沖縄戦2

沖縄戦で、米軍の上陸前後から「終結」まで1日ごとに何があったのかを、さまざまな資料からふりかえっています。2014年に続き、2度目。
17
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月17日@真和志 シュガーローフをめぐる戦闘が続く。第6海兵師団のジム・デニー一等兵は、砲弾がえぐった穴に潜みながら、丘の頂上に向かって手榴弾を投げ続けた。敵は近い。反撃する日本兵が、手榴弾を発火させるために、ヘルメットに信管をたたき付ける金属音が聞こえるほどだった。

2016-05-17 09:40:25
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月18日@真和志 米軍がシュガーローフを攻略した。ゲハート一等兵は、積み重なった腐肉の横を通り過ぎた。このうちのいくつかは、2日前までは「友達」だったはずだが、黒く膨張して誰かわからなくなっていた。「死体を踏まずに丘をのぼるのは不可能だった。我々のもジャップのもね」

2016-05-18 09:47:15
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月19日@東京 「しかし、という言葉が嫌になった」と作家の海野十三は日記に書く。「報道で、初めいい話を聞かせておいて『しかし』と来る。この後は悲観材料の展開だ」。さて同日の朝日新聞社説。「沖縄戦域における敵の(略)威力が弱化しつつあることは顕著な事実である。しかし…」

2016-05-19 09:56:42
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月20日@伊江島 生き残った住民を米軍が浜辺に集めた。揚陸支援艇のビビンズ氏は、よく知る仲間たちのふるまいに憤る。「ちょっと権威を与えられると、これまで見た最も愚かで無知・野蛮な人種に成り下がる。住民を銃で小突き、家畜のごとく追い立てている。住民には実にすまない」

2016-05-20 09:51:10
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月21日@豊見城 米軍の那覇侵入が近づく。海軍陸戦隊は鼻息荒く「必ず連合艦隊がやってきますよ」と野村正起・一等兵に語る。だが野村氏は淡々と、大本営発表が本当なら海上の米艦隊はとっくに姿を消しているはずとして、こう記す。「もう連合艦隊の存在すらわれわれには信じられない」

2016-05-21 10:28:46
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月22日@首里 壕に隠れる日々は「泥と垢と蠅でまるで原始的野獣生活だ」。そう書いた伊地朝義さんは、続けてこんな警句を残す。「文化向上の極は戦争を誘致し、殺人が巧みになり、精神が原始食人時代に戻り、野蛮と文明とは通ずるところがある」。この日、日本軍は首里撤退を決めた。

2016-05-22 10:10:26
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月23日@東京 特攻作戦にもかかわらず「依然として沖縄をとりまく敵艦船の群がある。これは何を物語るか」と朝日新聞は書く。「わが特攻総攻撃と敵の補給能力との間に残念ながら量の懸隔があったことを示す」。同じ紙面には、航空機製造のためにアルミ貨の引き換えを呼びかける広告が。

2016-05-23 09:53:01
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月24日@首里 第32軍が南部に撤退すると聞きつけた沖縄新報の豊平良顕編集局長らは脱出を決めた。戦況をつたえようと、壕内で活字印刷を続けていた。「再会のとき、また新聞をつくろう」。印刷機は壕の奥へしまわれ、活字は土中に埋められた。

2016-05-24 09:30:09
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月25日@南風原 陸軍病院が南部に撤退する。全身負傷で動けない山本義中少尉は覚悟を決め、世話をしてくれた金城芳子さんに礼を述べ別れを告げた。だが金城さんは「私がおぶっていきます」と応じない。自分の身を守るだけでやっとの修羅場。「その気持ちだけで十分」と山本氏は泣いた。

2016-05-25 09:49:47
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月26日@首里 激しい梅雨に視界を妨げられながら、米軍の偵察機が、首里南方の街道にひしめく何かを見つけた。撤退命令にともなって首里を捨て、島尻へと彷徨する人や車両の群れ。発見から13分後。巡洋艦ニューオリンズの艦砲射撃を皮切りに、野砲や迫撃砲が集中砲火を浴びせた。

2016-05-26 09:47:04
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月27日@摩文仁 人の波が南へ向かう。「そこの女ども、この壕から出ろ」と少尉の胸章をつけた男がどなった。若い女性が立ちあがる。「ここは私たち沖縄のものです。地方民を壕から追い出すなんて。そんな帝国軍人がいますかっ」。拍手を送りたい気分だったと池宮城秀意さんは書く。

2016-05-27 09:31:50
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月28日@東京 沖縄で米軍が全面降伏をしたという噂が流れた。東京・中野方面では人々が万歳を叫んだり国旗を立てたりしており、憲兵隊も「どうやら本当らしい」と言ったと、文学者の伊藤整は知り合いから聞いた話を日記に書く。「本当か、本当ならと、私も胸が躍るような気がする」

