沖縄戦2

沖縄戦で、米軍の上陸前後から「終結」まで1日ごとに何があったのかを、さまざまな資料からふりかえっています。2014年に続き、2度目。
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谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月11日@那覇 フランク・ハイグラー大尉は戦利品集めにとりつかれていた。米第6海兵師団が那覇の南にある丘を占拠すると、せっせと壕内から日本刀を運び出した。将来は博物館をつくるつもりだった。「私の欠点だったんだ。前線での戦いにそんな一面があるなんて、想像もしなかった」

2016-06-11 09:09:12
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月12日@鹿児島 「常用は戦闘の邪道なり」と特攻作戦に抗した航空隊がいた。海軍芙蓉部隊。夜間戦闘を主とし、そのため昼夜逆転の生活を兵に送らせ、沖縄の立体模型で地形を学ばせた。その冷静な目がこう記す。「沖縄戦局は今や挽回する由もなし(略)確算なき攻撃はせざることを決す」

2016-06-12 09:31:05
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月13日@与座岳 「今夜もまた斬込隊が出た」と野村正起一等兵は日誌に書く。前日は12人中9人が死んだ。「圧倒的な科学兵器と物量によるアメリカ軍を相手に、まるで野蛮人のやるような斬込み戦法で刃向かえる道理がない(略)指揮官にまるで将棋の駒のように動かされて死んでいく」

2016-06-13 10:03:57
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月14日@喜屋武 伝令を命じられて鉄血勤皇隊本部に向かっていた大城勲さんは、米軍機が宣伝ビラをばらまいているのを見た。「このビラを持って手を挙げて来た人は助けてあげます。食べ物も水もあげます」。2枚ほど胸のポケットにしまった。

2016-06-14 09:10:38
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月15日@小禄 陥落した海軍壕を米軍が捜索した。日本兵の死体に満ちた通路。そして司令官室。「目にしたのは凄惨な場面であった」。6つの遺体が仰向けに横たわっていた。一人の足元のスーツケースに金色の肩章と名刺があった。きちんとたたまれた軍服。大田実少将だと断定された。

2016-06-15 10:15:38
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月16日@糸満 轟の壕にいた島田叡知事らが、摩文仁の司令部壕へ移った。出発の際、県職員だった山里和枝さんは、鉄かぶと姿の知事にささやくように言われた。「君たち女子供には(アメリカは)どうもしないから、最後は手を上げて出るんだぞ。決して軍と行動を共にするんじゃないぞ」

2016-06-16 07:37:06
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月17日@摩文仁 バックナー中将の降伏勧告文が牛島司令官に届いた。<今や戦勢は決定した。この上惨虐な戦闘を継続(略)するのは、真に忍び得ない>。牛島司令官は破顔一笑した、と八原博通高級参謀は書く。ここから23日までの1週間だけで、日本側の戦死者は2万人近くにのぼる。

2016-06-17 09:34:45
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月18日@大里 戦闘で足を切断され、病院壕に残された松川正義さんが3週間ぶりに米軍に発見された。生き延びたのは患者30人のうち7人。「はっきり見たんですが、死人は完全に白骨になっていました。頭部の毛は少し残っていたんですが、肉はそげおちて何ひとつ残っていませんでした」

2016-06-18 10:38:41
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月19日@摩文仁 伝令で軍司令部壕についた鉄血勤皇隊の大田昌秀さんはあぜんとした。参謀たちは、民間人に紛れるために地元の黒い着物に着替えていた。「透きとおるばかりの白い手や毛脛が着物から不格好にはみ出し(略)その変装は余りにも哀れであった」。壕からの脱出だった。

2016-06-19 10:55:07
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月20日@山城 池宮城秀意さんらは、壕入り口にクレヨンで看板を掲げていた。「In this cave no soldier. Only civilians women&children. Not handgrenade」。それを読みあげる米兵の声がした。捕虜になった。

