18やプルタルコス『アレクサンドロス伝』37に尾鰭がついたもの)
⑤シュラクサイのヒエロンII世がまだ少年だった時に、書写板を狼に奪われてしまった。これは将来、彼が優れた王になることを示すと解釈された(ユスティヌス『抄録地中海世界史』23.4)
…といったものがあります。
 上述の縁起話とは逆に、大蛇が狼から赤子を守ったという伝承も存在します(パウサニアス『ギリシア案内記』10.33.9)。
 古代ローマの歴史家リウィウスは『ローマ建国以来の歴史』の中で、何らかの出来事を記す際にしばしばその「予兆」を記録していますが、そのなかには狼が刀を奪った(21.62.5)、狼の像が汗をかいた(22.1.12)、狼が街の中や神殿を駆け抜けた(33.27.9)などといったものが載っています。また、ローマの軍人皇帝のひとり、マクシミヌス・トラクスの死の前兆の一つには、「五百匹の狼が市中に流れ込んできた」というトンデモないものもあります(ユリウス・カピトリヌス『二人のマクシミヌスの生涯』31)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(17)他方で、狼は寓話や金言の材料にもなりました。岩波文庫に『ギリシア・ローマ名言集』という本がありますが、ここには「話の中の狼」(=噂をすれば影)など、狼に関わる諺が幾つか収録されています。 iwanami.co.jp/cgi-bin/isearc…

2016-04-25 00:54:55

『ギリシア・ローマ名言集』にはこのほか、
・「狼の言い分も聞いてやるべきだ(16頁)」
・「盗賊は盗賊を、狼は狼を知っている(40頁)」…蛇の道は蛇。同類は互いに特定の物事をよく知っているということ。
・「前に断崖、後ろに狼(43頁)」…進むことも、退くこともできない、どうにもならない状況のこと。
・「人間は人間にとって狼である(151頁)」…よく分からない人は狼と思って用心しましょう。
・「狼は落とし穴を、鷹は疑わしい罠を、ほうぼうは隠された鉤を、用心しかつ恐れる(172頁)」…動物が災難を避ける用心をするように、人も悪事を犯すことを憎み、用心しましょう。
といったものが原文と共に載っています。
 イソップの名に帰されてる寓話や、ファエドルスやバブリオスらの寓話では、狼はだいたい悪者として登場します。また、プラトン作のたとえ話なんてのもありますし(『法律』906d-e)、古典文学にもいくつか諺を見出すことができます。
・「狼は犬どもより強い」(アイスキュロス『救いを求める女たち』760)
・「追従者とは狼の中の仔牛」(ディオゲネス・ラエルティオス6.5) こういう人を守ってくれる人はいないぞ、という意味。
・「話の中の狼」(キケロ『アッティクス宛書簡集』13.33a; テレンティウス『兄弟』4.1) ツイッターでも言及しましたが「噂をすれば影」という意味。
・「狼の耳をつかむ」(プルタルコス『モラリア』802d; ポリュビオス『歴史』30.20; スエトニウス『ティベリウス伝』25; テレンティウス『フォルミオ』3.2) 手を放すことも、抑え込むこともできない、どっちにしてもひどい目にあうということ。
 名言ではないですが、「狼に食われてしまうがいい…」という恨み節もあります(オウィディウス『イビス』171-172; カトゥルス 108; ホラティウス『エポドン』99-101)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(18)関連して、自分たちや他人を狼に譬えてみたり、綽名として用いたりしたケースもあります。さらに、「あいつは狼だ!」といった具合に、相手を非難したり中傷表現としても使われたりしたようです(デモステネス『アリストゲイトン弾劾第一演説』40節)。

