沖縄戦2

沖縄戦で、米軍の上陸前後から「終結」まで1日ごとに何があったのかを、さまざまな資料からふりかえっています。2014年に続き、2度目。
17
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月22日@名護 ハンセン病療養所の愛楽園に米軍が来た。殺されないと分かった荒垣正治さんが片言の英語で説明をする。オール・レパース。みなハンセン病だと。「今考えるとあれは無線電話だな。(米軍は)ペチャペチャ何か言ってましたよ。それからもう全然ここは空襲なかったですね」

2016-04-22 09:47:30
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月23日@島尻 米軍の背後上陸にそなえて本島南部にとどまっていた歩兵32連隊が北上。兵力の半減していた戦列に加わる。「師団命令に基づき(略)23日夜、現警備地を出発。熾烈なる各種砲弾下、首里南側地区に前進。同地に潜伏し、爾後の攻撃を準備す」と戦後の史実資料にある。

2016-04-23 08:04:02
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月24日@? 「本日の戦況は、敵がこれまで死闘を続けてきた陣地を放棄し、兵を撤退せしめたものと思われる」。米第24軍団長のホッジ少将は無線電話で各師団長に連絡した。日本軍は前夜から未明にかけて、第1防衛線から撤退し、幸地―前田―仲間などに第2防衛線を引いた。

2016-04-24 11:08:26
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月25日@首里 「洞窟生活1カ月を過ぐ」と第32軍の神直道参謀は書く。「特攻の成果あがると食事とドラム缶入浴が何よりの楽しみなり」。独ベルリンはソ連軍に囲まれていた。「ヒットラーは戦争の終末を如何に指導せんとしあるや(略)日本の大本営は目下、何を考え何を企図しあるや」

2016-04-25 10:12:27
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月26@東京 「沖縄の現地将兵官民各位へ」。鈴木貫太郎首相がラジオで呼びかけた。「本土にある国民もまた、時来たらば一人残らず特攻隊員 となり(略)最後まで戦い抜いて終局の勝利を得んことを固く決意している」。何と空虚な内容か、と沖縄で放送を聞いた神直彦参謀は嘆く。

2016-04-26 10:18:38
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月27日@真和志 沖縄新報の大山一雄記者は、繁多川の壕内で開かれた緊急市町村長会を取材していた。「敵の出血は夥しい数にのぼっている。だが遺憾なことに非戦闘員の中には利敵行為を行う者が…」と軍司令部が警告する。新聞はタブロイド版2ページ。壕から壕へと、ただで配られた。

2016-04-27 09:41:59
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月28日@嘉手納 特攻隊第3草薙隊の大塚晟夫さんが戦死した。23歳。1週間前にはこう書き残していた。「はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない」。そしてこの日。「散れよ散れよ桜の花よ、俺が散るのにお前だけ咲くとは一体どういうわけだ」

2016-04-28 09:34:59
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月29日@浦添 山本義中氏の率いる小隊8人が戦車5両と対峙した。陣地右に潜む知念盛一2等兵のそばに戦車が迫る。「来たぞ」。その時。「知念の頭が動いたようにみえた。そして、あっという間もない程の速さで、対戦車爆雷をもったまま戦車に突っ込んだ」。肉弾攻撃。火柱があがった。

2016-04-29 09:38:42
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】4月30日@首里 父親の病気のため、県立二中の仲間たちと別行動をとっていた岩本兼一さんが情報集めに首里へ。小学校で同級生だった女性たちが軍属になっているのを見つける。「新しい軍袴、軍靴を履いて颯爽と歩く彼女たちをみると乞食同然の自分のぼろ制服姿が情けなかった」

2016-04-30 10:35:21
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月1日@一日橋 全身を負傷した山本義中少尉は陸軍病院に運ばれる。その途上。川を渡る要所は、米軍の集中砲火を浴びていた。照明弾の明かりに地獄絵が浮かぶ。「足だけがある。手だけが飛ばされている。首のない体が横たわっている」。死んだ母親にすがる赤ん坊の姿が目に焼き付いた。

2016-05-01 10:00:43
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月2日@東京 ムソリーニが銃殺され、ヒトラーが死んだと文学者の伊藤整は日記を書き出す。そして話題は沖縄へ。「小型のロケット飛行爆弾を我方が使用し出したと敵が公表している」。特攻兵器の桜花だ。母機から切り離され、敵に突っ込む。「日本の最後の手段ではないかと気にかかる」

2016-05-02 09:39:05
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月3日@久米島沖 米機雷敷設駆逐艦アーロン・ワードが特攻機に狙われた。「こいつがカミカゼだ」「また1機、もうだめだ」。10機目が曳光弾をかいくぐり、まっすぐ向かってきた。機体の爆弾が一秒ごとに大きくなって見える。爆音と閃光。砲員のジャックのズボンに火が燃え移った。