2016-06-20 09:59:36
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月21日@摩文仁 サトウキビ畑のかげから白旗を掲げたおかっぱの少女が現れたのを、鉄血勤皇隊の仲村繁さんは見た。民間人や兵隊が後に続く。「投降者だ、あいつらを撃て」と叫ぶ者もいた。敵味方が見守る中、機関銃の音がぴたっとやんだ。「まるでサイレント映画を見ているようだった」

2016-06-21 09:27:26
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月22日@摩文仁 牛島司令官と長参謀長が自決したのは22日未明だ、と米軍は報告している。料理人のナカムタ氏が前夜用意した最後の晩餐は米、缶入り肉、ジャガ芋、干し魚、鮭、豆腐汁、キャベツ、パイナップル、茶、酒。壕の外では、ひとかけらの芋をめぐって日本人同士が争っていた。

2016-06-22 09:15:45
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月23日@伊原 沖縄の戦いはこの日ですべて終わった、のではない。ひめゆり学徒隊の石川節子さんが捕虜になったのは8月22日。級友の遺体が無数に転がる第3外科壕にいた。ひめゆりの塔のある所だ。昼は遺体をひろげて米兵の目を避け、夜になると片付けた。「何の恐怖も感じなかった」

2016-06-23 09:17:28
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献①《県史・市町村史》「沖縄県史9 沖縄戦記録1」琉球政府/「沖縄県史10 沖縄戦記録2」沖縄県教育委員会/「沖縄の慟哭 市民の戦時戦後体験記 戦時編」那覇市/「読谷村史 第五巻資料編4」読谷村/「名護市史叢書6 アメリカの一水兵の沖縄戦日記」名護市教育委員会

2016-06-23 09:49:52
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献②-1《日本軍》 「沖縄方面陸軍作戦」朝雲新聞社/「沖縄決戦 高級参謀の手記」中公文庫/「沖縄かくて潰滅す」原書房/「沖縄戦に生きて 一歩兵小隊長の手記」ぎょうせい/「私の沖縄戦記」角川ソフィア文庫/「八重山戦日記」ニライ社/「空白の沖縄戦記」昭和出版

2016-06-23 09:50:49
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献②-2《日本軍》「沖縄戦敗兵日記」太平出版社/「大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌」錦正社/「第32軍司令部 日々命令綴」防衛研究所/「沖縄作戦に於ける歩兵第32連隊史実資料」防衛研究所/「神日誌 其2」防衛研究所/「芙蓉部隊天号作戦々史」防衛研究所

2016-06-23 09:52:30
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献③《学徒》「沖縄一中 鉄血勤皇隊の記録 上下」高文研/「血であがなったもの」那覇出版社/「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」角川文庫/「きけわだつみのこえ」岩波文庫/「白梅 沖縄県立第二高等女学校看護隊の記録」クリエイティブ21

2016-06-23 09:53:21
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献④《米軍》「沖縄 日米最後の戦闘」光人社NF文庫/「沖縄戦 アメリカ軍戦時記録 第10軍G2㊙レポートより」三一書房/「ペリリュー・沖縄戦記」講談社学術文庫/「沖縄 シュガーローフの戦い」光人社NF文庫/「日本兵を殺した父」原書房/「沖縄特攻」朝日ソノラマ

2016-06-23 09:54:01
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献⑤-1《住民》「鉄の暴風」沖縄タイムス/「新聞三十年」沖縄タイムス/「激動の沖縄百年 新聞重要紙面」月刊沖縄/「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」中公文庫/「戦禍と飢え 宜野湾市民が綴る戦争体験」宜野湾がじゅまる会

2016-06-23 09:55:32
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献⑤-2《住民》「沖縄に生きて」サイマル出版会/「沖縄・八十四日の戦い」新潮社/「慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要」渡嘉敷村遺族会

2016-06-23 09:56:13
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】参照文献⑥《本土》「戦中派不戦日記」講談社文庫/「敗戦日記」中公文庫/「海野十三敗戦日記」中公文庫/「昭和天皇独白録」文春文庫/「木戸幸一日記」東京大学出版会/「暗黒日記」評論社/「太平洋戦争日記」新潮社

2016-06-23 09:58:36
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