重巡洋艦「羽黒」乗員の回想、余談として艦隊旗艦に求められた通信性能談義

余談のほうが主題になってしまったかもしれない (2020.08.02阿武隈について追加)
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FIN@C103 土曜日 東地区 ユ-61bでした @FIN_Historia

2019/5/2に重巡洋艦「羽黒」の元乗組員の方に御話を伺って参りました。 pic.twitter.com/V84JJhTmB3

2019-05-02 14:51:57
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乗り組まれていた時期は昭和16年9月に「羽黒」が佐世保に入港した時から昭和20年5月16日から昭和20年5月17日にかけて戦う事になったペナン沖海戦で最期を迎えるその時まで。 北方から南方にまで及ぶ重巡洋艦「羽黒」のその航跡を最後まで見届けた方です。

2019-05-02 17:57:17
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海兵団の訓練を終えて「羽黒」へと乗り組み実戦訓練。大東亜戦争の開戦から南方方面における作戦やスラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、ソロモン沖海戦、ブーゲンビル島沖海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦をはじめ主要な海戦の多くに参加。 負けてなるものかと強い意志で乗り組まれていたそうです。

2019-05-02 18:45:44
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重巡洋艦「羽黒」に乗り組まれた際の配置先は見張、信号員等が所属する第七分隊。沈没の際は艦の後部にある舵の部分に居られたとの事です。 数多くの海戦を戦い抜いた「羽黒」については「とにかく強い。最後まで勝つと言う意思があった」と仰っていました。

2019-05-02 19:59:40
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またブーゲンビル島沖海戦で被弾した際の弾が全て不発であった事をはじめとした幸運艦とも言われる「羽黒」のちょっとした御話等も伺わせて頂き、他にもカタパルトで射出した水上偵察機が近くまで接近していた潜水艦に対して突撃して撃退したという御話等も伺わせて頂きました……。

2019-05-02 20:16:58
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数多くの海戦を戦い抜いた重巡洋艦「羽黒」ですが……乗り組まれている際に印象に残っていたのはマリアナ沖海戦において空母「大鳳」が沈没した時の事。 甲板に航空機が載っていましたが、沈む際に傾いた時に次々に貴重な航空機が落ちていくのを見てとても悔しい思いをした事を回想されていました。

2019-05-02 20:25:45

※ 状況が異なるけれど、同じくマリアナ沖海戦で戦没した翔鶴の回想画

有村悠@9/22砲雷撃戦52・ぬ13/14 @lp_announce

「素人が書いてるからリアルではないんだけど、その下手さがかえって怖い」で思い出したのが、翔鶴の元乗組員・野村文彦氏の描いた『沈み行く翔鶴』。急激に前のめりになり、甲板の乗組員たちが燃えさかるエレベーターの穴へ滑り落ちていったという p-ibaraki.com/767 pic.twitter.com/3dK4QAyECx

2017-04-21 09:35:48
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また参加した海戦においてはレイテ沖海戦が一番、恐ろしく感じたとの事。 トラック島等に停泊している時に乗員を交換して訓練を行った際に乗り組まれた戦艦「武蔵」が沈んだ時の事を仰られていて、後にある駆逐艦に乗組員の方々が救助された事を聞いたそうです。

2019-05-02 20:37:27
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この時の事は以前に駆逐艦「初霜」の元乗組員の方から駆逐艦「清霜」と遭遇した際に信号のやり取りで艦名を訊ねた事を御話の中で伺わせて頂いていました。 「清霜」の事については戦艦「武蔵」の乗組員の方々を救助して艦内は悲惨な状態であった事を後日に確認されたとの事です。

2019-05-02 20:47:21
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レイテ沖海戦の後、駆逐艦「霞」と共に戦艦「榛名」の護衛任務から戻ってきた駆逐艦「初霜」と合流し、共に重巡洋艦「妙高」を護衛してシンガポールへと移動。 この時に護衛を担当していた「初霜」の名前までは記憶には無かったそうですが、史料を御見せするとある程度合点がいった様子でした。

2019-05-02 21:30:27
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シンガポールへ移動した後は輸送作戦に従事し、最後の海戦となるペナン沖海戦の時には魚雷も既に降ろされていて缶詰等をはじめ物資を積載している状態だった事を仰られており、この時に御自身が艦の後部に居た事と積載している物資の御陰で沈没の際、それに掴まる事で生き延びる事が出来たそうです。

2019-05-02 21:48:14
リンク Wikipedia ペナン沖海戦 ペナン沖海戦(ペナンおきかいせん)は、第二次世界大戦中の1945年5月16日夜にマレー半島北西岸、マラッカ海峡内に位置するペナン島沖で起きた日本海軍とイギリス海軍との間の海戦(夜戦)。 緒戦の1942年3月に日本軍はアンダマン諸島を占領し、守備隊を置いていた。 1945年2月の時点で、シンガポールにあった日本海軍の艦艇は第十方面艦隊(福留繁中将)に編成されていた。このうち健在なのは重巡洋艦羽黒、足柄、駆逐艦神風のみで、重巡洋艦高雄、妙高は行動不能、軽巡洋艦五十鈴は豪北方面からの撤退作戦(二号作戦)で戦没、
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暫く物資に掴まって漂流した後、先に撤退していた駆逐艦「神風」に救助されてシンガポールに戻られたとの事です。 後に駆逐艦「神風」が最後まで生き延びた事、復員船として大切な役目を果たされた事を聞いて嬉しく思った旨を仰られていました。

