復員船「葛城」 元乗員の御話

「葛城」の食事については、栄養失調状態な人に急に普通の食事をとらせると、かえって身体に悪影響を及ぼすので、あえて貧相な食事にしていたという話を仄聞。 (2016.7.17 動画、写真、リフィーディング症候群を追加) (2018.1.7 続編あり https://togetter.com/li/1187343
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まとめ 【続編】復員船「葛城」 元乗員の御話その2 前回( https://togetter.com/li/972509 )のを読まれた元乗組員の方から御話を伺えたとのこと。 2673 pv 5 1 user
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

2016/5/4に空母「葛城」の元乗組士官の方に御話を伺って参りました。 pic.twitter.com/fy8gIZ9LSh

2016-05-06 22:34:18
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赤衣あかさき @a_akasaki

次女は横転した姿が敗戦の象徴として長年に渡り使われ続け、末っ子は戦後の苦労を記す資料が少なめで(復員船活動が地味で、戦記物とか期待する人の興味の外だったのか)スポットが当たらない 長女は長女で、検索すればTOPはお相撲だし…(今は、まあ、ええ)雲龍型は何か色々苦労してるのね

2016-05-08 06:33:48
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

@a_akasaki 仰れる通り、「葛城」の御話を伺いたいと訪ねてきたのは私が初めてだったようで「何故、聞きたいのか」と言われましたね。 「葛城」や乗組員の方々について思う事を説明すると「何でも聞いて下さい」と仰られて沢山の事を御話して下さいましたが……本当に大変だったそうです。

2016-05-08 06:44:23
赤衣あかさき @a_akasaki

@FIN_Historia かつての軍艦が各地に散った人々を故郷へ戻す為に…って解釈すると、メディアが飛び付きそうな気もしなくはないんですけどね(時期によっては改悪されそうですが) この分野に興味出て色々読み漁っても、復員船の話は「結果」以外見かけなかった印象です

2016-05-08 06:59:19
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

@a_akasaki 実際に当時のメディアや外から見た御話によって『地獄船「葛城」』と言う名が広まってしまった部分もあるそうです。 そのため、復員船当時に取材に来た方に任務の過酷さを直に体験して貰って「私が間違っていました」と認識を改めて頂いた事もあると仰っていましたね……。

2016-05-08 07:04:29
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

@a_akasaki 私が御話を伺わせて頂いた復員船としての「葛城」に乗り組まれた士官の方はその時の御話を伺いたい、と訪ねてきた人は殆ど居ないと思う、と仰っていましたし……。 本当に仰れる通りの部分があるように感じます。

2016-05-05 08:42:34
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

@a_akasaki 実際に御話を伺うと言葉に出来ないものがありますね……。 幾多のそうした事も踏まえ、忘れられない記憶として大事にされている方も多くて。 嘗ての事が間違った認識になっている事を憂いて居られる方も居られました。 勿論、話す事は無いと仰っていた方も……。

2016-05-05 08:24:47
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

@a_akasaki そうした事があっても今の時代で「葛城」が語られる事が殆ど無いのは寂しいものです(´・ω・`) とても大切な役割を果たした特別な艦であり、共に在った方々の努力と苦労があって沢山の人達を送還出来たのは本当に忘れてはならない事なのですけども……。

2016-05-08 07:42:28

特別輸送艦「葛城」

FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

所属は特別輸送艦「葛城」となった後の甲板士官兼、第三分隊士。 第三次復員輸送から最後となる第八次復員輸送まで参加し「葛城」と共に多くの航海を経験された方です。 最終的に「葛城」は第一次から第八次の復員輸送までに51390名もの人達を送還し、42762海里もの行程を駆け抜けました。

2016-05-06 22:44:33
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

復員輸送は出港する時は乗り組まれた方々しか居ないため、行きはとても楽だったそうです。 しかしながら、復員のために現地で多数の人を乗せてからが本番で復員船となった艦の中でも大型であった「葛城」でも復員輸送と言うその任務は困難を極めました。

2016-05-06 22:52:52
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

「「葛城」は大きいから、遠くの場所に行かされたね」 第三次ではブーゲンビル。第四次ではボルネオ、インドシナ方面。第五次ではサイゴン。第六次ではバンコク。第七次ではレンバン島。最後の第八次ではスマトラ、バンコク。 主に南方に残っていた陸軍の方々を送還する役目を果たされたそうです。

2016-05-06 23:02:02
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

終戦時の「葛城」。呉軍港空襲(7月28日)の爆撃で飛行甲板中央部が弓なりに盛り上がり、破孔ができた状態。 pic.twitter.com/91NRYrmdyo

2016-05-08 10:27:51
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

復員船時の「葛城」。飛行甲板の破孔は修理されなかった。 pic.twitter.com/83f8pPQxoi

2016-05-08 10:30:07
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有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

葛城、このアングルでは無傷に見えるが、爆撃で飛行甲板が一部吹き飛んだり盛り上がったりして発着艦不能状態。甲板はそのままに、格納庫の居住区への改造(約5千人収容)などを行って復員輸送に用いた。 pic.twitter.com/MV875kUFG2

2016-07-17 21:36:36
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有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim

呉軍港空襲で甲板を損傷したものの外洋航海可能だった葛城は終戦後、南大東島やラバウル、仏印方面の復員輸送に従事した(機関を再起動させるために、横転したままの天城からマニュアルを発掘)。「まだこんなに大きな軍艦が残っていたのか」と現地の兵士たちを勇気づけたという話が。

2016-07-17 21:26:00
コシザイ @k_s_z_i

@y_arim 確かに五千人という話はよく聞くんですけど、わたしの調べた限りでは8千人以上運んでいると思われるケースもあるので、もう少し乗れたんじゃないかなあと推測してます(援護局史の記録の中にあったはずですが肝心の場所と日付を失念)

2016-07-17 22:45:20
とーかい@知波田駅 @ryujiro0612

@y_arim 前教えてもらったんですが オーストラリアの戦争アーカイブに ラバウル港に入港した葛城の甲板上の様子が映った映像があるそうですよ 有村さんの言う通り甲板が膨れてるのがわかる awm.gov.au/collection/F07…

2016-07-17 21:48:53
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

復員船として活動するにあたり、「葛城」は呉の工廠にて増員対策の改装が行われ、上下の格納庫を木材で更に2段に区切り、合計4段とし収容可能な人数を倍増。 航空機燃料タンクを真水タンクへ切り替え。飛行甲板の下にある機銃甲板の高さに左舷全長にも及ぶ連続した長屋風のWCを増設。

2016-05-06 23:15:03
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

現代では簡単な改装でも当時では中々の難工事で、航空機の燃料タンクを真水タンクとするにしても匂いを取る事は出来ず復員者に提供する飲料水タンクとしての利用は不可能だったとの事。 しかし、雑用や入浴用としては匂いだけを我慢すれば問題は無かったので毎日、真水のお風呂に入れたそうです。

2016-05-06 23:24:04
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

増設したWCは1日に3回、洗浄用に貯めていた海水を流して掃除を行ったとの事。 こうした事も復員船としての運用に関わる甲板士官の役目だったそうです。 また機関室等の点検も行うのですが、南方での気温とも相余って室内は55度にもなる程の高温でとても暑かったと仰っていました。

2016-05-07 06:14:12
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

強制通風で換気されているとはいえ、艦内の熱い空気を吸い込んでいたため、機関室や罐室では涼しいと感じる事は無く、高温下で行われる当直勤務は激務であり、この過酷な環境から地獄船「葛城」とまで呼ばれた要因の一つとなっていたそうです。

2016-05-07 22:23:24
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

また乗組員と復員者で食事の内容は違うのですが、人数等の余裕が無い事もあり、美味しい食事を取る事は出来なかったとの事。 補給についても本土で行うよりも南方で行った方が安かった上に沢山、補充する事が出来たので出航先の方が燃料補給を行うには都合が良かったと仰っていました。

2016-05-07 22:34:29
FIN@神戸かわさき7 欠席 @FIN_Historia

「補給に鰯のオイルサーディンの缶詰を貰ったりした事もあるけど、数が足りない」 食料等も南方で補給したけれど、収容人数が多すぎて数が中途半端になってしまう事も多々あったそうです。 これとは別に大量の砂糖を補給した事はあるけれど此方は幾らあっても困らないものなので問題は無かったとの事

2016-05-07 22:45:42
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コメント

MarineGuards @ryu_halfspin 2016年5月8日
興味深いお話をありがとうございました。確かに復員は戦中の出来事に比べて知名度が低い印象があります。終戦直後の混乱期に膨大な人数を比較的スムーズに移送できたことは注目に値すると思うのですが。そのうちNHKがヒストリアあたりで取り上げてくれないかな、と望む次第です。
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有村悠%1/22砲雷撃戦・に-10 @y_arim 2016年7月17日
復員船葛城のメシマズ伝説には理由があった。
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タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2016年7月17日
そりゃ、奴隷輸送船並にパンパンで無理矢理運ばされたらこうなるわと。
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水上隆蘆 @minakami_takayo 2016年7月17日
最大の復員船がなんで資料無いの・・・どういうことなの・・・。
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有村悠%1/22砲雷撃戦・に-10 @y_arim 2016年7月17日
なお「友軍兵士の死体を食べたら死刑」という布告すら出たニューギニアからの復員輸送に従事したのが、病院船氷川丸と練習巡洋艦鹿島。
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vx51 @vx51 2016年7月20日
勉強になりました。ありがとうございます。 陸軍の軍人だった叔父が葛城で復員してきたので、この乗員の方のお世話になったのかもしれません。 たしか、最後の葛城で復員だったの事。当方の記憶曖昧ですが。 現地での乗艦時、葛城をみて 「こんなに大きい艦なのか!」 と大変驚いたとの事でした。
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まるちゃん@大湊警備府 @malchan1224 2016年7月20日
残った士官の方も90歳前後のはずでお話を伺えるギリギリのタイミングで間に合ったという事ですね。
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路上行人 @ro_jo_ko_zin2 2018年1月6日
最後に残った空母が最後の任務を行なったというのは感慨深いものがありますね。派手な戦闘を経験した艦ではないですが葛城ことも忘れずにおきたいものです。
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