福音書の百人隊長のエピソードはイエスが同性間の性愛を認めている事を意味するか

カトリック信徒による、同性婚にも肯定的なサイト「LGBT Catholic Japan」にある記事の内容について反論しました。
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CMTC @MontyGlycon0

『ルカによる福音書』7章にある平行記事による、この百人隊長はユダヤ人の長老を介してイエスを呼んでいる。イエスのもとにきた長老によると彼は「わたしたち国民を愛しています。わたくしたちのために会堂を建ててくれた方です」会堂とはシナゴーグの事。彼はユダヤ教を尊重していたようだ。

2016-04-29 23:13:30
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。 (ルカによる福音書 7章 1節)

2016-04-17 15:00:19
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。 この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。 (ルカによる福音書 7章 2~3節)

2016-04-17 18:00:17
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。 わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。 (ルカによる福音書 7章 4~5節)

2016-04-17 21:00:16
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、 (ルカによる福音書 7章 6節)

2016-04-18 00:01:11
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。 (ルカによる福音書 7章 6~7節)

2016-04-18 00:01:12
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。 (ルカによる福音書 7章 8節)

2016-04-18 06:00:15
新約聖書~ルカによる福音書~より @BibleJP_Luke

イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。 (ルカによる福音書 7章 9~10節)

2016-04-18 09:00:19
CMTC @MontyGlycon0

他宗教信仰がそこに存在するのを容認するだけでなく自分からその宗教建築を建てもする。「しもべ」の病に際して助けを求めるにあたって、ユダヤ教系の相手は優先順位としては低くないだろう。そんな彼がイエスという人物の話を聞き、ユダヤ教徒を介して助けを求める。

2016-04-29 23:27:22
CMTC @MontyGlycon0

このとき、彼は聖書の神を信じる気があったか、あっても他の神とセットなら、イエスはその信仰を認めていただろうか。それでも認めた、とする場合も「信仰心の度合い」や「メシアへの正しい敬意」のみを認めたとしないといけない。そうでないとイエスが偶像崇拝を是としていることになる。

2016-04-29 23:32:50
CMTC @MontyGlycon0

「信仰心の度合い」や「メシアへの正しい敬意」のみを認めたとした、と解するなら、仮に百人隊長としもべが同性愛の関係を持っていたとしても、「しもべ」が癒されたからといって、そこからイエスや父なる神がそれを是としたという論は引き出せなくなる。

2016-04-29 23:34:56
OSHIKAWA Sawae @sawa_oshi21

マタイ8章で少年愛対象の奴隷をイエスが遠隔治癒した奇跡物語の人物を異邦人の百人隊長としたのは、同性愛の設定がユダヤ人にはふさわしくないと考えられるとのこと。面白い!新共同訳で私の‘パイス’を‘僕’と訳、しかしギリシャ語で少年愛‘パイデラスティア’由来の語。山口里子さんの講座にて。

2013-11-12 20:10:29
CMTC @MontyGlycon0

百人隊長の記述を同性愛容認と解する解釈は桃山学院大学の「出会い(23) andrew.ac.jp/ch-center/publ… 」の19ページにもある。「本当に同性愛を聖書が罪としているのならば、この百人隊長にイエスさまは、僕との関係を改めるようにと、まず語られたのではないでしょうか。」

2016-04-29 23:52:52
CMTC @MontyGlycon0

この論法を使うと「本当に偶像崇拝を聖書が罪としているのならば、この百人隊長にイエスさまは、偶像崇拝を改めるようにと、まず語られたのではないでしょうか。」とも言えてしまう。「偶像崇拝禁止は当たり前だから」とフォローすると、当たり前なら発言なくてもいいのなら、「同性愛禁止も当たり前

2016-04-29 23:56:18
CMTC @MontyGlycon0

だからわざわざ発言しなかったのだ」とも言えてしまう。あちらを立てようとすればこっちが立たず、立てようとするための論法が別のところで、逆に論や主張の支えを倒してしまっている。

2016-04-30 00:02:08
CMTC @MontyGlycon0

「centurio homosexual」で検索すると、この主張をとりあげたサイトが日本語よりも多くヒットする。ハフィントンポストのような著名な媒体もある。 When Jesus Healed a Same-Sex Partner huffingtonpost.com/jay-michaelson…

2016-04-30 00:24:03
CMTC @MontyGlycon0

この記事の主張を見てみる。ここでは「しもべ」と訳されたpais(παῖς)という語には「しもべ」という意味もなく「恋人」としている。ケネス・ドーヴァーという学者によると、トゥキディデスやプルタルコスといった無数のギリシャ古典では「同性の年少のパートナー」の意として使われていると。

2016-04-30 00:49:28
CMTC @MontyGlycon0

biblehub.com/greek/3816.htm このサイトではそれぞれの語義の意味のギリシャ古典での用例は書いてないが、paisの意味として「少年」「少女」「子供」「奴隷」「しもべ」の意があるとされていて、七十人訳での使用例が書いてある。あれ?

2016-04-30 01:11:03
CMTC @MontyGlycon0

創世記のファラオの家来やサウル王の家臣のとこのヘブライ語が「pais」として訳されているのだが、もしその意味が無かったのなら、どうして訳語として採用されるのだろう。それどころか新約聖書の『使徒行伝』で父なる神のしもべ、というくだりでpaisが使われている。

2016-04-30 01:16:25
MilesGregarius @MilesGregarius

@MontyGlycon0 手元にある古典ギリシャ語の辞書でも「1:息子、娘 2:子供 3:奴隷、侍女、下僕」となっていますね

2016-04-30 01:34:30
MilesGregarius @MilesGregarius

話は異なるけど、古代ギリシアで奴隷が「子供」とも呼ばれていたのは、アメリカの黒人奴隷が白人から年齢に関係なくボーイと呼ばれていたのと同じで興味深い。

2016-04-30 01:40:44
創世記bot @seisho_souseiki

41:37-38この事はパロとそのすべての家来たちの目にかなった。そこでパロは家来たちに言った、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。

2013-04-08 23:09:47
聖書通読bot @seishotsudoku

[サムエル記上18:22] そしてサウルは家来たちに命じた、「ひそかにダビデに言いなさい、『王はあなたが気に入り、王の家来たちも皆あなたを愛しています。それゆえ王のむこになりなさい』」。

2012-05-10 08:12:04
聖書 (口語訳) @seisho_bot

アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。 (使徒行伝3:13)

2011-04-23 21:19:25

使徒行伝で使われているのはπαῖδα(paida)という変化形でした。その上の二つも複数形という形ではpaisから変わっていると思われます。