2016-04-25 00:55:36

 他者を狼に譬えたものとしては、例えば、
①アレクサンドロスは「一匹狼(μονόλυκος)」である(プルタルコス『デモステネス伝』23)
②ハンニバルに率いられたカルタゴ軍は「狼ども」である(ウェレイウス・パテルクルス2.27.2)
③都市(黒海西岸の町トミス。オウィディウスの流刑地)の外をうろつく異民族は「狼」のようである(オウィディウス『悲しみの歌』3.11.11-14; 4.1.79-82; 5.7.45-6; 同『黒海からの手紙』1.2.13-18)
④ゲルマン人やスキュタイ人は「獅子や狼と同様の気質を持つ自由な民族」である(セネカ『怒りについて』2.15.4)
 これらとは逆に、自分たちダキア人を狼に、相手のローマ人を犬に譬える例もあります(フロンティヌス『戦術書』1.10.4)。人間以外にも、ガリア地方に住む豚は狼のように危険だなんて記述もあります(ストラボン『地理誌』4.4.3)。
 綽名の例はヘロドトス『歴史』4.149、相手を非難する表現としては、デモステネス『アリストゲイトン弾劾第一演説』40; テオドシウス『教会史』1.1; 5.13; ボエティウス『哲学の慰め』4.P3があります。中傷する表現は喜劇のセリフに見出すことができます。例えば、
「彼は飢えた狼みたいに、僕に襲いかかってくると思ったよ」プラウトゥス『捕虜』4.4
「あのエピグノムスってやつは飢えた狼みたいに旦那の財産を欲しがってますぜ!」プラウトゥス『ステュクス』4.2
 あとは、空腹を満たすため「狼のように羊を貪り食った」という表現も見られます(ヘリオドロス『エティオピア物語』2.19.5)。ちなみに、プルタルコスは“狼のように”肉食を常とするのはよくないと注意しています(プルタルコス『モラリア』132a)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(19)あと、狼は歌の題材にもなったようです。紀元前2世紀の詩人テオクリトスによると、テッサリア地方には「私の狼(τὸν ἐμὸν Λύκον)」という歌があったようですが、残念ながらどういう歌詞だったかは伝わっていません。

2016-04-25 00:57:26
アザラシ提督 @yskmas_k_66

しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん(違

2016-04-25 00:57:46

テオクリトス『牧歌』14.30.

アザラシ提督 @yskmas_k_66

(20)実用性という点においては、狼の皮はローブや敷物としても利用されたかもしれません。例えば、トロイア戦争ではドロンという間者が狼の毛皮を身にまとってアカイア勢の陣に潜入しましたし、第一次メッセニア戦争ではアルカディア人の軽装歩兵はオオカミの毛皮を羽織っていました。

2016-04-25 00:58:52

 ドロンについてはホメロス『イリアス』10.334; エウリピデス『レソス』201-215; ウェルギリウス『アエネーイス』349-352を御参照ください。
 アルカディアの軽装歩兵についてはパウサニアス『ギリシア案内記』4.11.3に載っています。彼らが参戦した第一次メッセニア戦争についてはトロイア戦争の倍となる20年ほど戦争が続いたようですが、パウサニアスのほかテュルタイオスの詩(断片5)やポリュアイノス(『戦術書』1.15; 1.17)ヒエロニムスの年代記などしか史料がなく、軍隊の侵入経路など、細部はよく分からないというのが現状です(Cartledge, P., Sparta and Lakonia: A Regional History 1300-362 BC, 2nd. ed., London & New York, 2002, p. 102)。
 他に狼の皮を身にまとった例としてはディオドロス『歴史叢書』34.29; フィロストラトス『ソフィスト列伝』552-553; パウサニアス『ギリシア案内記』6.6.11; ウェルギリウス『アエネイス』7.688-690; オウィディウス『変身物語』12.380-382。敷物に使った例はディオドロス『歴史叢書』5.28.4。狼の皮をかぶって女の子に襲いかかろうとした男なんてのも文学作品の中に見出すことができます(ロンゴス『ダフニスとクロエ』1.20ff)。
 いずれも文学的表現、あるいは伝聞に基づいた虚構かもしれませんが、寒さをしのぐ防寒具としては古代世界においてもそこそこ重宝されたんじゃないかなと思います。

壺絵に描かれたドロン
図版出典: Wikimedia Commons 「Lekythos Dolon Louvre CA1802」