2019-05-02 22:04:37
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その後、シンガポールに戻った際に小さな潜水艦を見かけたとの事で潜水艦に描かれている某マークを見てドイツのUボートである事に気付き、ドイツ海軍の兵士こそ見る事は無かったとの事ですが、セレター軍港に係留されていた姉妹艦の重巡洋艦「妙高」の事と一緒にその御話を伺わせて頂きました。

2019-05-02 22:24:25
リンク Wikipedia U181 (潜水艦) U181は第二次世界大戦時のドイツ海軍の潜水艦(Uボート)。IXD/2型。ドイツの降伏後は日本軍に接収されて伊号第五百一潜水艦(いごうだいごひゃくいちせんすいかん)となった。U181は大西洋において3隻、19,454トン、インド洋で24隻、119,325トンの船を沈めている。 1941年3月15日、ブレーメンのデシマーク、AVヴェーザー造船所で起工。1941年12月30日に進水し、1942年5月9日にヴォルフガング・リュート艦長の元で就役した。シュテッティンの第4潜水隊群で訓練を行った後、1942年10月
内田弘樹@土曜日西 “ひ”01b/日曜日東 “ポ” 01ab 新刊3冊予定 @uchidahiroki

駆逐艦神風がペナン沖海戦に参加してシンガポールに帰還したのが5月17日。すでにドイツは降伏していて、シンガポールに停泊していたのはU181とU862だけ。でも、軍艦旗は降伏直後に降ろされている(ドイツ側の資料にある)。 でも、艦に描かれていた鉄十字は残っていた……。 twitter.com/fin_historia/s…

2019-05-03 18:34:18
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@uchidahiroki 流石に日付までは覚えていないようですが、確かに5月辺りだったように回想されていましたね……。 先生の本に掲載されている写真を御見せしたところ、このマークが描いてなかったら恐らくUボートだとは気付かなかっただろう、と言う事も仰られていました。

2019-05-03 20:15:37
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終戦はシンガポールで迎え、昭和22年10月頃に復員。 シンガポールで収容されている間はチャンギ飛行場や道路等の工事に従事されていたそうです。 本土に無事に戻られた後は船大工をしながら生活し、今の時代に至る事を仰られていました。

2019-05-02 22:34:31
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開戦する前から重巡洋艦「羽黒」に乗り組み、ペナン沖海戦で最期を迎えるその時まで乗り組まれていた方の御話をこうして伺わせて頂き改めて重巡洋艦「羽黒」の事を学び心に刻む機会を頂けた事は誠に光栄です。 慰霊顕彰活動の最中で頂いた数々の大切な御縁やめぐり合わせに最大限の感謝を。

2019-05-02 22:46:14
FIN@C103 土曜日 東地区 ユ-61bでした @FIN_Historia

先日に重巡洋艦「羽黒」の元乗組員の方に伺わせて頂いた御話で少しだけ補足……。 アリューシャン方面で活動していた時は特に戦闘等を行う事はなく、状況確認的なものでしかなかったそうです。 北方は潮の流れが速く、確かワカメのような物が流れていた事を覚えていると仰られていました。

2019-05-03 08:57:56
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他にも「羽黒」で迎えた海軍記念日の時には酒保を開けと共に御馳走を頂いたとの事でその中には赤飯もあったそうです。 また南方各地でも日本人食堂があり、ジョホールバルの集会場等で食事をした際には今の時代でいうビーフンのような麺類を食べた記憶もあるという御話も伺わせて頂きました。

2019-05-03 09:12:56
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南方では他にもバナナやパインを食べたり、現地の人にヤシの実を落として貰って、その汁を飲んだりと様々な物を食する機会があったそうです。 「羽黒」での食事も印象に残る程に不味いと思うような物は特になく、具材等の中身は覚えていないとの事でしたが、カレーを食べる機会もあったとの事。

2019-05-03 09:20:30
FIN@C103 土曜日 東地区 ユ-61bでした @FIN_Historia

重巡洋艦「羽黒」に最初から最期の瞬間まで乗り組まれ、ちょっとした思い出話も合わせて伺わせて頂いた御話は悲しいものから楽しいものまで物凄い密度のある御話でした。 嘗ての大東亜戦争の中に重巡洋艦「羽黒」という艦が在ったという事を改めて強く心に刻む機会を頂けた事に感謝を。

2019-05-03 09:33:24

マリアナ沖海戦での羽黒への旗艦変更の一件から、艦隊において「旗艦」に求められた性能について

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