2016-05-03 10:54:03
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月4日@浦添 持久戦を続けていた日本軍が反転攻勢に出る。のちに「おもろそうし」研究の第一人者となる外間守善氏は、激戦の前田高地で銃弾を受け、第二大隊の本部壕に運びこまれた。「傷の痛みに獣のような唸り声をあげる者、恐くなって泣きだす者、発狂する者、壕内は修羅場だった」

2016-05-04 09:35:27
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月5日@南風原 爆撃で左腕を負傷した鉄血勤皇隊の比嘉正範さんが陸軍病院に運ばれた。「覚えているのは」と比嘉さんは言う。「床の上の大きな木箱の中に、手術で切り落とされた手や足が何本もほうりこまれているのが見えた」。麻酔なし。骨を切るノコギリの振動に全身が揺さぶられた。

2016-05-05 10:40:41
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月6日@東京 4日からの日本軍の反転攻勢は失敗に終わった。第32軍は再び持久戦に転ずる。これを本土で聞いた大本営陸軍部の戦争指導班は、業務日誌にこう残す。「これにて大体沖縄作戦の見透は明白となる。これに多くの期待をかくること自体無理(略)これ本土決戦への覚悟なり」

2016-05-06 11:46:14
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月7日@真和志? 第1海兵師団の狙撃兵マイケル・フェントン一等兵が戦死した。19歳。父のフェントン大佐も同じ師団にいた。星条旗に包まれた息子の前で、荒野と化した地に父はひざまづく。「命を落とした他の兵士に比べて息子は幸せだ。最後の場面で、こうやって父に祈ってもらえる」

2016-05-07 10:37:46
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月8日@石垣 旅団司令部にある松の木には、当番で学徒兵が登り、米軍機が近づくと「敵機来襲」と大声で知らせていた。もちろん相手は機銃掃射を浴びせてくる。吉田久一一等兵は「根元に爆弾が落ちても落付いて服務し、兵隊より勇敢との声がある」とこの日、書き記す。

2016-05-08 11:25:08
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月9日@小禄 米軍との戦線が南下。第32軍では、小禄に陣取る海軍陸戦隊も首里戦線に動員すべきだとの案がもちあがる。海軍の大田実少将はこれに反対を伝えた。もしそうすれば「残置兵力は重火器を使用する能力なく(略)槍を主体とする烏合の衆となる」。だが計画は推し進められた。

2016-05-09 09:39:13
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月10日@首里 第32軍司令部壕には女性もいた。本土から来た芸者や地元・辻町の遊女ら。炊事の手伝いや壕の土運びもし、入浴時間の割り当ても決まっていた。この日、壕から撤退。「彼女たちの大部は声をあげて泣いた」と八原博通高級参謀は書く。数十人がリュックを背に去って行った。

2016-05-10 09:50:36
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月11日@那覇 長山一雄警部補が荒井退造部長に呼ばれた。ろうそくの炎が揺れる3畳ほどの部長室。「友軍の敗北は残念ながら確実のようだ。君は沖縄を脱出し、あらゆる手段で東京へ行き、内務省に沖縄戦の戦況を報告してもらいたい」。警察特別行動隊。選ばれた8人は翌未明、壕を出た。

2016-05-11 09:44:30
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月12日@糸満 米軍上陸直前の3月下旬に慶良間を訪れて戻れなくなっていた三池明・第5海上挺進基地隊長が、丸木舟で奇跡的に本島に帰還した。こぎ手は糸満の海人ら。暗闇にまぎれて米艦船の間を縫った。「島伝いに必死の力漕を続け、遂に糸満港に着くことができた。まさに天佑である」

2016-05-12 09:56:17
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月13日@具志頭 本土へ戻って航空作戦を要請するよう命じられた神直道参謀は奥武島沖でクリ舟に揺られ、水上連絡機の飛来を待っていた。約束の午前3時半。来た。呼出符号は「ロツオ」。しかし連絡がうまくつかない。「無念、着水せず。帰港時、舟転覆。ぬれ鼠となる」

2016-05-13 10:11:07
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月14日@真和志 那覇を見下ろす丘を米海兵隊のウッドハウス中佐がシュガーローフと名付けた。命令が届く。「即座に攻撃を始め、いかなる犠牲をはらっても遂行せよ」。翌日までに本当にあらゆる犠牲を払うことになった。「死体の上だけを歩いても後方まで戻れそうな惨憺たる状況だった」

2016-05-14 10:43:52
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月15日@嘉手納 特攻隊の上原良司さんが戦死した。22歳。「特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです」。出撃前夜の記。

2016-05-15 09:26:17
谷津憲郎 @yatsu_n

【沖縄戦】5月16日@真和志 米第6海兵師団が「最悪の日」と呼ぶシュガーローフでの激戦のさなか。沖縄への上陸後に少女を強姦したケネディが裁判にかけられるという噂が流れてきた。上官が言う。「島を出ろ。絞首刑になるぞ」。ケネディは自分で脚を撃ち、負傷兵として島を出て、裁判を免れた。

2016-05-16 09:59:56