2016-05-28 10:08:55
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月29日@国頭 米軍が朝から山に向かって機関銃を撃ち鳴らした。前夜、民間人を収容していた家が襲われた。襲ったのは誰か。与儀春子さんは言う。「おぼろ月夜に大人の大きな叫び声に続いて子どもの甲高い泣声が聞こえた(略)互いに励ましあった高嶺さん方が日本兵のために惨殺された」

2016-05-29 10:20:28
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月30日@摩文仁 首里から撤退した鉄血勤皇隊の大田昌秀氏らが目的地に着いた。家屋の周りに石垣が積まれ、ガジュマルが青々と枝を伸ばす。晴れ上がった空、見渡す限りの緑。「すべてのものが生き生きと生命に溢れていた(略)地上にこんなところがまだあったのか」。畑に寝そべった。

2016-05-30 09:40:49
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月31日@? 「牛島は首里撤退にあたって<ボート>に乗り遅れた」。米地上軍を率いるバックナー中将は会議の席上、こう言った。「彼は撤退の決断を下すのが2日遅かった。 It's all over now」。だがこれは日本軍を過小評価していた、と米陸軍省はのちに戦史に記す。

2016-05-31 09:04:17
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月1日@首里 伊地朝義さんは、結核で壕に寝たきりとなった息子と二人で暮らしていた。そこへ米兵が来た。何度誘っても息子は「父一人行ケト云フ」。後ろ髪をひかれながら、息子を残して捕虜になった。「共ニ死ヲ選ブコモト出来ズ(略)弱イ此ノ父ヲ、ドンナニ怨ンデ死ンダダラウカ」。

2016-06-01 09:41:50
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月2日@中城湾 上京を命じられた神直彦参謀は、水上機をあきらめ、クリ舟での海上突破に計画を変えた。この日、一行8人は浮原島にたどり着き、洞窟に身を潜めた。「息を殺し、身を動かさず、耳だけを極度に動かして佇座した」。米偵察機が本島南部を盛んに飛ぶのが見えた。

2016-06-02 10:06:41
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月3日@具志頭 山第一野戦病院の新城分院に閉鎖命令が出た。前夜、軍曹らは「無神経にただ黙々と」青酸カリとブドウ糖を混ぜた毒薬をつくっていたと、白梅学徒の崎間政子さんは書く。500人とも言われる患者が「処置」された。「外へ飛び出した私は声をあげて泣いてしまいました」

2016-06-03 08:57:49
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月4日@鎌倉 「那覇、首里に敵侵入」。この日の朝日新聞はようやくそう告げる。首里城に米軍が旗を立てて6日たっていた。報道に接した作家の高見順は日記に「沖縄が敵の手に落ちたら、どうなるのだろう」と記した。しかし表だって口に出来ない。「この頃。全てが配給。会話も配給」。

2016-06-04 09:37:46
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月5日@小禄 海軍壕に米軍が迫る。大田実少将は、先行して南下した32軍からの撤退命令を拒んだ。「予は(略)小禄地区を頑守し、武人の最後を全うせんとする考えである」。この日、そう告げる大田少将の電文を受け取った牛島司令官は親書を送って翻意を促した。が、決意は堅かった。

2016-06-05 11:01:46
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月6日@与論 クリ舟で海上突破をはかる神直彦参謀らは、米哨戒艇をかいくぐりながら、北へ進む。頼みの綱は、米軍から奪った方位磁石と北極 星。波の向こうに与論島が近づいてきた。「もうここまで来れば大丈夫だろう」。出発から1週間。ようやく沖縄を離れることに成功した。

2016-06-06 10:07:34
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月7日@知念 本土への報告任務を負う警察特別行動隊の謝花警部と安冨祖巡査が崖の上下を米兵に挟まれた。万事休す。2人は襟に隠した青酸カリを口にした。「……そのうち牛の眼ん玉のような大きな雨が降ってきた。そのとき私は生きているのだと思った」。安冨祖氏だけが生き残った。

2016-06-07 09:30:15
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月8日@東京 戦争完遂という大綱の決定を憂えた木戸幸一内大臣が「時局収拾試案」をまとめた。その冒頭。「沖縄に於ける戦局の推移は遺憾ながら不幸なる結果に終るの不得止を思はしむ(略)結末は極めて近き将来に顕はるることは略確実」。結末が確実となるまでに、多くの命が失われた。

2016-06-08 10:37:18
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月9日@粟国島 まだ暗いうち。あちこちから響く砲撃音を耳にし、山内堅志さんはガジュマルの木に登った。島が20~30隻の米軍に囲まれていた。日本軍はおらず、あっという間に捕虜に。「水アゲマス、食ベ物アゲマス」と米軍。とはいえ、逃げ出した者は射殺され、強姦事件も起きた。

2016-06-09 09:28:37
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】6月10日@兵庫 のちに作家となる山田風太郎は帰郷先で日記に記す。「沖縄戦ついに最悪の事態迫る」。前日の帝国議会で鈴木貫太郎首相は「本土の他の地点にも敵の侵寇を予期せざるを得ない」と演説した。日記は続く。「叔父『なんじ東京で死ね、われらもここで死なん』と微笑していう」

2016-06-10 09:59:39